笑うための勇気は在るか
〈 笑うための勇気は在るか 〉
おたくのクラスの生徒たち、廊下で笑ってましたよ。ーーーそう、同学年を受け持つ教師言われたのは、昼休みも半ばの時だった。
「はあ・・・・・・まあ、あいつら仲いいようなんで」
「いえ、そういう話ではなく・・・・・・廊下で笑っているんです。私が知る限りもう五分以上」
「はあ、五分以上」
「ずっとです」
「はあ、ずっと」
「・・・・・・おたくのクラスの生徒たちが」
「はあ、うちのクラスのが」
「・・・・・・全員ですよ?」
「は、全員?」
少し驚いてから想像してみる。愛すべき自分の教え子たちが笑っている。廊下で五分以上。
「はあ、そうですか」
「え、それだけですか?」
「はあ、笑ってるだけでしょう? まあでも、静かとは言えませんね」
収めに行くかと立ち上がる。昼飯はとうに平らげているのでそれについては問題がない。
「あのっ、F組・・・・・・大丈夫なんですか?」
「敵に回さなきゃ人畜無害な奴らですよ」
職員室を出て特に急ぐわけでもなくいつも通りの歩調で廊下を歩いているとぱたぱたとその教師は付いて来た。新任ではないがまだ若い女教師。我らが愛すべきクラスの受け持ちはないが他クラスからは人気だった。主に男子生徒から。
「でも、少し、なんというか・・・・・・おかしくはないですか?」
「愉快な奴らだとは思ってますよ」
「だからそうでなくっ、」
「先生、なにかあいつらに不満があるんですか? あいつら授業態度は真面目だし、皆さんが気になさる成績なら特進コースぶっちぎって学年一位ですよ、クラス平均。次のテストからうちのクラスだけ特別テストになるそうです。もうあいつら今後テスト受ける時答案に名前書くだけでいいんですよ。クラス書く必要なくなるんです」
「人間性の問題ですっ」
「あいつらやさしいですよ? 敵に回さなきゃ」
「敵に回った子たちに容赦無いでしょう! G組の生徒さんとの合同体育で全試合勝ち譲らなかったらしいじゃないですか! 体育のミニゲームですよ? 親交を深めて楽しくやるのが一番じゃないですか?」
「G組の奴らが余計なこと言ったらしいじゃないですか。武力行使したわけじゃあるまいし。全力で迎え撃って叩き潰しただけでしょう? 大人気ないですがあいつら子供なんで別にいいでしょう」
「それが問題だとは思いませんか? 勝ちを譲る気持ちもひとは大事です! 思いやりの気持ちを学ぶことだって必要です! ーーー中学時代から、問題だったじゃないですか!」
脚をーーー止めた。息を切らした教師が、生真面目で切実そうな顔で、言う。
「中学からの報告書、見ました。F組、中学時代問題を起こした生徒ばかりですよね? 不登校だったり、自分から孤立したり。協調性がない生徒ばかりです。・・・・・・御影さんにはじまり、それに、三木さんだってーーー」
「はい、」
イエローカード。・・・・・・レッドを出さなかったのはせめてもの温情だ。
「・・・・・・先生? どうだっていいでしょう、そんなこと」
「は・・・・・・」
どうでもいい。なんだって、どうだっていい。
止める気はない。最初から、一切。
「・・・・・・でもまあ、廊下で騒ぎ過ぎるのはよくないですから。注意して来ますよ、きっちり担任の僕が」
あんたは関わるな。ーーー言葉の表にそれを含め、今度こそその教師を置いて立ち去る。
さて、後片付けをしようか。
辿り着いた廊下の端。丁度教室の前。
確かに我らが愛すべきクラスメイトたちは笑っていた。同じ方向を見つめ、笑っていた。
あの教師は気付かなかったようだがーーーやはり、案の定、いた。
奴らの視線の先にいる、他クラスの女子生徒数人。
青褪めた顔で、楽しそうに笑う大勢を見渡してーーー動けなくなっている生徒たち。
「通るぞー」
言いながら、笑う彼らの間をすり抜けてーーー先頭にいた、泣き出しそうであり驚いているようであり笑い出しそうでありーーー感情がいっぱいになった吉野の肩をぽんと叩き、
その隣にいる少女に眼をやる。
笑っていた。
その名前をひたすらにひた隠しにする幸福を抱く少女はーーー笑っていた。
楽しそうに笑っていた。ーーーその世界全てをそのまま呑み込む深い深い黒い眼を凛と開いて。
逸らさない。誤魔化さない。
眼の前に広がる世界から一瞬も眼を離さない少女。
それがどれだけ残酷なものだとしてもーーーその全てを呑み込み映す少女。
「おーい、そろそろチャイム鳴るぞ」
軽く頭に手を乗せそう言うと、御影はその深い色の眼をこちらに向けて微笑んだ。
まっすぐにこちらを見上げて来る少女。ーーーいいね、と、胸中で呟く。
いいね。最高にいい女だよ、お前は。
「せーーー先生っ」
泣き出しそうな、否、もう半分以上泣いている他クラスの女子のひとりが縋り付くようにして頼ってくる。
