ブレイブ・ガール ブレイブ・ハート
〈 ブレイブ・ガール ブレイブ・ハート 〉
「御影先輩がロビーで電話してた!」
「えーっ、例のあのひととっ?」
「たぶん例のあのひとと!」
親友も大好きで翻訳も原書も持っている世界的に有名な魔法遣いの少年の物語。それに出て来る宿敵の通り名。ーーーこの場合、決して宿敵ではなく寧ろ親友を恋い慕う存在。蛇のような地を這うシューシューした声で呼ぶ者ではなく、愛おしそうに弾んだ甘い声で親友を呼ぶ者の話。
「見たことある! すっっっごく格好いいの!」
「歳下だっけ? 今大学生の」
「三木先輩、例のあのひとって今何年生ですか?」
「三年生だね。三つ歳下」
「きゃーっいいなあっ」
何がきゃーなのかわからないが三人が三人頬を染め楽しそうに騒いだ。和室に敷かれた布団の海の上、宿のお揃いの浴衣を着た二十代の女子がきゃっきゃとはしゃぐ。
今大学三年生と四年生と社会人一年目とそれから自分たち二年目と。かつては大学一年から四年だった自分と後輩たち。五人でやって来た一泊二日の女子旅は、夕飯を終え温泉にも浸かり部屋でお酒とお菓子やつまみを前に、今が最高潮に絶賛盛り上がり中だった。何が楽しいってひとの恋路模様をきゃーきゃー言うのが一番楽しいし盛り上がる。
「同棲してるんでしょ? きゃー!」
「あんなイケメン、いやイケメンと呼ぶのも憚れるくらいのイケメンと同棲! きゃーっ漫画みたい!」
「しかも御影先輩にべた惚れなんでしょ? きゃー!」
本当に楽しそうだった。久しぶりに会ったけど元気そうで何よりだなあと一番年長者として目を細めて見守る。
「例のあのひと、外見桁並み外れてるけど。でも御影先輩も不思議な感じに目立つよね!」
「ね! 派手とかじゃないしむしろどちらかというと控え目な感じなのに。あの眼でじっと見つめられたらどきっとするし男ならまず落ちる」
「わかる。さっき鍾乳洞行ったじゃん、暗い中でも眼がきらきらしてるのがわかるの。キャッチ入れてないのに」
「黒いのに日本人じゃない眼みたいだよね。どこか異国的っていうか、普通とはどこか逸してる眼っていうか」
「睫毛もつけまか! ってくらい長くて目元もぱっちりしてて黒目とかすごく大きいし! 下睫毛も見た? 滅茶苦茶長いよ。あの眼が欲しい」
「確かに。覚えてる? 昔横谷が連れて来た他大学の読モの女がさ、」
「あー覚えてる」
「え、なになに?」
「『わあ、目がおっきぃ、腕のいいお医者さんだったんですねえ』って言ったの」
「うわー嫌な女!」
「御影先輩きょとんとしてから『ああ!』って顔になって、」
「なって?」
「『私血が止まりにくいしケロイドになり易い体質なのでなんにも出来ないんです。それよりそのピアスすごくかわいいですね!』って返して」
「通じてない! 格好いい!」
「読モ女ぽかーんとして、そのあとも何度も突っかかって」
「懲りない!」
「でも御影先輩があの御影スマイルで『綺麗な声ですね』とか『仕草がかわいいですね』とか『体冷やしちゃ駄目。これ着てください』とか『かわいいは正義。ねえ、今度自主制作するんですけど、お話正式に持って行ってもいいですか?』とか。外見も中身もかわいいかわいいってにこにこして言ってたらすっかりたらされちゃって、今じゃ御影先輩大好きっ子」
「それ香織ちゃんのこと? こないだもユキん家遊びに来てたよ」
「そうです香織ちゃん! ちょっと性格きついところあったんですけど今じゃそれすらかわいいという香織ちゃん!」
「御影先輩ひとたらしだからなーっ」
「無意識だから尚更ある意味強敵。髪もさ、不思議な色ですっごく綺麗!」
「わかる! はじめて見た時『これ何色なのっ?』って思った! 染めたにしても見たことないし! そしたら地毛だって話だからびっくり!」
「高校生ぐらいにしか見えないあの童顔! もう二十四なのに!」
「こないだまた補導されかけてたよ!」
「あのちまっとした小動物感! 私が男ならキャミにショートパンツに自分のパーカー着せて膝の上に抱っこしてあの眼見つめながら髪の毛さらさら撫でたい!」
「それをやるのが例のあのひとですよ」
「きゃーっ!」
ガソリンを注いでやると悲鳴が三つ綺麗に重なった。
「ずいぶん楽しそうだねー」
