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その気持ちの行方


〈 その気持ちの行方 〉



要が自分の担任を勤めたのは二年間になる。一年目は高校二年生の時。二年目は持ち上がりクラスだったので高校三年生の時。

どの学年も平均して二十五クラス前後はあるマンモス校だったのだが、自分たちのクラスだけ三年に進級する時クラス替えはなかった。何故ならある意味問題児だらけだったから。普通科の中で勉強に意欲のある学生を集めたのが二年時のクラスだったのだが、意欲有り余った愛すべきクラスメイトはちょっといろいろ事情を抱えたのでそれはそれは勉強を頑張った。それはある意味迎撃行為であり守備行為であり要するに戦闘行為だったわけだが、その結果数字的には特進クラスをぶっちぎってのクラス平均を叩き出した。毎回。それは自然と大学受験を期待されるわけで、となると下手にクラスを解体したくないわけでーーー全員が全員三年時も同じクラスを希望したのをいいことにクラス替えは自分たちだけなかった。教室だけ移動になったのが面倒だった。

担任も変えたらまずいだろうと(まあ要以外にあのクラスを捌ける教師がいるとは思えなかったが)変わらず、本当に、本当に教室移動だけが極めて面倒な四月初日だった。


というわけで、要が自分の担任を勤めたのは二年。ーーー今もまだ尚、これからも一生担任だけれども。

でも、一年時から放課後空いた時間にドイツ語を習っていた。英語科職員室にほとんど教師が居着かないのをいいことにそこを使って特殊授業をしていたのだ。だから高校時代はみっちり三年、面倒を見てもらったことになる。

それ以前はーーー中学時代。

中学時代に、ちょっとした問題が起きた時にお世話になった。ーーーその時、出会った。

それが要。

特別な意味で好きだったのかは未だにわからない。もし教師と教え子じゃなかったらーーーとか、もし要に相手がいなかったらーーーとか、仮定は尽きないが、どういう条件で考えても未だにわからない。わからない、が。

ーーーきっと努力はしてみたんじゃないんだろうかとは、思う。




「テーマが『初恋』って、なんか使われ過ぎたワードで逆に新鮮」

プリントされた紙に載る言葉を見てそう言うと吉野はこっくりとうなずいた。

「だね。脚本、誰かに頼む?」

「うーん、どうしようかなあ」

サークルが今度の文化祭でやる上映会のテーマがそれだった。初恋。あたたかくてやわらかくて、ふわふわした言葉のイメージ。

「吉野」

「なに」

「『初恋』てなんだろう」

「難しいね」

「そもそも『初恋』なわけでしょ。『恋愛』じゃ駄目なわけで」

「うーん、でもそれって『野菜』の中の『キャベツ』と同じじゃない? 『恋愛』の中の『初恋』」

「なるほど。・・・・・・吉野」

「なに?」

「・・・・・・余計わからなくなった」

「うん、私も」

大きく吉野がうなずくのを見てだよねと小さく息を吐く。立ち上がってコーヒーのおかわりを作り出す。

難しい。難しい。初恋。難しい。

「身近なひとに訊いてみようか」

「いきなりな話題で振られた方は若干かわいそうだけどそうしようか」

ちょうどその時、玄関の錠が開く音がした。ただいま、と声がする。

「ナイスタイミング」

にやりと吉野が笑った。それを見て笑いながらドアを開けて出迎える。

「おかえりともり」

「ただいま、みーさん。吉野さん」

にこりと微笑んでともりが答えた。色白な肌が寒さのせいで微かに赤みがかっている。しゅん、と、小さくくしゃみのなり損ないのようなものをした。

「手、洗っておいで。コーヒー淹れとくから」

「うん、ありがとう」

「そしたら話があるよ」

「? うん」

楽しそうに言った吉野に不思議そうな目を向けてからうなずいてみせ、青年が一度姿を消す。戻ってきた青年にいつものコーヒーが満たされたマグカップを渡し、青年の席に座らせ女二人で覗き込む。

「あのさ、ともりにとって『初恋』ってなに?」

「みーさん」

「お、おおう」

「ひゅーひゅー。だと思ったー」

棒読みでとても冷静なひゅーひゅーだった。というかそう思ってたならはじめから訊こうとしないでよ親友よ。

「なに? 今度のテーマかなにか? それとも思いをぶつける会?」

「ぜ、前者です。・・・・・・うーん、難しいなあ」

なんというか、こう、全く参考に出来ない。答えてもらってなんだが。

「女の子は初恋早いとか言うよね」

テーマを膨らまそうとしてくれたのかともりが言う。そういう方面からの探り方もあるかとうなずいた。

「あとあれか。初恋は実らないってやつ」

「俺がそれ覆して結果も残すよ吉野さん」

「ですってユキ」

「お、おおう・・・・・・」

ですか。

「でもそれってさ、初恋が子供の頃に多いからそう言うのかな? それこそさっきの話も関係するけど、初恋早ければ早いだけ幼いわけだし。子供の頃好きだったひとと縁を繋ぎ続けるのは難しいよね。ずっと同じ場所に住んでてもなんとなく自然と疎遠になることもあるし、物理的に離れる時もあるし」