「えーーーF組のひとたちがっ、全員、うちらをっ」
「うちらを?」
「わーーー笑うんです!」
「なんで?」
「ーーーえ?」
「なんで、お前たちは笑われてるんだ?」
ゆっくりと問うとーーー女子生徒が唖然とした顔になった。信じられないものを見た、そんな顔。
「こ・・・・・・こいつら頭おかしいよ! いきなり笑い出して、ぞろぞろ教室から出て来てっ!」
「そうか。じゃあ最初はこんなにいなかったんだな。誰がいたんだ?」
「私と吉野」
くすっと、尚もまだ笑いながら少女が言う。その幼くも凛とした表情を、可笑しげにして。
「最初は私と吉野だけだった。笑い出したのは、私」
ゆっくりとーーー酷く優雅に見える仕草で、御影が首を小さく傾げた。
「可笑しいから、笑いました。・・・・・・なにが可笑しかったか、訊きますか?」
女子生徒たちは絶句して。青褪めた。ーーーこれ以上、ないくらい。
「あーーーうちら、は、」
「はい、『うちら、』は?」
小柄な少女がその深い色の眼を凝らすようにして下から覗き込む。俯いていようが意味がない。深淵が下から迫るようにーーー女子生徒を、覗き込む。
「なにを、言ったんでしたっけ?」
ーーー敵に回さなきゃ、良い話だ。
「・・・・・・ほら、チャイム鳴るぞ。さっさと教室戻れー」
軽く促して。金縛りにあったように動かない女子生徒たちをほらほらと追いやる。
「悪かったな。まあ、敵に回さなきゃ普通な奴らだから」
「・・・・・・頭おかしいっ、絶対、おかしいよっ・・・・・・」
「そうだな。あいつら本当、頭おかしい」
うなずいて、声を潜める。
「だからさ。ーーー放っておけ。それだけで全部平和だ」
関わる必要はないとーーー言葉の表に含めて、云う。
一瞬なにか言いかけて、でも結局言葉を飲み込んだ女子生徒たちは、勢いよく踵を返して小走りに去って行った。なんというか、他クラスにちょっかい出してくるなんて暇な奴らだなあとは思う。
「ほら、お前たちも。教室戻れー。次の授業の先生困るだろ」
「大丈夫。次の授業要くんだから」
「本当お前ら逞しいな。どこででも生きていけるよ」
全てが終わったのを見届けて、何ごともなかったかのようにぞろぞろと引き上げていくクラスメイトたち。確かに三十八人に囲まれて笑われたらトラウマレベルの出来事だろうなあと他人事のように思いながら(実際他人事だ)、残った二人の少女を見やる。
「吉野。ほら席付け。今日お前当てる日だぞ」
「えっ。あっ」
大きな眼が、義眼も含めた両の眼が自分を見る。
「か・・・・・・要くん、ごめん、ごめん私が」
「吉野」
「っ、」
「吉野」
「っ・・・・・・は、い」
「お前吉野だろ」
「・・・・・・? は、い・・・・・・」
「じゃあいいよ。ーーー吉野が吉野でなくなったら、その時はまあひとり三発ずつ殴らせるけど」
「三十七人に?」
「三十七人に」
楽しそうに口を挟んだ御影がくすくすと笑う。それを見て吉野は絶句してーーーその眼から一筋涙を流し、微笑った。
「百十一発は・・・・・・多いよ・・・・・・」
「多いな。じゃあ殴られないように頑張れ」
「・・・・・・はい」
うれしそうに。幸せそうに微笑んで涙を流す少女。
その少女を先に教室に戻らせーーー残った印象的な眼を持つ少女を、見下ろす。
「ごめんね迷惑かけて」
「あんまり思ってないだろ」
「うん」
こっくりとうなずいて、それから小首を傾げた。
「でも、お昼休み減らしたことについては申し訳ないと思ってる」
「そうか。ならいいや」
「ーーー要くんはさ。怒らないよね」
「怒られるようなことしたのか?」
「ううん」
「じゃあ怒らないよ」
「ふは。そっか」
楽しそうに笑う少女は語らない。なにがあったのかーーーなにを目指したのか。
それでも疑わない。疑う必要はない。
頭がおかしい。ーーー確かにそうかもしれない。けれども。
ましだ。行きたい場所も目標もない奴らより、よっぽど。
全部飲み込んでーーー敗けるものかと血を流しながら泥濘を這い蹲ることを選んだ、最高に頭がおかしくて最高に愛おしい奴ら。
「ユキ」
「なあに?」
「砂糖菓子、いるか?」
その問いに少女はーーー微笑った。ふは、と笑う、いつもの笑顔で。
「今は要らない。ーーー欲しくなったら、言う」
「ーーーそうか」
どうだか、と、胸中で落とす。
傷も痕も痛みも全部呑み込んでーーー欲しがらない、癖に。
それでも。それでも教えよう。教え続けよう。
この世界に、砂糖菓子は確かに在ると、君に教え続けよう。
「・・・・・・さ、席着け。お前も今日当てるぞ。長文部分」
「ふは。余裕」
「本当逞しいなお前ら」
ーーーいつか少女が、砂糖菓子を求めるまで。
〈 笑うための勇気は在るか 笑うための勇気は在るか? 〉