のんびりとした口調でロビーから戻った親友が部屋に入って来た。片手にはスマホ。同居人の青年との電話は終わったらしい。
「ともりくんなんだってー?」
「『こっちは問題ないからゆっくり楽しんでおいで』って」
「『でも少しさみしいかな。帰って来たら俺の相手もしてね。夜更かしして一緒に映画観よう?』とか続いた?」
「……」
何でわかった、という顔をする親友ににんまりと笑った。相変わらず都合の悪い、というか困るところはさらっと隠す友である。きゃーっと三人がまた騒ぐ。
「そんなナチュラルにいちゃついてるんですかっ!」
「そんなナチュラルにいちゃついてるんですこの二人は」
「ちょ、吉野。何を仰る」
「うわー真野先輩の出番ないですねこれは!」
「ん? 何で真野さん?」
「何でもないですよー! 先輩、例のあのひとと同棲何年目ですかっ?」
「なにその執念深い蛇面の悪役みたいな呼び方……や、同居ね、同居。三年目だよ」
「三年目! 長いっ!」
「なが……いかなあ、確かに短くはないね」
「同居人とはどこまでいったんですかっ?」
「自由の国」
「そういう意味じゃないってわかってますよねーっ?」
「……わかってるけどね。残念ながら期待に添えることは何にもないですよー」
「じゃあプレゼント! 例のあのひとからもらったプレゼントで何がうれしかったですかっ?」
「ぷれぜんと……」
少し考えるように親友は間を置いた。その深い色合いの眼がふわっと虚空を彷徨い、音もなく奥で静かに輝く。思い付いたようにぱっと明るい表情を見せた。
「包丁。こないだ包丁もらったの。気に入ってるところの包丁ですごくうれしかった」
「……包丁?」
「うん、こないだいろいろあって使ってた包丁一挺使えなくなっちゃって。気に入ってたからすごく残念だったんだけど、誕生日でもなんでもないのに買って来てくれたの。それ使って料理するのがすごくうれしいし楽しいんだ」
「彼氏にもらった包丁使って彼氏に料理作ってあげてる先輩まじかわいい」
「同意」
「同感」
「あの、彼氏じゃないから」
「変わったプレゼントですけど、でもよろこぶものピンポイントでくれるなんて先輩のことよく見てるんですねーっ」
「うん、でもその時私お財布に五円玉なくってね。だからあわててコンビニ行ったの」
「五円玉?」
「包丁って刃物だから、ひとにあげる時『縁を切る』って意味になるんだよね。だからもらった側は五円玉を、『ご縁』を結ぶってことでくれたひとに五円玉を渡すの。……まあ迷信って言ってしまえば迷信なんだけどね。包丁はうれしかったんだけど縁が切れるのは嫌だったから、十二時過ぎてたんだけど急いでコンビニ行ってアイス買って小銭崩して」
思い出してくすくす笑う親友にちょっと気になって声をかける。
「ひとりで行ったの?」
「ううん、ともりも付いて来てくれた。遅くに悪いことしちゃったな」
「……どうかなあ」
自分との縁を守るために五円玉を求め深夜にも関わらず外出しようとする女の子を放っておける青年ではない。むしろ嬉々として靴を履く青年しか思い浮かばなかった。
「夜遅かったもん、迷惑だったよ、きっと。……お詫びにともりにもアイス買って、食べながら帰った」
「ね? 言ったでしょ、ナチュラルにいちゃつくって」
「ほんっとナチュラルですねーっ!」
「子供出来たら教えてくださいね!」
「楽しみにしてますから!」
「結婚してないしそもそも付き合ってないから! というかいろいろ飛ばし過ぎでしょ、同居人だよ?」
いや、親友が一瞬でも許した瞬間そりゃもうしばらく寝かせてもらえないレベルだと思う……と思ったが、言わないほうが後々おもしろそうなので言わなかった。
「よかったね、包丁」
しんと静まり返った夜の中そう言うと、穏やかな月明かりに照らされた親友は綺麗に微笑った。
「うん。すっごくうれしかった」
後輩三人は眠りに付き、障子を閉めて窓際の低い椅子に小さなテーブルを挟んで座り合う。親友が微かに動くとやわらかな夜の光にその髪が一本一本くっきりと浮き上がるようになめらかに光り、昼間の光を受けた時とはまた違ったニュアンスの色をふわりと孕む。
「あの時の包丁の代わりでしょ?」
「うん。刃が欠けたりはしてなかったんだけどね。でも、残念だけどもう使って欲しくないって言うから」
