彼らの永遠 5
幸運なことに帰りに湯川に遭遇することはなかった。駅まで一緒に帰った日代がほっとしたような微妙に残念そうなむぐむぐとした顔のまま反対方向に向かうのを軽く手を振って別れる。怖いもの見たさか、そうか。
「言ってないの」
「え?」
「蕪木に、髪切り魔のこと」
「切られてないし切らせないよ……」
「特殊性癖な不審者のこと」
「ヘアージュエリー自体は賛否両論あるとはいえ特殊性癖じゃないよ……」
「嫌がる女の子に髪くれ髪くれってねだり続ける男を特殊性癖と言わず何になるんだ」
「……」
言われてみればそうだった。
「普通に考えてみろよ。『君の心臓が欲しい』とか『どこでもいいから君の内臓が欲しい』とか言われても流石に冗談だなっていうかそのくらい思ってくれてるんだなとかそんな風に解釈出来るけどさ」
「君の心を欲しがるレベルで君の臓器を求めないでよ……」
内臓はしまっていてこその内臓だ。
「髪はリアルだろ。自然と毎日抜けるものだし、やろうと思えば誰でも切れる。御影だって髪型を変えるために美容室に行く。当たり前に。違う?」
「そう……だね」
「顔色悪かった」
「え?」
「朝。顔色が悪かった。言ったじゃん。……一週間も毎日何度も何度も髪くれ髪くれ言われたらノイローゼになってもおかしくない。ただでさえ暗い部屋に一日中篭ってるんだから」
「……」
確かにいつ精神が崩れてもおかしくない状況かもしれなかった。卒業がかかっている作品制作。迫る締め切り。無事提出出来てもそのあとは監督コース技術コースの生徒教授陣たちがずらりと並ぶ中大スクリーンで上映、評価だ。段々畑のようになった座席といいスクリーンといい音響といい全ての設備が映画館並みかあるいはそれよりも大きく性能のいいあの空間で。あまりにも技術が足りていなければその場でこてんぱんに酷評され落とされる。やり直しだ。どこからやり直しなのか、卒業までに終わるのか、それは誰にもわからない。
そうかーーーと、ほんの僅かに眼を伏せた。
おかしくなっても、おかしくないのか。
「話だけでもしておいたら? 家族みたいなものだろ」
「……そうだね」
そう、だ。
地元駅の無料駐輪場に入った。無料ということで並べ直す係りのひとが毎日いるわけではない。定期的に来てこの狭い敷地にそれなりの秩序を取り戻し、そしてそれは次の日には溢れ返って消えている。
消えかかった街灯がちかちかと瞬き、一瞬光を放つことによってそこにある暗闇を引き立てている。恐らく、想定外に。
そうしたかったわけではないのだろうなと思いながら、なるべく端の方に停めていた自転車に向かいながら鍵を取り出し、
かしゃんっ。
「……」
手からすり抜けた小さな銀色が、少し離れた駅から届くアナウンスよりも大きく響いた。
「……は、」
何を。ーーーどう言えって言うんだ。
髪。かみ。絶対あげない。ーーーねえともり。ここ一週間毎日酷いと一日何度も、髪くれ髪くれってねだりに来る変なひとがいるんだ。一応話だけはしとくね。
……いや、困るだろう。普通に。普通は。ただ無闇に心配をかけるだけだし。おかしくなってもおかしくないだけで、ミユキはこれくらいのことじゃ残念ながらおかしくならない。何故ならとっくの昔におかしくなっているから。
屈んで鍵に手をのばした。指先で拾う。……ぶーっと、メールが受信した。自転車に乗る前に確認しようとスマホを取り出し、ーーー視線が一瞬、固定され、
じゃきん
刃と刃の擦れ合う乾いた音、
「ーーーッ!」
身を屈め横に飛び退いた。飛び退いた先にあった何台ものジャンクみたいな自転車を薙ぎ倒しながらも音から距離を取り顔を上げる。瞬く街灯。見開いた眼の先に走り去る黒い人影。
男ーーーだった。
背丈から見るに、男だった。
「……」
手繰るように、浮かぶように思い出してーーー受信したメール。
登録されていないアドレス。
たったひとことだった。
『 く れ な い な ら 、 』
舌打ち、した。




