豆腐を縛る
昭和五年十月十五日の山頭火の日記より。
「もう二里歩むつもりだったが、何だか腹工合がよくないので、豆腐で一杯ひっかけて山村の閑寂をしんみりエンヂョイする。」
この年の九月九日から山頭火は九州に行乞漂白の旅に出ている。
この日、宮崎県有水の山村屋という宿に泊まり、宿の娘が貸してくれた赤い鼻緒のついた下駄を履いて焼酎を飲みに出かけた。
坊主頭に墨染めの衣を着、赤い鼻緒の下駄を履いた初老の男となれば、誰の目にもかなり危ない人と映る筈だ。
そんな男が居酒屋に入って来て隣に座ったら、私だったらからまれないうちにそっと席を立つだろう。
八十を超えた私の母は、戦後豆腐の味が落ちたと嘆くが、確かに今スーパーなどの棚に並んでいる豆腐は水っぽくて柔らかすぎる。
こんなブヨブヨ体型に甘んじているから、いつまでたっても「豆腐にかすがい」などという不名誉な諺を払拭できないでいるのだと憎まれ口の一つも言いたくなるほどだ。
この時期山頭火が旅している宮崎県や熊本県には、縄で縛って運べるほど固い豆腐が今でもあるそうな。山頭火もそれを食べている。
しかし、宮崎県の人は気を悪くするかもしれないが、彼はこの固い豆腐は好みでなく「やむをえず」食べたと日記に書いている。
柔らかい絹ごしが嫌いで、昔風の豆腐の好きな山頭火だが、これはどうした事だろう、「何かわけがある」と私は思った。
自分の舌でその謎を解明しなければと考えた私は、善は急げと広島市内の老舗のデパートに行き、食品売り場で品出しをしていた中年の女性に声をかけた。
「すみません、かた豆腐はありますか?」
「はっ?」
「固い豆腐はおいてますか?」
「もめん豆腐だったらこちらです」
「いや、もめんでなく、縄で縛って運べるようなものですが」
「何で縛る?」
「縄で縛ります」
「…少々お待ちください、聞いてまいります」
彼女はレジの近くにいた売り場責任者らしき男性に、私の用件を伝えに行った。何が可笑しいのか、二人は体を揺らしながら笑い始めた。
勤務中にあるまじき態度のこの二人は、きっと不健全な関係に違いないと私は見破った。
戻って来た彼女は笑いをこらえるためだろう、眉間にしわを寄せ、歯を食いしばるようにするため鬼瓦の様になったご面相で言った。
「あいにく、こちらには、置いてございません」
私は、本で見たかた豆腐のキャッチフレーズをそのまま伝えただけなのに、「縄でしばる」という私の言葉は、彼女の想像力をいたく刺激したようだった。
あちらのデパート、こちらのスーパーと、かた豆腐を求めて山頭火さながら放浪した挙句、やっと一件のスーパーの棚にかた豆腐を見つけた時の喜びといったらなかった。
手にとると、その名にたがわず硬く、ずっしりと重い。
これなら私だって縄で縛ってみたくなる。
袋の説明によれば、フライパンで焼いて好みのソースで食べるのが上策だが、鍋物、白和え、冷奴にも対応可とある。
私はフライパンで焼き、醤油をかけ、葱と生姜の薬味で食べてみた。
宮崎で「やむをえず」この豆腐を食べた山頭火の気持が分かった。
水分がなさ過ぎるのである。
過ぎたるは及ばざるがごとし、水ぶくれでもなく、パサパサでもない、ほどよい豆腐を山頭火は好んだのだ、という当たり前すぎる結論がこの日の唯一の収穫だった。