怖いものの話をしようか 7
バイクをすっ飛ばして来てくれた、らしい。
あのあと電話は切れてしまったけれど汽笛の音は聞こえていたようで、恐らく大学の最寄駅だろうと目処を付けた彼女は、そのままバイクをすっ飛ばして地元駅まで行き、電話していた時間から割り出した自分が乗っているであろう電車に飛び乗り先頭車両から虱潰しに探してくれたらしい。なんというか本当、頼りになるひとだった。
流石にこの状態の自分と二人乗りはしないつもりらしく駅前でタクシーを拾ってくれた。申し訳ないがまだふらふらしていたのでありがたくそれに甘える。
漸く家に着きリビングのソファーまで手を引かれ、ぽすんとそこに座らされた。彼女が広げたストールに頭からまるっと包まれ、真正面に立った彼女が少し屈んで目線を合わせぽんぽんとストール越しに肩を叩いてくれた。
「落としたスマホ、連絡ついたよ。駅員さんに届けられてた。明日取りに行こうね」
「・・・・・・、」
かくん、とうなずく。にこりと微笑み返してくれた彼女にーーーじわりと、心が軋む。
心細い。安心してる。怖い。もう怖くない。名前を呼びたい。名前を呼んで欲しい。
言いたくて。言えなくて。もどかしくて悲しくて。
なにも言わない自分をーーーきゅ、と彼女は抱きしめた。
「おかえりなさい、ともり」
すう、と、
心の奥にまで彼女が来た。ーーー来てくれた。
「・・・・・・みー、さ・・・・・・」
震える。掠れる。ーーーそれでも、進む。
「みーさん・・・・・・みーさん・・・・・・」
よかった。ーーー呼べた。自分の声で、自分の心で。
ぎゅう、と、抱きつくーーー縋り付くように。いつかのように。
いつだって、いつだって、彼女は自分が誰なのかを教えてくれる。
「みーさん・・・・・・ごめん、ごめん・・・・・・怒っていいよ・・・・・・」
いつまで弱いのかと。
叱っていい。馬鹿にしていい。ーーー彼女には、その資格がある。
「怒る? ーーーなんで」
小さく彼女が微笑ったのがわかった。あやすように、慰めるようにやさしくぽんぽんと背中を叩いてくれる。
「ともりは怖がってただけだよ。ーーーそれをどうして、怒ろうなんて思うの」
ーーーそうやって。
言葉だけじゃない強さをくれて。何度でも何度でも手を引き、呼んでくれる。
どうしよう。どうしよう。もっと好きになる。これ以上ないくらいもう好きなのにーーーこれ以上どうやって好きになればいいのかわからないくらいなのに、それでも追い付けないくらい、彼女が好きだ。
蕪木 灯は
御影 幸が好きでーーー仕方がない。
「みーさん・・・・・・聞いて、くれる?」
「うん」
「秘密にして・・・・・・怖いから、秘密にして」
「うん。絶対誰にも言わない。大丈夫だよ」
包まれたストールをふわりと上げてーーー彼女と自分を世界から遮断するようにして、被った。
薄暗い織り物の中ーーー広い世界に、たった二人。
「俺・・・・・・あのひとが、・・・・・・父さんが、怖い」
「うん」
「光よりも、母親よりも・・・・・・光も母親もおかしかった。『自分が正しい』と信じてたから、そのおかしさを隠そうとは、してなかった・・・・・・でも、あのひとは違った。『間違ってる』ってわかってて、わかった上で平然としてたんだ・・・・・・十何年も、あの家で・・・・・・自分の家族が狂ってるのを知ってるのに、平然としてたんだ・・・・・・俺怖い。あのひとが一番ーーー怖い」
「うん」
「ーーーいたんだ。ホームの向こう側に」
「うん」
「あっちは、気付いてない。眼も合わなかった。距離もあって、全然、平然としてればよかったのにーーー」
それが
「ーーーできな、かった」
それさえも。
「・・・・・・身体から力が抜けて、怖くて、怖くて怖くてそれでいっぱいになってーーーなにも、考えられなくなって、」
「うん」
「ーーー怖くて、怖くて。ーーー逃げ出した」
少しでも遠くへと。
「ともり」
ふわりと、両頬を包まれて、無意識の内に伏せていた顔をゆるやかに上げられた。
薄暗い中でもわかる、すべてを呑み込み映す彼女の深い深い色。
誰にも邪魔されない世界で、至近距離で眼を合わせーーー吐息が唇に触れた。
「よくやった。ーーー逃げていいんだ。立ち向かわなかったんじゃない。ともりは選ばなかったんだよ」
私を選ぶなら
不幸になるのは許さない。
かつてそう言った彼女がーーー眼の前で、うれしそうに微笑った。
「ーーーっ」
ぎゅ、と彼女を抱きしめる。きつくきつく、抱きしめる。ーーー大丈夫。
大丈夫。怖くていい。大丈夫。
だって選ぶ。何度でも。
何度でも、何度でも、俺は彼女を選ぶ。
「むかえ、に・・・・・・来てくれてありがとう、みーさん」
声は震えていた。だがしっかりとした声でそう言うと、腕の中で彼女が微笑った。
「どういたしまして。ーーーおかえりなさい、ともり」
「・・・・・・ただいま。みーさん」
ただいま。




