真夏の計画の破綻
〈 真夏の計画の破綻 〉
その後輩に出会ったのは新入生歓迎のサークル机出しをしていた時。キャンバスの真ん中に大通りを作るように並ぶ机のひとつに、当番として就いていた時だ。
行き交う新入生やそれを勧誘する在学生、その多くの中ふと引き寄せられるように目に止まった、不思議な色の髪。
明るい春の日差しを受け、真っ黒な髪がふんわりと儚い色合いにグラデーションを描き、印象的な深い大きな眼がこちらを見る。
こちらを見てーーー微笑った。桜の舞い散る中、うれしそうな、幸せそうな貌で。
ーーー正確に言うと、自分ではなくその背後にいた友人を見ていたのだが。その直後「吉野ー! 私ここー!」と言いながらぱたぱたと駆けて行ったので。
その友人の方はキレイ系の美人で、肝心のもう片方は笑ってしまうくらいの童顔。
だが、きれいだった。
かわいらしくて、きれいだった。
ーーー思わず、一目惚れをしてしまうくらいには。
熱心にサークルを売り込み、幸運なことに興味のあることだったらしくサークルに入った二人は名実ともに自分の『後輩』になった。
高校時代からの友人だという二人は息もぴったりで、テンポよく会話を交わしたりてきぱきと雑用をこなして行く。映像制作サークルは人数だけは多く、見境のない男共がいろいろリサーチをかけたところ、キレイ系のーーー三木には彼氏がいることがわかりさっそく何人かの男が肩を落とし、もう片方のーーー御影には彼氏がいないことがわかり浮き足立った。そこそこの女なら誰でも狙うような年頃だ、そもそもまともにサークル活動をしていない癖にこういう時だけ先輩面して来る奴らだ。苛っとしたが後輩らにもその薄っぺらさがなんとなく伝わったらしい、程々に相手をして質問やらなにやら訊いて来るのは専ら自分だった。自分が勧誘したというそれも大きかったかもしれないが。
「ひろ先輩」
ひろ、と呼ばれていたので自然と呼び方はそうなった。三木はともかく小さな後輩がぱたぱたと寄って来てあれこれ訊ねるのはなんだか雛鳥に懐かれたようなむずむずする感覚だった。これはあれだ、後輩がやたら小さいからだと自分に言い聞かせていたが聞くと三木の方が身長が小さかった。嘘だろうと思い並ばせると確かに後輩の方が大きい。・・・・・・キャラなのだろう。その証拠にわかっていても未だに後輩の方が小さく見える。
ともかく、他の同期や先輩たちとは一歩は後輩に近かった。後輩に至っては同じ学科のコースだったのでいろいろ勉強等でも会話をすることが多く、二人で近くのカフェに行ったり三木も含め三人で飯を食いに行ったりと、少しずつ親交を深めていった。
だがしかし、後輩に特別な感情を抱かれていると感じたことはなかった。良くも悪くもいい先輩止まりーーー自分のアプローチが控え目なのもあるだろうが、それとは別に後輩の方に理由がある気がしていた。
後輩の中に『恋愛』の文字はない。ーーーそれに気付いたのは、夏休みになった頃だ。
自主制作やらなんやらを手伝ってもらい、その打ち合わせで後輩の家ーーー一人暮らしだが一軒家ーーーに足を運び作業場として使わせてもらう。想像以上に家庭的だった後輩が家のことをこなしながら制作の手伝いをしてくれるのを見ながらこっそり和む。笑いながら大抵のことはこなす女だった。
流石に泊まることはなかったが、遅くまで居座ることは多々あった。連日の寝不足により意識が落ちーーー気付いた時にはテーブルに突っ伏していた。そっと、背中に大きなタオルをかけられたのがわかってーーー半ば目が覚めないまま、だからこそ自分の本能に従って手をのばしーーーその手が離れる前に捕まえる。
「あ、起こしちゃいましたか?」
小さく小首を傾げる後輩。ーーー自分と後輩以外、誰もいない家。ーーーいつもは必ず三木か誰かがいるのに、その日は、たまたま。・・・・・・誰かしらいるように三木がしていたと気付いたのは、このあとのことだった。
三木は気付いていた。周りも気付いていた。自分が誰に思いを寄せているのか。
気付いていないのはーーーひとりだけ。
「・・・・・・ひろ先輩?」
深い深い眼がこちらを見てーーー目眩がした。ーーー気付かない、理由は。
