草餅の香り
・草餅のふるさとの香をいたゞく(昭和7年の句)
・旅は何となく草餅見ればたべたくなつてたべ(昭和8年の句)
・よばれる草餅の香もふるさとにちかく(昭和8年の句)
山頭火にとって草餅はふるさとを思い出させるよすがであるようだ。
山頭火の故郷、山口では4月3日の雛節句には、よもぎを摘んで家族で節句もちを搗く習わしがあった。正月餅にあんを入れると、おできができると言って嫌われたそうで、あんこ入りのよもぎ餅は特に子ども達の楽しみだったそうな。
妻が草餅を買ってきた。草餅と言われてもピンと来なかったが、広島生まれの私にとってはよもぎ餅のこと。
私の子供の頃-昭和30年代-周りには原っぱがいたるところにあった。そこは子ども達の格好の遊び場で、蛇もいたし、トカゲもいた。蝶もバッタもとんぼもいた。私は友達と藪の中に秘密基地を作り、そこにビー玉や牛乳瓶のふた、拾ったくぎなどの宝物を貯めこんだものだ。
「原っぱ」と言う言葉がそもそも死語になっているようだが、そこには雑草にまじって、よもぎもどっさりはえていた。私がとってきたよもぎを使って、母がよもぎ餅をこしらえてくれた懐かしい思い出がある。今年八十七歳になる母に、そんなことがあったよなあ、と言うと、「そうじゃったかねえ」というつれない返事。
あの懐かしいよもぎ餅の思い出は、ひょっとして私の幻想だったのか。
子供時代の思い出はそのまま大切に胸にしまっておくべきで、当事者に不用意に確認すべきではないと言う教訓を得た。
ともあれ家庭でよもぎ餅を作るという習慣も、私の周辺に限って言えば完全に消滅してしまった。
スーパーで売っている草餅に「ふるさとの香」はない。
昔のよもぎ餅は、むせ返るような野生の香りが口の中に広がったものだ。
・草餅のふるさとの香をいたゞく
これは昭和七年四月四日の日記にある句。
この頃、山頭火は長崎地方を歩いて旅をしている。
とりわけ平戸は気に入ったようで三日前の四月一日の日記では平戸を礼賛している。
「平戸はよいところ、何だか港小唄でもつくりたくなつた。(略)「絵のやうな」といふ形容語がそのまゝこのあたりの風景を形容する、日本は世界の公園だといふ、平戸は日本の公園である、(略)美しすぎる――と思ふほど、今日の平戸附近はうらゝかで、ほがらかで、よかつた」
長崎の風景は美しいが、珍しく山頭火は腹具合が悪い。腹具合は悪くても、山頭火は酒を飲む。日記にはこうある。
「ゆつくり飲んだ、わざわざ新酒を買つて来て、そして酔つぱらつてしまつた、新酒一合銅貨九銭の追加が酔線を突破させたのである」
ここにある「酔線」というのは山頭火の造語だ。要するに自己抑制がきかなくなる限界点の事で、彼はしばしばこの酔線を越えたのだった。
酔線を越えるとどうなるか、山頭火は自ら告白している。
「Nさん来訪、いつしよに散歩、そして酒、酒、酒、みだれてあばれた。―まつたく酔狂だ、虎でなく狼だ。」
・旅は何となく草餅見ればたべたくなつてたべ
・よばれる草餅の香もふるさとにちかく
この二句は昭和8年7月5日の日記にある句。
この時期、山頭火は山口の小郡に其中庵を結庵し、一人で暮らしている。
三日前の7月2日、山頭火は彼にとっては鬼門である焼酎のたたりで苦しんでいる。彼のハチャメチャぶりがうかがわれる一節がある。
「伊東さんがやつてくる、飯を炊いていつしよに食べる、まもなく国森さんがやつてくる、大村さんもやつてくる、とうとう焼酎を買うてみんなでちびちびと飲む、(略)焼酎と油揚餅と梅酢との中毒で私は七顛八倒しなければならなかつた、大村さんが医者へ走る、樹明君が介抱する、お客さんが自分で賄をする、主客も何もあつたものぢやなくなつてしまつた。 私は腹の痛みで呻きつゞけた、しかし皆さんのおかげで、悪運強くして死なゝかつた。とにかく意味ふかい一夜ではあつた。」
最後に草餅の親戚筋にあたる甘い物をよんだ彼の俳句。
・すすめられてこれやこのあんころ餅を一つ
・海から風はまだ寒い大福餅をならべ