君の世界の入り方 7
「ともり、本当、顔色悪い。何があったの、大丈夫?」
焦る声。声音には悲痛な痛みさえ混じっていて、ああ、本気で心配をかけていると心が痛んだ。
車を止めた駐車場まで戻って来た。三木は厳しい表情で無言のまま。あれが何を求めあの女と付き合ってたいたのか、それが全てわかったらしい。あの女を見なかった彼女だけが取り残されていた。
「大丈夫。大丈夫だから」
「大丈夫じゃーーー」
「ともりくん。少し休んだら? 私、飲み物買って来る」
「吉野!」
「大丈夫。ともりくんといて。さっき通ったコンビニ行くだけだから」
「ーーーわか、った」
こくりと彼女がうなずく。それを見た三木は今度はこちらを見た。義眼を含んだ両の眼でこちらを見てうなずき、踵を返す。……時間を作ってくれたことにほっとした。リモコンで車を解錠しトランクに荷物を放り込み、後部座席のドアを開け乗り込んだ。彼女に手をのばす。
「みーさん」
不可解であろうこちらの行動に何の疑問も迷いも見せず、間髪置かず彼女はその手に自分の手を乗せた。手の中にある華奢な手を握り引いて、彼女も後部座席に乗せる。ドアを閉めそのまま彼女の手をさらに引く。
「わっーーー」
驚いたように小さく声を上げた彼女が胸に飛び込んで来る。それをそのまま抱きしめた。強く。もしかしたら彼女が少し苦しく感じているかもしれないくらい強く。
彼女は抵抗しなかった。腕の中に収まったまま、心配そうに「ともり……?」と名前を呼ぶ。
「ともり、どうしたの……? 何があったの……?」
「……ごめん、やっぱり大丈夫じゃなかった」
「うん」
「……少し、こうしてていい?」
「……いっかい、離してくれる?」
言われるがまま腕を弛めた。胸に押し付けるようにしていた彼女が顔を上げ、その深い深い海の底の光のような全てを呑み込みそのまま映す眼が、至近距離で自分を見つめる。
眼が合ったのは一瞬だった。自由になった彼女がきゅうっと抱きしめてくる。ふわんとあたたかい重みが自分にかかり、やわらかい香りで満たされる。それに応えるようにもう一度、強く抱きしめた。
腕の中の華奢な身体。顔を埋める儚いグラデーションを描く髪。頼りない力で、けれど力いっぱい抱きしめてくれるかけがえのない大切な女の子。
大丈夫。大丈夫じゃない。
あなたの存在に、心がこんなにも安堵する。
「……みーさん」
「なあに?」
その美しい髪を梳き、この世界で彼女だけに伝えるように耳元でささやいた。
「……好き。本当に、好きなんだ」
「うん。うん。ーーー知ってる」
あたたかさを、その存在を、愛おしさを満たされるまで味わって。
運転席と助手席にそれぞれ収まって少し経つと、三木は戻って来た。
「籤引いたら当たりが出たよ。みんなで食べよう」
飲み物を渡したあとに三木は言った。何事もなかったかのように。
「……三木さん前も当ててなかったっけ?」
「吉野は籤運いいんだよ。それに晴れ女なの」
強い女だった。相変わらず。
差し出された袋からひとつ摘む。チョコレート菓子。口に含むとほっとする甘さを伝えてくれた。
「じゃあ行こっか。三木さん、どうする?」
「一度家に帰ることにする」
「わかった」
対策を練るのだろう。あちこちに連絡して情報を集めて。それは今あれがいる状態では出来ないことだった。
「みーさん、しばらく三木さんちに泊まって?」
「ーーーえ?」
「大丈夫、少しの間だけだから」
「ーーーともり?」
助手席で彼女が眼を見開くのがわかった。質問さえも受け付けないと、エンジンをかけ車をスタートさせる。
「ともりーーー何で、」
「何でも。ごめん、今運転中だからあんまり話しかけないで」
「っ、停めて!」
「停めない。ーーー三木さん、よろしく」
「わかった」
「吉野!」
もどかしげに彼女が後部座席を振り返った。三木が首を横に振るのをミラー越しに見る。
「駄目。ーーーあれは、駄目」
「何がーーー」
「要くんも一度うちに来るって」
「要くん? ーーー何で、要くん?」
彼女たちが信頼する一生の担任。
絶対的な守護。助けを求めれば、要は躊躇しない。
ーーーそんな要を呼ぶ、それが示す意味。
爆発的な思考の跳躍力。あの女を見てもいないはずなのに、彼女の思考は一瞬で答えを導き出す。
「ーーー、は……」
隣の席で。彼女が呆然とするのがわかった。
「今あれは大学に行ってる。みーさんの荷物は全部あとで持って行くから」
「ーーーともり」
「うん。ごめん。絶対に駄目。ーーー嫌だ。近付けたくない」
「……っ」
彼女の手が真っ白になるのを見た。血の気が失せるほど強く、拳を握りしめるのを、確かに見た。