「処分したの?」
「ううん。お母さんに送った」
ふるり、と首を横に振る。
「何にも説明しなかったけど。でも元はと言えばお母さんが使ってた包丁だし、それに」
「それに?」
「包丁握ったまま階段から落ちたり体当たりされたりしたのに、私もともりもほとんどその包丁で怪我しなかった。……護ってくれたのかなって、思ったの。そんな包丁を処分したくなくって」
「……そっか」
「でも、その包丁見るときっとともりが悲しくなるから。何度も、後悔するから。……それは嫌だから。だから、これでいいの」
「……うん」
大事に大事に。
親友のことを愛する青年。
「……」
「吉野?」
「……喧嘩するようにもなったんだね」
「……先日はお騒がせしました」
「いやいや、楽しかったですよ。……そっか、喧嘩するようになったんだなあ……って感慨深くなった」
「……うん」
「……痕、無事全部消えてよかったね」
「……見たな」
「さっき温泉入ったじゃん。『そろそろ消えちゃった? いつかまた付ける日が楽しみだな』とか言われたでしょ」
「うちに盗聴器か何か仕掛けてるでしょ?」
「あはは」
「否定して」
「仕掛けてないよ」
「遅いよ」
「あはは」
ーーーどこか遠くで、梟の鳴く声。
「……歳下だけどさ」
「ん?」
「ともりくん、歳下だけど。……ユキ、良くも悪くも歳下は『歳下』って見るから。対象とか、そういう風には考えないでしょ?」
「……」
「そろそろ、真面目に考えてもいいんじゃない?」
「……」
「『歳下』以外にもまだいろいろ理由はあるんだろうけど」
自分が知らない親友の傷。
数年前から三月に体調を崩し、酷い時は入院までするようになった親友。
何かがあった。誰かがいた。
誰かと、いた。
音信不通になったり。世界のどこに行ったのかわからなくなったり。
それでもまだぎりぎり、まだ辛うじて帰って来る親友。
「……」
ーーーそう遠くない未来。
ここではないどこか遠くに行くのだろうと、識っている。
ーーーだからこそ、その前に。
「……吉野は」
やわらかい、少しだけ苦味の混じった声。
「要くんと私にそうなって欲しいと思ってると思ってた」
「……うん。思ってたし今もまだ少し思ってる」
「そっか」
「でもそれはもうないから」
「うん」
「ともりくんならーーーまあ、あげてもいいかな、と」
「そっか」
「まあユキが誰のものになっても一生私の女なんだけどね」
「吉野大好き」
「知ってる。当然」
笑ってそう言うと、親友はまた、とても綺麗に微笑った。
くすくすとあたたかく笑う小さな声に目を覚ました。ぼんやりと眼を開けると、明るくなった室内、後輩三人が固まって何かを見下ろしていた。
「おはよー……どうしたの?」
「おはようございます、三木先輩」
「見てください、ほら」
「ん……? ああ、あはは」
小さく笑う。四人で見下ろした視線の先、白い布団の上にその髪を扇のように散らして眠る親友。
胎児のように軽く身体を丸め、小さな身体はさらに小さくコンパクトになっていた。
「いやもう……寝相すらかわいいとか。元から童顔なのに寝顔だからさらに幼く見える」
「見えるのにね。浴衣だから寝乱れてて色っぽいし。ほら脚とか」
「昨日温泉入った時思ったけど、御影先輩って着痩せするタイプだったんだね……お腹はぺったんこだし腰は細いし脚もほっそりしてるけど、胸、綺麗だったねー」
「ね。ほどよい感じで形も良くて。小柄だけど手も脚もすらっと長いし。例のあのひとはこの身体を日夜好き勝手してるのか……」
「やー、付き合ってないからね。……今はまだ」
スマホを取り出しあどけなさと際どさを同席させた妖しい寝姿の親友を写真に納めた。そのまま操作し画像を送る。
既に起きていたのかすぐに既読が付いた。ふぱっと音がして返事が来る。
『三木様ありがとう』
『どういたしまして。まだ食べちゃ駄目だよ』
『いつかはいいの?』
いい加減気配がうるさくなったのか半分眼を閉じたまま親友がよたっと起き上がり、ゆっくりと瞬きして、「ここはどこだろう」という顔できょとんとした。その表情をきゃあきゃあ言いながら後輩が写真に納める。
ふ、と笑った。
『いいよ。あげる』
〈 ブレイブ・ガール ブレイブ・ハート ブレイク・ライン 〉




