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拝啓、君へ


〈 拝啓、君へ 〉



「大体、なんだってもう、ほら、もううう」

「そうだな」

「普通なら『適当に返してるでしょ』って思うけど要くんの場合本当に理解してるからある意味困る」

「なんだかんだでお前とも長い付き合いだからな」

この少女をーーーもう立派な社会人だがーーー卒業させ見送ってから早7年。美しく成長した元少女は義眼も含め両眼でこちらを見ると不満気な顔をした。

「世の中が要くんみたいなひとだらけだったらいいのにと思ったけどそれはそれで面倒」

「だろうな」

それは本当、心の底から同意だった。ぐい、とやけくそのように元少女がーーー吉野が酒を煽る。明日は休みだと言うしとりあえずそのまま飲ませるとする。

社会人とはいえまだ新人である吉野も、人並みに荒波に揉まれ、理不尽ややり切れない苛立ちやーーーそれら全てが溜まった時、近況報告がてら飲みの誘いを寄越す。いつもなら吉野だけではなくもうひとりいるのだが、そのもうひとりは今ーーー

「・・・・・・お前らがさ、俺を『いいひと』みたいに見れるのはーーー俺が担任だからだと思うぞ」

かなり直接的に自分はそう出来た人間ではないと含めると、吉野ははっとつまらなさそうに笑った。それは時折少女が見せる現実を見据えた時に漏らす表情に似ている。

「わかってるよ。ーーーわかった上で、言ってるの。知ってるでしょう」

「・・・・・・知ってる」

「それを知ってる」

そう。

聖人君子なんかではなく、どうしようもない相手に焦がれることもあるちっぽけな人間だとーーー知られて、いる。




吉野の無類の親友であり自分の元教え子兼色々と複雑な気持ちを抱えた相手である少女が『逃亡』してから一年が経っていた。

「・・・・・・連絡、来たのか」

「来たよ」

ふるり、と吉野が首を横に振る。

店を出て、駅に向かって歩きながらーーー最寄り駅ではなく、そのひとつ先の駅に歩きながら。

そうやって時間をのばして、少女の話をする。

「絵葉書が来た」

「なんて書いてあった」

「『無理しないで、体調には気を付けて』って」

「・・・・・・俺のと一緒だな」

「・・・・・・今どこにいるんだろうね」

少女の居場所は不明だった。恐らく少女が撮ったのであろう写真をポストカード代わりに一度だけ送って来た。それが半年前の話。

それから半年後の今、再び吉野に便りが届いたらしい。

「・・・・・・名前がさ」

「ああ」

「書いてないの。前回も今回も、自分の名前が」

「ああ」

「・・・・・・信じてるけど、・・・・・・不安」

整った顔立ちが、泣き出しそうに歪む。

「ユキはーーー今自分がどの名前を名乗ればいいのか、わからなくなってるのかもしれない」

御影 幸ーーー決してそう呼ばせなかった、少女。

もう少女ではない。けれど、自分の中では少女だけが、いつまでも少女だ。

絶対に泣かない、息苦しい、生き辛いーーー酷く不器用で凛と背筋をのばしその眼にすべてを映して進み続ける、高潔な少女。

御影 幸

御影 ユキ

どれも少しずつ違っている。ーーー少女の最初の名前では、ない。

「・・・・・・会いたいか」

無粋なことを訊いた、と一瞬で後悔した。が、吉野はまたゆるりと首を横に振ってみせた。

「わからない。・・・・・・会いたい、けど、会いたくない。・・・・・・誰とも会いたくないからユキは今ここにいないの。だからーーー会いたいけど、会いたくない。・・・・・・」

吉野は、ふと軽くうつむいた。ゆるいウェーブのかかった髪が微かに流れ影を作る。

「・・・・・・要くん」

「なんだ」

「・・・・・・今から言うことが、赦されないことならーーー私を殺して」

「ああ」

「・・・・・・私。ーーー私。ーーーわかったの」

立ち止まる。その両眼からーーー絶望にも似た色の涙が流れる。

途方に暮れて。

どうしようもなくて。

逃げることも、ーーー背けることも出来ない。

「・・・・・・どうしてお姉ちゃんがひとを殺さなくちゃいけなかったのか、その気持ちがわかった。・・・・・・わかって、しまった」

罅割れた声が、自分の見付けた現実を認めてーーー脱力するように、地面に溜まる。

三木 吉野

昔はその名前では、なかった。

「ほしいものが、あったんだーーーなんとしても守りたいものが、手に入れたいものがあったんだ。わかっていても、それが私には理解出来てなかった。するつもりもなかったし、したいとも思わなかった。ひとを殺してまで得たい理由なんてーーーそんなものは、絶対に欲しくなかった」

