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君の世界の入り方 12


額の端を切ったのか血が出ていた。全くもって気付かなかったけれど。切られた頰の傷に当てられたガーゼが違和感しか伝えて来ない。表情を変え難いし喋り辛い。

運ばれて来た病院の治療室のベッドの上。頭に巻かれた包帯が独特の匂いを漂わせる中、警察に全てを話す。彼女は今別室で女性警官に話を訊かれているはずだった。

あのあと、三木と三崎と要が飛び込んで来て男二人であれを取り押さえた。争う気力を全て彼女に刈り取られたのかあれは一切抵抗を見せず、そんなあれを要が殴り付けた。恐らく渾身の力だったのだろう。歯が折れたのか血を吹き出したあれはだらんと弛緩して床に沈んだ。

「いいか、俺が殴ったんだからお前は殴るなよ」

圧し殺し、殺し損ね血みどろの地を這うような声で要が言った。ーーーその意味が身に沁みてわかったのは病院に運ばれ治療も済んだついさっきだ。

あれを下した手で彼女に触れるな。

要も三木も愛すべきクラスメイトも、それを望まない。

あの時は聞こえてはいたが理解なんて出来ず、何も言葉を返さず彼女を抱きしめようとした三木を押し退け彼女を抱きしめた。強く強く。彼女が苦しいくらい強く。

怖かった。ーーー本当に、怖かった。

「大丈夫だよ。ともり。もう大丈夫だよ」

遅くなってごめんね。ーーー腕の中でそう繰り返し続ける彼女に何度も首を横に振りきつくきつく抱きしめ続ける。ーーー何でだよ。何で俺、彼女に守られてるんだ。

呼んだ警官にあれを引き渡すのは要に任せ、三崎の運転で病院へ向かう。よくよく見れば彼女の脚や首元は薄く切れていた。攻撃に転じた時にあれの持っていた凶器に触れたのだろう。押し倒された時に出来たのかあちこちに打ち身や痣が出来ていて、傷を負うのも構わず攻撃した彼女の決断に今さらながらにぞっと背筋が寒くなる。ーーーもしあの凶器が刺さっていたとしたら。ーーー彼女は。

全てを話し終えると警官は少し躊躇ってから、

「ということは、罠だった、ということですね?」

「……半分はそうです。彼女が帰って来るのは想定外でした」

認める。提出したそれを手に、警察は困ったような顔をした。

廊下に仕掛けておいたカメラ。階段と階段下を映すように角度を付けて隠しておいた。凶器を持ったあれと縺れ合い落下しそのあと階段下で乱闘するところまでがばっちりと映っていた。……そしてそのあと、彼女が現れたあとのあれの暴行は、

「君の仕掛けたカメラでは範囲的に映っていなかったんだけどね。……三木さんのスマートフォンのカメラが偶然起動していたらしくて、全部が映っていたよ」

全部が。ーーー凶器を持ったあれに彼女が押し倒され、蹂躙された全てが。……最悪の展開には、なっていない。ーーーだから何だよ。自分の眼の前で彼女は襲われた。

「御影さんを保護していた三木さんは、深夜御影さんがいないことに気付いて彼氏と元担任の先生に連絡した。手分けして御影さんを探して、三木さんが家に辿り着いた。鍵が開いていたのと激しい物音がしたので中に入ると、刃物を持った男が君を襲って御影さんも襲っていた。怖くて動けなくなった三木さんが助けを呼ぼうとスマートフォンを出した時、操作を誤りビデオアプリが起動した。……連絡する間も無く、彼氏と先生がやって来てくれたので恐怖が消えて三人で中に飛び込んだ。……そう話していたよ」

映像の『全部』。……それは嘘だ。三木はきっと途中で、録画を止めた。ーーー彼女が攻撃に出る直前に。

ナイフを振るった彼女の姿は、どこにも記録されていない。

……そうか。そういう筋書きを実行させたのかと、頭が全てを理解する。

「……大変だったね。ゆっくり治療してください」

「みーさ……彼女に会えますか」

「もう話も終わってるはずだよ。呼んでこよう」

うなずき、警官が部屋を出た。……ほんの少し経って、扉が静かに開く。……入って来たのは彼女だけだった。首元や脚に治療を受けた印のガーゼを貼り付けた彼女。扉からベッドのほんの数歩の距離を彼女は駆け寄り、その小さな手が自分にのびた。

「ともり……!」

「みーさん」

駆け寄って来た彼女を抱きしめた。が、彼女はゆるくもがいて身を離す。拒絶されたとぞっとし硬直すると、彼女の手がガーゼのない方の頰に触れた。

「遅くなってごめんね、怪我させてごめんなさい。ごめん、本当、本当にごめんなさい。痛かったね、こんなたくさん、痛かったよね……」

がたがたに揺れる声で彼女が言う。激痛みたいなその声は、……心が痛くなるほどの心配しか、含まれていなかった。

硬直が解けた腕で今度こそ彼女を抱きしめる。しっかりと。逃がさないように。頰に触れた彼女の手に今度は自分がすりっと頰を擦り寄せ、膝の上に彼女を抱き上げた。

「わっ……」

「全然平気。身体は痛くない」

身体は。ーーー心は。

「ーーー全部、みーさんが考えたんだね」

向き合うように膝の上に乗せた彼女を抱きしめ、耳元で小さくそう言った。

「みんな反対したでしょ。ーーーどうして大人しくしてくれなかったの」

「ーーー説得、したんだよ。野放しにするより効果的だって」

小さな声で彼女も答えた。扉の外にいるであろう警官に聞こえないように、小さく。

「みんなが飛び込んで来るタイミングも。全部ちゃんと打ち合わせした」

全部ちゃんと。ーーー彼女は、彼女が襲われるところまで自分で把握し、その上で決めて下した。

言い逃れ出来ないように。どうやっても免れないように。ーーー罪に問えるように。

「こんなに怪我して、ともりには悪いと思う。申し訳ないと思う。……それだけが想定外だった。ごめんね。遅くなって……ごめんなさい。ごめんなさい……」

「違うでしょ。身体は平気なんだよ。違う」

そうでは、なくて。

「じっとしてて、欲しかった。仮にあれを完全に封じれる方法があれしかなくても、何もしないで欲しかった。……好きな女の子が眼の前で襲われてるのに何も出来ないんだ。やめて。……もう二度と、あんな死んだ方がましな絶望に俺を落とさないで」

びく、と、たじろいだように彼女が身じろいだ。……ややあって、かくんと細い首がうつむく。……ごめんなさい、と、ほとんど吐息みたいな声で彼女は言った。……そのさらさらとした美しく不思議な色の髪を、そっと撫でる。

「うん。ーーーでもごめん、赦せない」

「はい」

「みーさんもあの時の俺を赦さなくていいから」

「はい」

「俺も今回のみーさんを赦せない」

「はい」

自分を傷付けることを平然と選んだ彼女。

知っている。それが彼女だ。ーーーでも、こんな風な。心を殺されるような選択肢を。

ーーー選ばないで、ほしかった。

赦せない。そう言いながら、彼女を抱きしめ続ける。

赦せない。ーーーそれでも離れる気なんて、さらさらなかった。


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