「あー、そうだね。進学と同時に離れたりとか」

「そうそう。高校受験がその一番大きな別れ道かもよ。幼馴染みの同級生で地元の小中にそのまま進んでたら」

「・・・・・・なんだかいい線出て来たんじゃない?」

背筋をのばし、イメージを形にするように指先で宙をふわりと描く。

「尺は思い切り短く一分とか二分にして。初恋だって気付いてない幼馴染みの二人が幼少期から高校受験、入学するまでの人生をフラッシュバックで。16ミリフィルムをイメージするような・・・・・・逆目でライト入れて・・・・・・」

ふわふわとしたなにかが空気を掻いて少しずつ集まっていく感覚。覚えがある。知っている。ーーーなにかを創り出そうとする時に必ず自分の手や眼が触れる、高揚感と力にも似たなにか。

吉野がにっこりと笑った。

「脚本頼まなくて平気だね」




「吉野さんの彼氏ってどんなひと?」

吉野の帰ったあと、ふいにともりがそう言ってーーーあ、という顔をして軽く自分の口を覆った。

「ん? どうしたの」

「いや。深い意味はないんだけどさ。・・・・・・まず吉野さんに訊くべきだったかなと」

「ああ・・・・・・」

不器用な匂いがするくらい律儀だった。とても素敵で、生きていく上であとから生まれるものではない。最初からの積み重ねで気付いたら生まれてきたものだ。

「吉野にも今度訊いてみな。答えてくれるよ」

「うん」

「そうだね。吉野が答える内容前提で、私も答えるとーーー」

吉野の彼氏を思い浮かべる。もちろん吉野ほど頻繁には会わないが、自分にとって縁のあるひとでもある。

なにかを過ごしたひとだった。

きっと自分は、そのあとに出会ったのだ。

辛いことや悲しいことや耐え切れないこと。

痛いことや苦しいことややり切れないこと。

それら全部を過ごしてーーーそして、吉野を愛するひと。

ぜんぶ知っている。ーーー吉野が抱く恐怖を。

ぜんぶわかっている。ーーー吉野が抱える罪悪感を。



親友のせいではない残酷なこと。

親友にはどうしようも出来ないこと。

それでも親友は、罪悪感と罪の重さを一生背負い続ける。



「・・・・・・うーん、やっぱ、吉野に最初から訊いた方がいいかもね」

「うん」

「今度四人で会ってみる? 三崎さん、もう社会人だからすぐは難しいだろうけど」

「うん、会ってみたい」

そう。

会ってみればいい。親友が愛し、親友を愛するそのひとと。

初恋。

恋愛。

愛情であることには、変わりない。

「・・・・・・そうだ。ともり」

「うん?」

「よく考えたらさ。さっき私『初恋ってなに』って訊いたんだけど」

誰、と訊いたわけではなかった。

不思議に思って首を傾げると、ああ、とともりはこともなげに、

「だって、俺にとって初恋はみーさんそのものだから」

その言葉に一度瞬きをしてーーー少しずつ、その答えが自分に染みてゆく。

存在そのもの。誰、ではなく。

出会いや共に過ごした時間や言葉や涙や傷やよろこびや痛みやその誰かが持つすべてなにもかもが愛おしくてーーーそれが、この青年にとっての『初恋』。

「・・・・・・私にとっての初恋とはまた違うなあ」

そう。

やっぱりあれは、初恋でーーー憧れやきらきらした気持ちがいっぱい詰まった、それだったのかもしれない。

追い付きたい。

並びたい。

背伸びして、失敗して、それでもその傷でさえきらきらと輝く。

気付かないままはじまって、気付かないまま終わった、自分の『初恋』

「・・・・・・Geben Sie mir bitte Süßigkeiten」

「え?」

「ううん。なんでもない」



砂糖菓子をください。

わたしに、ください。



甘くて、そして少しだけ苦くてーーー面映ゆい。

それはきっと、誰でも一緒なのかもしれない。

そういう時間は、確かにあった。



砂糖菓子をください。

赦してくれるのなら、私だけに、ください。



それはもう言わない。その時期は、もう過ぎた。



だからこれは、誰にも内緒のーーー本人にさえ秘密の、初恋の話。



〈 その気持ちの行方 その気持ちの在った時間 〉



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