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青年と女の三月



どこか遠くへ行きたい。遠く、遠くへ。ここではないところへ。ーーー出来れば、彼のいるところへ。



一年前の今、名前を呼ばれながら一緒にいたはずだ。考えるな。

一年前の今、手を繋いで歩いていたはずだ。考えるな。

一年前の今、想いを受け止めてもらえていたはずだ。考えるな。


考えるな。

思い出すまでもなく覚えているから。

一瞬たりとも片時も心から離れないから。

心が全部、あなたに向かうから。

叫びたくなる。滅茶苦茶に絶叫して喚き立て慟哭し、存在全部が無くなるくらい全てであなたを求める。

一緒にいられるのなら、それが何処であろうとわたしは幸せなのに。

さみしい。寒い。

手を差しのばして欲しい。手を繋いで欲しい。あの大好きな眼の色が欲しい。

笑いかけて欲しい。髪を梳いて欲しい。頰を撫でて欲しい。抱きしめて欲しい。

そばに居て欲しい。

あなたがいないと、わたしは寒くてたまらない。



ーーー手のひらが、あたたかさで包まれていた。

自分よりも大きなあたたかい手のひら。それがすっぽりと、なにも掴めない自分の手を握っている。

あの大好きで心地良い手ではない。いつだって自分が求めている彼の手ではない。

けれど嫌悪感は感じずーーーそのあたたかさに無意識の内に目を開けた。

「あ・・・・・・」

自分の手を握る男がひとり、痛々しく掠れた声を漏らした。

「みー・・・・・・さ、ん、」

みーさん。

誰?

「みーさ、ん。・・・・・・みーさん」

縋るような声。

求めるような声。

自分の手から片手が離れ、恐る恐ると言った様子でのばされた指先が、頰に触れる。

「・・・・・・あったかい」

微かに震える手が、確かめるように頰を掠める。

「・・・・・・よかった・・・・・・」

目の前にいる男は。ーーー少年は、その黒曜の瞳からぼろぼろと涙を流しはじめた。

「みーさんが、死んだかと思った」

強く強く、手を握られる。

少年を見て、そのあたたかさを以ってーーーようやく、自分が少年を酷く動揺させていたことに、気付いた。

「・・・・・・ともり?」

握られている手をのばそうとしてーーーその腕に、点滴が刺さっていることに気付いて、愕然とする。

「ともり・・・・・・なんで、泣いて、」

もう片方の手で頰に触れると、指先に手のひらにあたたかい涙が溢れる。本当に、本当に少年が泣いていることを知って、どうしようもなく驚く。

「みーさん、起きなくて・・・・・・声かけても、おきなくて・・・・・・」

「起きない? 今ーーー」

何時なのか。外を見て、もうその日が暮れかけているのを見て愕然とする。

どうやら病室らしい部屋。ベッドで点滴を打たれ横たわる自分。

昨夜ーーー吐いた、あと。やはりどうしても眠れなくて、睡眠薬を飲んだ。

一人暮らしの時ならともかく、同居する少年がいる今となっては放っておくわけにもいかない。どんどん体調が悪化していくのを隠さなければならない。せめて睡眠だけでも摂ろうと、処方された薬を飲んだ。

薬がーーー効き過ぎた、のか。

「ご、ごめんね。ちょっと体調悪くて、ぐっすり眠りたくてーーーだから、」

「ごめん、みーさん」

「・・・・・・? なにが、」

「ごめん、俺、ずっと浮かれてて・・・・・・なにも気付いてなかった」

「ちがーーー」

違う。違う。

隠そうとした。ーーー自分が。

何もかもを呑み込んでーーーひとりで。

ひとりで、傷も痕も抱え込もうとした。

「違う、違うんだーーーよ。ともりは関係ない。ともりは本当、」

「・・・・・・『関係』、ない?」

自分がなにに触れたのかわからないままーーーともりが微笑った。

「みーさん。・・・・・・俺、みーさんの気持ちが少しだけわかった」

「・・・・・・?」

「みーさんは。みーさんは本当に、そのひとのことが好きなんだ」

ーーー呼吸を、

殺された。

「本当に好きで、本当に愛してる。そのひとのことをずっと見てる。一生忘れないし、一生、思い出すまでもなく覚えているんだと思う。ーーーみーさんは一生、そうやって生きていく」

「・・・・・・」

ーーーどうして。

どうしてーーーそれを、言うのか。

「でもね、みーさん。みーさんが傷も痕も全部ぜんぶ愛しているようにーーー傷も痕も全部ぜんぶ愛するみーさんを、俺は愛してる」

少年は。一年分、成長した少年はーーーもう、少年ではなかった。

青年の黒曜の眼が、自分を射抜く。

「一年前、俺はみーさんを愛したいと思った。・・・・・・今は違う。わかった。倒れてるみーさんを見た時、失うかもしれないと思った時ーーー気付いた。・・・・・・俺にとっては、これが愛だ」

青年が微笑う。のびてきた手が頰に触れる。びくりと震えた自分に対し、青年は傷付いた様子もなく満足そうに微笑う。

「みーさんがそういう意味で俺を見てないってわかってる。みーさんにとって俺は守るべき少年でーーー保護対象なんだ。一緒に歩く相手じゃない。でもね、俺だってずっとここにいるわけじゃない。みーさんが遠くへ行くように、俺だって歩き続ける」

触れた手が頰をやさしく撫でる。慈しむように、愛おしむように。

身体を強張らせる自分に、微笑みかけ続ける。

「大丈夫。ーーー大丈夫、なんだ。みーさん。みーさんはずっと苦しむ。ずっと痛い。・・・・・・来年も、きっと辛い。

でもね、それを隠して呑み込む必要はないよ。俺と話したくなかったら、無視すればいい。ひとりでいたかったら、俺はしばらく家を出るよ。大丈夫。ーーーずっと痛いんだ。ずっと苦しいんだ。なくなったりしない。みーさんが焦らなくても、ずっとずっとみーさんのものだ」

ーーーなにかが、すっと、胸の中に落ちた。

落ちてそのまま残った。なくならない。失くさない。ーーー失わない。

「・・・・・・ともり」

ーーー言うべき言葉は、きっと他にあった。

「・・・・・・なあに?」

「助けてくれてありがとう。・・・・・・心配かけて、ごめんね」

「・・・・・・ん」

微笑って、青年が両頬を包んだ。再びびくりと震えたが、青年はやさしいままその額を自分の額に触れさせーーー「あったかい」とうれしそうに言う。

「みーさん、すごく冷たかったんだよ。・・・・・・よかった」

「・・・・・・そっか」

慰める言葉はーーー見付からない。なにを返していいのかも。

だから自分は、微かにうなずくだけに留めた。



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