電話の向こう、の
〈 電話の向こう、の 〉
「ああ、ようやく捕まえた」
『・・・・・・よくわかったね』
「うん、まあ、あちこちに手は回していた」
電話の向こうで少女が黙る。苦笑して、言葉を続けた。
「さっき入国したんだろ? まだ空港だろ?」
『・・・・・・通りかかった公衆電話が急に鳴り出してね・・・・・・どうやったの? 監視カメラかなにかハッキングしてるの?』
「どうだろう。そこまでは知らない。けど、君のことを知る名探偵から連絡が来てね。この時間この番号にかければ君に繋がるだろうと」
『・・・・・・』
「心当たりは?」
『ない!』
憮然と少女が返す。苦笑いを続けた。
「都市伝説みたいな名探偵から連絡を受けて僕はとてもうれしいんだけどね」
『ああ、そう・・・・・・それで、ディー、なに?』
「ああうん。君の家は、というか部屋は用意したよ。僕が管理してる部屋があるから、そこを使うといい」
『え?』
流石に驚いたのか少女が声を上げた。
『いや、そこまでしてもらうつもりはないよ。それにあちこち転々とするからどこかに住むつもりはない』
「駄目だ。住んでない部屋があるからそこをとりあえずの本拠地にしなさい。家族のところには行かないんだろう?」
『行かない、けど』
少し困ったように少女が言葉を遅くさせる。どうしようか考えあぐねているのが手に取るようにわかった。
『でも、本当にどこかに留まるつもりはなくてーーー』
「知ってる。ーーーけど、君たちには必要だよ」
君たち。ーーーその言葉に、少女は黙った。
小さな子供に呼びかけるように、大切な妹に話しかけるように、やわらかく言葉を紡ぐ。
「ここに行けば会える。ここに帰れば会える。・・・・・・そんな場所が、君たちには必要だ。
・・・・・・ともりはこの国に来るよ。何年か先、必ず来る。君の隣に行くために。そのくらいの覚悟も努力も、あの子はやってのける。・・・・・・わかっているだろう?」
沈黙は、切ないほどの肯定になった。
「ともりはとっくに君を受け入れる心がある。そして、君の隣に立つためこの国でしっかりと自分の力を付けるよ。あっという間だ。あっという間にともりはしっかりと大人の男になる。きちんと働いて、社会的にも認められた自立した素晴らしい大人にね。・・・・・・君が少し気を抜けさえすれば、いつだって会うことが出来る。そのための場所が、目標が、繋がりがーーーひとつの場所が、君たちには必要だ」
『・・・・・・』
「ミユキ。君が歩みを止めないように、君の周りの人間も歩みを止めないよ。・・・・・・君が愛するひとたちは、いつだってどの瞬間だってーーーどれだけ辛くても、決して進むことをやめないひとたちだ」
足を止めるのは少し休むだけであって、停止ではない。終わりではない。
泣きながら考えているのだ。絶望しながら未来を探しているのだ。
ーーー自分が何処に行きたいのかを。
『・・・・・・わかった』
雄弁な沈黙の末、少女が小さく落とした。
『わかった。・・・・・・ありがとう』
「いいや。これくらいのことは、させてくれ」
『・・・・・・ん』
小さく小さく、少女がうなずく。
『ディー。・・・・・・あのね』
「なんだい」
『ディーのこと、すごく好き』
「僕もミユキのことが本当に好きだよ」
『だからーーー好きだから、わたしは今、いろいろと耐えられない』
「うん」
『逃げるって、決めたの。今は逃げ続けるって、決めたの・・・・・・何処まで逃げられるかわからないけど、でも、決めたの』
「ああ」
『・・・・・・連絡、取りたくない。・・・・・・しない。どこかの名探偵がわたしを見逃すことはないと思うけどーーーわたしから誰かに接触しようとは、しない』
「覚悟してる。ーーー僕も僕で、足掻くだろうけどね」