「・・・・・・なんでもない。そろそろ帰るわ。遅くまで悪いな」
「いえ。お気を付けて」
握った手を意識してーーーぷらん、と、放す。ほんの少しだけ、薄っすらと赤くなった手。痛みが生じるほどではないが、確かに。
その手を後輩が小さく振る。ばいばい、と、いつも通りに。
いつも通りに。
「・・・・・・じゃあ、また明日」
「はい、また明日」
また、明日。
暗く染まった夜の中をひとりで歩く。生ぬるい温度。肌はべたつき、風はない。
「あー・・・・・・畜生」
普通、少しくらい意識するだろーーーとは。
言わない。言えない。・・・・・・言いたい。
自分に魅力がないーーーのも、あるのだろうが。
それ以前に御影には誰かを特別に好きになろうという意思がない。だからこそ普通なら意識してしまうようなあんな微妙な空気の中で、平然といつも通りにいれてしまうのだ。
いつも通り。いつも通りに。
『恋愛』の言葉が頭にない女に、どうやって意識してもらえばいいのかーーー本当に、難解だ。
ぶー、ぶーとバイブが鳴って、着信を知らせる。三木からの着信だった。
「もしもし」
『あ、ひろ先輩? 今どこですか?』
「帰る途中。御影んち出て歩いてる」
『あー・・・・・・はい、わかりました』
「・・・・・・本間がいないの知って気になった?」
少しだけ意地悪をする気持ちで言ったが、三木は怯まなかった。
『はい、今日ユキとひろ先輩と本間先輩が集まるって聞いてたので。二人きりにはならないと思ってました』
流石飼育係。きちんと考えていたのか。
『・・・・・・ひろ先輩のこと信じてないわけではないですけどね。でもまあ、いろいろ、あるでしょう。空気とか』
「あるなあ。空気とか」
『・・・・・・気持ちを止める気は、ありませんけどね。今のあの子にはーーー無理ですよ、誰かと付き合うのは』
高校時代からの親友が、静かに、云った。
『中学時代、あの子は恋人どころか『友人』が要らなかった。自分の周りに誰かにいて欲しくなかったんですよ。それが高校になって、少し余裕が出来てーーー巡り合わせもあって、あの子は友人を作れた。必要不可欠なものにまで、なった。・・・・・・今のあの子にはそこまでが限界です。それ以上はーーー今は、余裕がない』
誰かと付き合って。
恋して、愛して。
そんな余裕がーーー今はない。
「・・・・・・俺にあいつは無理だと思う?」
『・・・・・・今は、なんとも』
「お前はやさしいな」
本当は無理だと思っている癖にーーー後輩と違ったところで、こいつもこいつでやさしい。
いい後輩たちを持ったものだ。
「頑張るよ。『恋愛』がないなら他に盗られる可能性も少ないだろうし」
『・・・・・・どうかなあ』
苦笑いの温度で、三木が小さく笑った。
『出会いとか運命って交通事故みたいなものだから。ーーー心の準備が出来てなくても、それを埋めてくれるくらいの相手だったらーーーあの子だって、落ちちゃうかも』
「・・・・・・想像したくないな」
『でしょうねえ。警戒心全部棄てて素直に甘えて来る頼りない風で実はしっかり者の子なんて。たまらないんじゃないんですか?』
「だからやめろって・・・・・・」
本当に。落ち込むから。
『まあ、あの子の場合泣かせてはじめて一人前じゃないですか? 泣いたところ私でも見たことないんですから』
「あー、泣かせたくはないんだが・・・・・・」
『まあ泣かせたら三十七人が黙ってないですが』
「お前らこええよ」
苦笑する。思い知る。少しだけ、沈む。ーーー夏の夜。
まだこれからだ。これから先、いくらでもチャンスはある。ーーーそう言い聞かせて、生ぬるい空気を思い切り胸いっぱいに吸い込んだ。
それから一年後。
自分が最終学年になる年の春。
後輩が『拾って来た』クソ生意気なガキのせいでその計画は傾き、さらに一年後そのクソ生意気なガキが青年になって戻って来たことにより完全に破綻した。強制的なペースアップを余儀なくされたのだ。
でもまあ、悪くないと思ってしまう自分がいる。
あきらめたわけではない。欲しくないわけではない。
けれどーーー悪く、ない。
悪くないのだ。
〈 真夏の計画の破綻 終わらない再生 〉




