何もかも雑炊
何もかも雑炊としてあたたかく
これは昭和9年2月17日の日記にある句である。
前夜、山頭火は句友であり、脱線友達でもある樹明と一緒に知人を訪ね、例によって酒盛になった。
一升瓶を何本か倒し、そこを辞去してから2人はあちこち飲み歩いた。
ちなみに「脱線友達」とはいざ飲むとなればとことん付き合ってくれる俳句友達、国森樹明に対する山頭火流の親愛表現だ。
同日の日記に山頭火は、無残な酔態の樹明に向けてこう書いている。
「酔て乱れないようにならなければ、人間は駄目、生活も駄目だ」
誰よりも酔って乱れ、人間的に駄目になり、生活も駄目になっているのは、そう言っている先生御自身である。あなたにだけは言われたくない、と誰だって思うだろう。
自分の事は棚に上げ、という言葉を聞くと、私は山頭火のこのエピソードを思い出さずにはおれない。
若い頃、私にも脱線友達がいた。
彼らと夜が明けるまで飲み、港の小さな食堂で、魚のあらの味噌汁を酔い覚ましに飲んだりしたものだ。よくあんな体力があったものだと今では思う。
さて、この句の雑炊、おそらく2日前の2月15日の晩に食べた雑炊をうたったものだろう。
日記ではこうである。
「晩の雑炊はおいしかった。どうも私は食べ過ぎる(飲みすぎるのは是非もないが)、一日二食にするか、一食は必ずお粥にしよう。(略)何を食べてもうまい!私は何と幸福だろう、これも貧乏と行乞とのおかげである」
その時手物にあるものを何でも放り込むのが山頭火流の雑炊だ。
昭和8年3月28日の日記にも雑炊をうたったこんな句がある。
春がしける日のなにもかも雑炊にしてすする
米を節約する為に、野菜を入れて増やした事から古くは「増水」の字をあてたそうな。
米びつがからになる事が珍しくなかった山頭火の食卓に、雑炊がしばしばのぼった事は間違いないだろう。