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訪れたその日を待って 2


その嵐がやって来たのはその数日後、彼女と過ごす三度目の夏の時だった。

「先輩、好きです」

授業を終え、ノート等を片付けながら立ち上がりかけてきたその時、その言葉は突然降って来た。

机の上に落としていた視線を上げるーーー目の前にいる女に向ける。

明るい栗色の髪。ウェーブを描き、整えられている。露出度は高く、夏と自分の若さを謳歌している格好だった。

「蕪木相変わらずもてるなー! でも残念! こいつ彼女一筋だから無理だと思う!」

隣にいた友人が冗談めかしてそう言い、軽く視線をこちらに投げた。その流れに乗り損ねそうになり内心少しあわてて捕まえる。

「うん。そう。ごめん。ーーー前も言ったよね」

数日前、一字一句同じに自分に思いを告げて来た女ーーー整っているが勝気そうな大きな目をこちらに向ける女。

同一人物、だった。

「彼女って言っても付き合ってないんですよね? 有名です」

「でもこいつそのひとと一緒に住んでてーーー」

「すみません先輩、あたし今蕪木先輩と話してるんです」

フォローしてくれた友人にぴしゃりとそう言うと流石に押されたのか友人は黙った。確かに女は正しかった。

「付き合ってないならあたしにもチャンスはあります。あたしを知ってくれたら蕪木先輩だってあたしのこと好きになるかもしれない」

「確かに知らないけど、でもごめん、俺あのひと以外の女無理なんだ」

「試してみたんですか? そのひとと出会ってから誰かと付き合いました?」

「いや、付き合ってない」

「じゃあ無理かどうかなんてわからないじゃないですか。どうして無理だと思うんです?」

ーーー今までにないタイプの女だった。

「ーーー確かにね。でも」

敵ではない。けれど味方でもない。そんな風に簡単に線引きなんて出来ない。それを今の自分は知っている。

「俺は女が好きじゃない。なるべくなら関わりたくない。ーーー彼女だけが、特別なんだ」

告げて。なにかを言い返そうとする女に、軽く教室の外を促す。

「出ようか。ここで話す話じゃない」

「場所なんて関係ないです」

「俺の友人が気不味いからやめてくれる?」

「・・・・・・わかりました」

存外、素直にうなずいて、先導するように促したこちらに着いて来る女。心配そうな目でこちらを見た友人にひとつうなずいて見せてから、教室を後にした。

辿り着いたのは人気のない廊下。行き止まり前に足を止め、奥に女を促した。窓を背に女がこちらを見る。

「先輩、あたしの名前知ってます?」

「いや、知らない」

「あたしの名前も知らない、どんな人間かも知らない、学部も年齢も知らない、ひょっとしたらこの大学の生徒じゃないかもしれない。全部全部なにも知らないのに、どうしてフルことが出来るんですか?」

「・・・・・・」

正論ーーーでは、あった。が、それは、卵が先か鶏が先かという話だ。

「君にも選ぶ権利があるように、俺にだって選ぶ権利がある。・・・・・・俺は女が好きじゃない。関わりたくない。君のことを知らなくてもいい」

「そのひとよりあたしの方がいいところがあるかもしれないのに?」

「仮にそうであったとしても。優れているから好きになったわけじゃない」

彼女の持つ空気。

選ぶ言葉。意味を持つ視線。ーーーすべてが欲しい。欲しい。欲しい。誰と比べなくてもいい。彼女自身のもの。ーーー好きだ。

「悪いけど、関わりたくない。彼女以外ならいらない。誰かから見てこれは間違っているのかもしれないけど、俺はそれでいい。これがいい。気持ちはうれしいけど、君は要らない。欲しくない」

「・・・・・・ふうん」

うなずいて。

女は少しだけ興味深そうにこちらを下から覗き上げた。

「・・・・・・先輩の言ってることはわかりました。あたしの意見とは平行線を辿るってことですね。お互い譲る気はないわけですし」

「そう」

「わかりました。ーーーじゃああきらめます。お願いを聞いてくれるのなら」

「お願い?」

目を細めたこちらと対照的に、目を大きく開いた女が堂々と言う。

「そのひとに会わせてください。ーーーあたしが敗けたのがどんなひとかくらい、知っておきたいです」




「ぐいぐい来る女の子なんだなあ」

久しぶりに会った林場は少したじろいだように言うと、フラペチーノのストローをくわえてじゃりっと一口飲んだ。

「俺の態度もそんなによくはなかっただろうけど」

「どうかな。最初の段階できちんと対応したんだから、あとはとりくんのせいじゃないと思う」

冷静にそう返してくれたのは綾瀬で、眼鏡の奥の目を少しだけ横に振って否定を示してくれた。そのことに少しほっとする。

「ただ、とりくんと御影さんの関係をーーー特にとりくんが持つ御影さんへの気持ちとか、全部を知ったとしても理解してくれる人間はそんなに多くないと思う」

「まあーーーそうだろう、な」

少し困ったようにふんわりと林場がうなずく。気を遣ってくれつつそれでも中途半端な態度を取らない姿勢は実はとても気に入っていた。本人には言わないが。

「友達以上恋人未満って言葉も妙にしっくり来ないし。家族同然恋人未満っていうある意味矛盾した感じの言葉の方がまだしっくり来る」

「同棲じゃなく同居って感じだよね」

「そうそれ」

「・・・・・・だよなあ」

実際、一緒に住んでいてなにもない、というかなにもしないわけだからーーーたまに弱った時、甘えさせてもらうことはあるけれどーーー恋人ではもちろんないし、けれど家族ではある。姉弟のような関係ではなく、妻と夫という関係でもない。

「ーーーそれでいいと思うけど」

冷たくて甘いそのコーヒーを飲んだ綾瀬が静かに言った。

「理解はしてもらえないことが多いと思う。けど、とりくん自身がしっかり自分の気持ちが見えてて、目指すものも場所もしっかり定まっているんだから、なにも気にすることはないよ。・・・・・・ひとを傷付けるのはなるべく避けなきゃいけないのは当然だけど、でも、どうやったって折り合いが付けられない時もある。とりくんはもう出来る対応はしたんだから、このあとそのひとが傷付いたとしてもそれは避けられなかった致し方のないことだよ」

「そう。最初から冷たくしたわけじゃないんだから。曖昧な態度を取るわけにもいかないし、そんなことしたくないだろ」

「ーーーうん」

したくない。

「だからさ、御影さんにお願いしろよ」

「え?」

「言われたんだろ、会わせて欲しいって。会わせてみるのも手だろ」

「・・・・・・いや、でも、」

「理解され難いかもしれないけど、示すことは出来るよ。・・・・・・それに、とりくんが困ってるなら御影さんそれを知りたいと思う」

「心配かけるとか手間かけるとか思って言ってないんだろうけど、御影さん、そういうのを気にするひとじゃないだろ。迷惑はかけてもいいんだ。中身もわからないような心配は、あんまりかけるべきじゃないよ」

「・・・・・・」

数日前、弱って、縋った。ーーー心細くなって。

気付いて気にかけてくれた彼女。ーーー詳しくは訊いて来なかったが、きっとーーー心配、してくれている。

いつだって気にしてくれる。

いつだってその視界に心に入れていてくれる。

示す。ーーー自分の不安や、悩みを。

「・・・・・・うん」

かくん、とうなずく。それが子供のようだとあとから思ったが、二人はやわらかく微笑ってうなずき返してくれた。



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