ぼろぼろと零れ落ちる涙。

事件当時のーーー出会う前、小学生だった頃、果たしてこうやって泣けたのだろうか。

「私ーーーわた、し。ユキがいなくなってわかった。あの子が抱えてたものを少しだけ垣間見て、わかった。ーーー誰かがもし、自分の大切なものを奪おうとしたら。損なわせようとしたら。ーーー私はそれを、殺すことが出来る」

絞り出すようにそう云って。

吉野は顔を覆った。

「理解したく、なかった。わかりたくなんて、なかった・・・・・・私とお姉ちゃんは違うんだって、絶対にお姉ちゃんみたいにはならないって思ってたのにーーー私は今、お姉ちゃんと同じことを考えてる。ーーー要くん。ねえ、要くん。・・・・・・もし、もしまたユキに、もしまたユキがあんな風に損なわれようとされる時が来るのなら、その時、私はーーー

ーーーもう二度と、みんなの前に立てない人間に成っているかもしれない」

ーーーいつから、そんな想いを抱えていたのだろうか。

血で造られた残酷を吐き出した元少女がーーー眼の前で、ひとりになろうと、する。ーーーふざけるな。

選ばせない。赦さない。一瞬たりと、認めない。

「殺せるだろう。けど、お前らはそうしないよ。ーーーお前もユキも、相手と一緒に死ぬ方を選ぶんだよ」

はっと弾かれたように吉野が顔を上げた。その眼がーーー信じられないものを見たその大きな眼が、しっかりと光を抱いてこちらを見上げる。

「どこまでも墜ちて行く。笑って不幸を選べる。自分が選んだ相手となら、何処にだって行ける。・・・・・・不器用で生き辛い。ひょっとしたら間違ってすらいるかもしれない。でも俺はお前たちが好きだよ」

そして自分は、それを、

「お前たちはーーー本当に不器用で間違ってて生き辛くて、そして、高潔だと思う」

それを自分はーーー高潔と呼ぶ。

どん底すら生温い。

血で出来た泥濘を這い蹲り、それでも敗けるものかと必死に足掻くかれら。

最高に狂っていて、最高に必死で、愛すべきーーー愛すべき、自分の教え子たち。

「・・・・・・お前らが俺をいいひとに見れる理由はね。俺がお前らのことを本気で愛してるからだよ。・・・・・・お前らとだったら、俺は一緒に死ねる」

間違っているかもしれない。でもそれでいい。

この関係が創り出したこの形が間違っていてもーーーそれでいい。これがいい。

笑って選べるのだから、これがいい。

「かーーーかなめ、くん」

「うん」

「わたしーーーわた、し。要くんはユキとずっと一緒に居て欲しかった」

「うん」

「ともりくんが不満なわけじゃない。けど、・・・・・・ユキは要くんと一緒にいると思ってた。そしたら幸せになれると思った。ーーー要くんなら、ユキを幸せにしてくれると思った」

ぼろぼろと泣きじゃくりながら必死に自分を見上げて来る女。ーーー本当に。

本当に、自分の教え子たちはーーーなにからも絶対に、眼を逸らさない。

「ユキを幸せにするのは、要くんだと思ってた」

「ーーーああ」

うなずく。ーーー認める。

そうしていたかもしれない、選ばなかった未来。

それでも選ばなかった。そして、選ばれなかった。ーーー離別じゃない。

かつてそう云われ、そして、お互いに選ばなかったことが確定した。

「要くん。要くん。ーーー要、くん」

「ああ」

「私のーーーわたしの親友のことを、愛してくれてーーー大切に想ってくれて、ありがとう」

選ばなかった。選ばれなかった。

それでも残ったものがある。

たった一枚の絵葉書が、それを示す。

「ーーーあいつには、絵葉書もなにも連絡がないんだろ」

「うん」

「ユキなりの我儘なんだよ。甘えてるんだよ。ーーー待たせてることが、最大の甘えなんだ」

ただひたすらまっすぐに。

少女を信じている青年。

少女の元に徃こうと、必死に手をのばし続ける青年。

大丈夫。幸せになれる。ーーーこんなにも望み望まれているのだから、きっとこれからなにがあっても幸せだ。

幸せ。

幸せたる者。

産まれて来たその瞬間から少女が名に抱く、決して消えないそれ。



選ばなかったから終わりではない。

その路が来なかったから離別ではない。



幸せはーーーどんな形にも、なる。



「ーーーだからさ」



何処にでも行け。何処までも行け。

それを自分は、ここからーーー選ばなかった先に在る今ここから、見ていたいのだから。




〈 拝啓、君へ 追伸は、既に告げた 〉



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