日本人なら梅干しを
山頭火の朝のお茶受けに、そして私の朝飯にも欠かせないのは梅干だ。
我家の食卓に上るのは、紀州和歌山産の南高梅皮ギレという品。
「皮ギレ」とは梅干の皮の一部が破れており、そのため商品価値が下り、スーパーでは安く売られているもの。切れておらずとも、箸を入れた途端にその梅干しは「皮ギレ」になるに決まっている。味に違いがあるのでなければ安いにこした事はない。
積年の暴飲暴食がたたって、医者から塩分を控えるようにとイエローカードを出されている私は、1粒の梅干を2回に分けて食べる。むしりとった梅肉を温飯の上にのせそこにほんの少し醤油を落とし、海苔でくるんで食べるのが慣わしだ。
梅干しにしょうゆでは塩分を控えるどころではないと言われそうだが、この数滴が梅干しの味に深みを与えるのである。梅には強力な殺菌作用があるので、毎朝こうして食べておけばその後何を食べようが恐れる事はないと私は信じている。
こうして毎朝範をたれている私の姿を見ながら、二人の子供は梅干には見向きもしないで育ってしまった。率先垂範が教育のやり方としていつも有効なわけではないことを私は身をもって知ったが、山頭火の次の言葉を3人に教えてやりたいものだ。
『それ(梅干の味)は飯の味、水の味につぐものだ、日本人としてはそれが味へなければ、日本人の情緒は解らない。』(昭和8年6月25日の山頭火の日記)。
梅干し製造会社の人にこの言葉を教えて差し上げれば、自分の仕事対する誇りもさらに増そうというものだろう。
子供の頃、風邪をひいたりなどした時の病み上がり、決まって食べさせられたのが梅干のお粥だった。
日の丸弁当と言う言葉があるが、あれは日の丸お粥とでも呼ぶべきものだった。子供が喜んで食べたくなるものではなく、病気になる度にあの日の丸お粥を食べさせられては、子供としては二度と病気になんぞなってたまるかと思う。そのかいあってか、子供の時分虚弱な体質であった私は、今では病気知らずの体になった。
梅干しに関しては、これも子供時代の記憶だが、頭痛か歯痛かを鎮めるというので、梅干しの皮を両方のこめかみに貼りつけているおばあさんを見たことがある。子供心にも実に異様な光景で、それで記憶に残っているのだが、あれは本当に効果があったのだろうか。
それはさておき、山頭火にも梅干の句はいくつかあるが、その中の代表句はやはり病気との関連で詠んだ次の句。
「病めば梅ぼしのあかさ」
日記にはこんな記述もある。
『梅干の味 私は梅干の味を知つている。孤独が、貧乏が、病苦が梅干を味はせる。梅干がどんなにうまいものであるか、ありがたいものであるか。病苦に悩んで、貧乏に苦しんで、そして孤独に徹する時、梅干を全身全心で十分に味ふことが出来る。』(昭和11年10月11日)
しかし「孤独、貧乏、病苦」ばかりでは、気勢があがらない。
梅干の人気向上のために、彼のこんな句を最後にご紹介しておこう。
「梅干あざやかな飯粒ひかる」(昭和14年の句)
「朝風すずしい梅ぼしを一つ」(昭和15年の句)