雲丹: 玄海灘の波音を
ぬくめしに雲丹をぬり向きあつてゐる
昭和8年7月5日の日記にある句である。
この日、彼は前年の秋、小郡に結んだ其中庵にいる。
3日前の7月2日、山頭火は焼酎と油揚餅と梅酢との中毒で七転八倒し、2日寝込んだ。腐ったものを食べても平気だと豪語する山頭火にしては異例の事だ。
しかしそこは俳人山頭火。転んでもタダでは起きない。
こんな句を日記に残している。
腹がいたいみんみん蝉
それから3日後の7月5日、すっかり本来の健やかな胃袋を取り戻した山頭火は、遊びに来た句友の樹明君に、到来ものの雲丹を振舞った。
雲丹が大の好物である樹明君は温飯にぬってうまそうに食べた。
その情景を詠んだのが冒頭の句である。
中学、高校時代を下関で過ごした私も、当時、瓶入りの練うにをよく食べた記憶がある。山頭火のようにぬく飯にのせて食べるのが本流だが、それに加えて私は、焼いた餅に練うにを塗り、それを焼き海苔で巻いて食べるのを、たまの贅沢な楽しみにしている。
翌昭和9年5月13日の日記にも雲丹が出てくる。
『十時の汽車で黎々火が来てくれた、お土産は鮹壺雲丹、巻鮨(お手製だからひとしほうれしい)。
その雲丹を蛙堂老と青蓋人君とに贈つた、かういふはがきというしよに、―下関名産の鮹壺雲丹をおくります、名物にうまいものなしといひますが、これはなかなかうまくて、初夏の食卓に磯の香が、いや玄海の波音が聞えるこも知れません、』
この鮹壺雲丹がよほど気に入ったのか昭和10年5月4日、長府在住の若い句友、近木黎々火宛ての書簡にこう書き送っている。
『御来庵の節、蛸壺雲丹二瓶御持参を願います、代金は一時お立換を願います。』
下関名産の鮹壺雲丹? 山頭火一人探偵団である私はひっかかるものがあった。
鮹壺雲丹なるものがあるならどうしても食べてみなくてはならない。
私はネットで調べた山口県雲丹製造工業協同組合に早速電話をかけた。
親切な理事長さんが私の蒙を啓いて下さった。
理事長さんのお話はこうであった。
「鮹壺雲丹という名は聞いた事はあるが、見たことはない。
今はその名の商品はない。
おそらく蛸壺の形をした瓶に入った粒塩雲丹ではなかったろうか。
昭和9年という時代からして焼酎漬けの雲丹であった可能性もある。
練り雲丹ではなかったろう。」
鮹壺雲丹を口にする夢は破れたが、せめて粒塩雲丹を温飯にのせて、山頭火の言う「玄海の波音」を聴いてみるとしよう。