君の世界の入り方 9
橘の世界は、理解されなかったのだそうだ。
サークル勧誘中の、体験イベント。
家のリビングや居酒屋や路地裏。授業で使ったセットをそのまま借り、新入生に即興で脚本を書かせそれをその場で『映画』にして見せる。役者もカメラマン等の技術スタッフも全てサークル内でやりくりし、新入生に興味を持ってもらおうと短い撮影を繰り返す。
橘が書いた脚本は、その場にいた新入生には理解されなかった。
面白味も。主人公の心情も。鬼気迫るような迫力もなけば特別もない。『日常』もない。あまりに起伏が薄く、何がおもしろいのかと、誰も理解出来なかった。
しかし、それをカメラマンと照明としてその場にいた二人は動いた。
『やってみようか』彼女が微笑む。近くにいた新入生にやわらかく呼びかける。『ライトに興味あるひと、いるかな?』
真野がカメラを起動させる。『カメラに興味ある奴はこっち。照明が出来るまでカメラ弄ろう』
そんな二人を見て興味を持った人間が少しずつ寄って来る。波のように。惹かれるように。
ごくごく簡単にだが照明を組んだ彼女は、午後の暮れかけの光をオレンジではなく黄色で表現した。オレンジになるほんの少し前、たった一瞬、世界が見せる鮮烈な色。
真野がカメラを向ける。
『ーーーほら、出来た』
橘の夢見た世界の中で、彼女が微笑った。
「ーーー御影先輩は?」
帰宅し、真野と電話で話し合いいろいろと聞き出した数時間後。
大学とバイトを終え十一時過ぎにやって来たそれはリビングに入ると同時そう言った。
一度眇めるようにして見て、低く答える。
「……体調崩してもう寝てる」
「具合悪いのか?」
「……疲れが出たんだよ。一昨日まで長期入ってたんだし。熱が出て来たから今日はもう寝るって部屋に行った。……わかってると思うけど絶対に近付くなよ」
「……誰かそばにいなくていいのか?」
「っせえな、うつるからって追い出されたんだよ」
「……まあ、先輩らしいけど」
今日はもう会えないのか、とでも言いたげにそれが目線を落とす。
「俺の荷物はーーー」
「それだ。クローゼットの中身適当に詰めて来た。文句言うなら全部棄てるからな」
「……わかったよ。助かった、どうも」
言って、片隅に置かれた鞄を手に取り開ける。中身に満足したのかしないのか、興味がないので見届けることはしない。
「俺ももう寝るから。うるさくするんじゃねえぞ」
「……しねえよ」
言い置いて。
誰もいない二階に引き上げた。
当然ながら、あれに言ったのは嘘だ。彼女は部屋にいないし、体調を崩してもいない。
深夜、その暗さにそっと息を溶け込ますように呼吸してーーー気配を、探る。
微かな足音と共に、階段を上る音。
ゆっくりと立ち上がり、ドアと対峙する。
気配が、部屋の前で止まってーーーかちゃりという微かな音と共に、ドアが開く。
真っ黒な輪郭。街灯の光が微かに差し込むところまで、足を進めてーーー
「……なんだ。やっぱり嘘か」
がっかりしたように。
希望が裏切られたように。
それはそう言うと、深く嘆息した。
手にした刃物が、微かな光を受けぎらりと輝いた。