『うん』
「しばらくは、裏をかきあおうか。ミユキ。・・・・・・ミユキ」
『なあに?』
「・・・・・・無理はしないで。元気でいてくれ」
『うん。ーーーありがとう』
電話が切れたあとも、しばらく受話器を耳に当てたままでいた。ーーー何処かでまだ、少女と繋がっているような気がして。
感傷だ、ということはわかっている。だからなんだ。傷に、痛みに、流す血に値する少女だ。ーーーこのくらい、なんともない。
デスクにあるパソコンから通話アプリの音が鳴った。秘書を通さず、直通でかかってくるこれは親しいひとにしか教えていない。ディスプレイに表示された名前を見て、つい微笑んだ。まったく、息がぴったりとはこのことか。
「やあ、ともり。どうしたの」
『師匠、今平気?』
「平気だよ。昨日送ったデータのことかな?」
『うん、そう。解いてみた。・・・・・・合格ラインには一応達したよ。ぎりぎりだったけど』
「まだ時間はある。今がぎりぎりなら、試験までに余裕を作ることが出来る。大丈夫だ。焦らずそのまま行くんだ」
『うん、ありがとう』
少しほっとしたように青年が笑う。今大学三年である青年は、まだ一年大学生活を残している。
少しずつ、青年が準備していたこと。ーーー留学し、この国で働くこと。
それは少女を意識していることであったし、少女を目指しているもの以外のなにものでもなかった。
「英語もだいぶ上手くなったね。前よりずっと話せてるじゃないか」
『マンツーマンレッスン受けはじめた。・・・・・・あのお金、使わせてもらった』
「君が間違えず生かしてくれてるんだ。なにも言うことはないよ。いや、あるな。ーーーよくやった、そのまま行け」
『うん。ーーーうん』
しっかりと青年がうなずくのが、海も空も越えたここからでも、わかった。
「君と働ける日が来るのを本当に楽しみにしてるよ。ーーー心から、楽しみだ」
『ありがとう。ーーーすぐに、行くから』
「ああ」
うなずいてーーーうなずき合い、通話を切った。
すぐに行くから。・・・・・・自分と、自分以外のーーー少女に言った言葉。
「・・・・・・レティ?」
ボタンを押し、ドアの向こうの受け付けブースにいる秘書を呼ぶ。ガラスのドア越しに赤毛の美しい女性がこちらを見て、部屋に入って来た。
「なに、ディアム」
「・・・・・・アソシエイトを付ける話だけどね。二、三年で僕から独立出来る、或いは誰かが引き取ってくれるひとにしてくれ」
「・・・・・・せっかく育てたアソシエイトを、誰かにあげちゃうの?」
彼女の言葉を飾らないところは魅力のひとつだった。笑ってうなずく。
「ああ、そうなるね。もちろんきちんと育てるがーーー予約が入った。いや、引き込もうと思ってるんだ」
「よっぽど優秀なのね。どこのロースクール?」
「大学生だよ。日本の大学生だ」
知的に輝く緑の目を瞬かせて、レティは数瞬考えるような仕草を見せた。それからにこりとーーー悪戯っぽく、不敵に微笑む。
「わかったわ。それを条件に絞ってみる」
「ありがとう。・・・・・・秘書の代わりは募集しなくていいからね」
「あら、それはあなた次第ね」
不敵な笑みを浮かべたまま肩をすくめ、去って行く不敵で無敵な秘書を見送りやれやれと嘆息する。ーーー顔は、笑顔のままだった。
「さあ。ーーー頑張れ。本当に、頑張れ」
これからだ。君たち次第だ。ーーーこの先に広がる風景は。
大丈夫。心配はしていない。ーーー健やかであってさえくれれば、それでいい。
進む。歩く。泣きながら。
考える。巡らす。絶望しながら。
絶対に止まらないーーーどこまでも不器用で拙い、高潔な彼ら。
「さあ、来い。ーーー早く、会いたい」
〈 電話の向こう、の 路の向こう、の 〉




