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種田山頭火のおいしい俳句  作者: 種田潔
鰯さいても誕生日
22/26

ライスカレーの別れ

・これが別れのライスカレーです


これは山頭火の俳句の師である荻原井泉水主催の俳誌「層雲」に昭和5年に掲載された句であり、山頭火がライスカレーをうたった唯一の句である。

歌謡曲で「別れ」とくれば、まずは「酒」。酒とくれば山頭火とつながるのだが、意外や山頭火の別れはライスカレーであった。

カレーライスではない。

ライスカレーという言葉は最近耳にも目にもしなくなった。


待てよ、別れだと? 

山頭火にライスカレーを食べて別れを告げた女がいたのか。

分かれというと男女の別れしか念頭に浮かばない私は、これは捨ててはおけないと山頭火の日記の昭和5年のページを開いて見た。

山頭火の日記は彼が48歳になる昭和5年(1930年)9月9日から始まっている。それ以前にも日記は書いていたが、昭和5年の9月14日の日記に彼はこう書いている。

「熊本を出発するとき、これまでの日記や手記はすべて焼き捨てゝしまつた」

よって私は昭和5年の9月9日から12月31日までの日記を読み直してみたが、上掲の句もライスカレーという言葉も見出すことはできなかった。

彼の日記は食べ物日記とでも言うべきで、その日に食べた全てのものを山頭火は日記に書き残している。

そこにライスカレーの記載がないということは昭和5年の謎の女は、山頭火が「焼き捨てゝしまつた」日記の中で山頭火と別れたのだ。

でも、別れたのは女だったのだろうか。


山頭火は日記で二度、ライスカレーについて言及している。

一度は昭和11年5月21日、彼は草津温泉に泊まっている。

「熱い湯にはいつて二三杯ひつかけて、ライスカレーを食べて(これが宿の夕食だ、変な宿だ)ぐつすり寝た」

当時の草津温泉時について山頭火の評価は低い。

「草津といふところは何となくうるさい、街も湯もきたならしい、よいとこでもなささうだ、お湯の中にはどんな花が咲くか解つたものぢやない」

と散々だ。

今一度は昭和15年3月24日、この頃彼は四国松山に住んでおり道後の温泉をしばしば楽しんでいる。

「高商で高橋さんとしばらく歓談、ライスカレーを御馳走になる、それから二人は電車で道後に出かけて入浴、おでんやでパイ一、パイ二、それから大街道は電車でのしてTさんといっしょになり、三人でまた飲む、それからまたMさんも参加しててんぷらやそばやでたべるたべる、(略)―さしみ、てんぷら、そば、どれもみなおいしかった、酒もわるくなかった、近来にない牛飲馬食だった―感謝感謝」

昭和15年3月24日とは山頭火が亡くなる約7か月前の事。鋼鉄の胃袋を持つ山頭火の面目躍如の食べっぷりではないか。


私も幼い頃から60歳を過ぎた今日まで飽きることなく食べてきたカレーライスだが、カレーについて忘れられない記憶が二つある。

一つは学生時代の事。

陸上部の合宿ではカレーが頻繁に出た。

ソースをかける者がいたが、これは私も時々やっていたこと。生卵を落とす者がいたがこれも自分ではやらないものの、そうする人を見たことはあった。醤油をかける人は初めて見た。

大いに驚いたのはソースをかけただけでは気がすまず、薬味の福神漬けとラッキョウをカレーにのせ、さらにそれをごちゃまぜにして正体不明の気味の悪いものに仕立て上げ、それを嬉々としてさもうまそうに食べる者がいたことだ。あれはもはやカレーライスとは言えない食べ物だったのではあるまいか。

今一つはメキシコ人の知り合いとの思い出。

彼は時々私や知人を自宅に招いて手作りのメキシコ料理をふるまってくれた。その中にとてつもなく辛いソース(サルサというのだろうか)があった。聞けば世界で一番辛いと言われる唐辛子を使って作るソースだとの事。

そのころ住んでいた街にうまいと評判のカレー屋があった。そこは辛さが10段階か20段階に指定できることになっており、ある時、私はかのメキシコ人をその店に誘った。辛いもの好きでは人後に落ちない私は一番辛いカレーを、メキシコ人は勿論私と同じものを注文した。

「人間が食べるもんじゃありませんよ、大丈夫ですか」との店の人の忠告には、本場のメキシコ料理の辛さを知っている者としての余裕の笑顔を返したものだ。

運ばれてきたそれは見たところごく普通のカレーだったが、二口食べて「人間が食べるもんじゃありませんよ」の意味が全身で納得できた。意地で最後まで食べ終えたが、噴き出る汗と鼻水で顔面はぐちゃぐちゃになり、余りの辛さに一切の思考力は消え去り、溶鉱炉と化した口はもはや自分の物とは思えなかった。

しかるにそのメキシコ人は汗ひとつかかず、水も飲まず、涼しい顔で何事もなく静かに食べ終え「とてもおいしい」と言った。

辛いものに対する自信を根底からくつがえされ、上には上がいることを私は思い知らされた。

そして、ああ、翌朝のトイレにおける焼け火箸が下半身を貫いたあの惨劇。


別れときたら酒というステレオタイプの発想から大きく飛躍しているのが山頭火の別れのカレーライスである。

旅先の宿で山頭火が出会ったのは彼が「世間師」と呼ぶ人たちである。旅芸人、行商人、按摩、旅絵師、尺八老人、テキヤ、猿回しなどで、流れる者同士の共感が彼らの間にはあった。その世間師の一人とライスカレーを奢るか奢られるかして別れたのだろうか。残念ながら女との別れでは無かったと思う。

山頭火は彼が九歳の時に自宅の井戸に身を投げて亡くなった母親以外の女には興味を持たなかったように私には思われる。


もしライスカレーを食べながら別れ話をしている男女がいるとすれば、それは酒や紅茶などの別れよりずっと切ない別れだろう。


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