未来の掴み方
〈 未来の掴み方 〉
大学生活中にやらなくてはいけないこと。やっておきたいこと。
将来のための勉強。
車の免許取得。
就職への道筋を定めること。それから。
「・・・・・・どうやって金稼ごうかなあ」
まともな金の稼ぎ方をしたことがないのでーーー素直に途方に暮れてしまった。街中に置いてあるバイト雑誌をもらってきたのだが、ページをめくってもいまいちしっくり来ない。
学費ーーーは、自分の師であるディアムの提案通り、譲り受けた切手を売り財産にしたのでとりあえずなんとかなっている。残りのお金の管理はディアムに任せているので緊急時以外自分が引き出せるものではない。なにか怪我をしたり手術や入院が必要になったりした時以外は引き出す予定はなかった。
そこから食費等を賄っていいと言われているが、それは自分でどうにか稼いで来たかった。御影家に入れる分もだ。部屋代無しというこの上なくありがたい条件だが光熱費は必要だ。これもどうにか稼いで来たい。携帯代だってあるし、切り詰めても必要になってしまう最低限の額をどうにかしたいーーーのだが。今までの自分の『金の稼ぎ方』は形振り構わないものでーーーでもそんな自分に戻る気はもちろんなくて、けれどそれならばどうすればいいのかわからず、結局途方に暮れてしまう。
(・・・・・・普通に生きるって、こんなに難しいのか)
自分の中に『普通』がない。ーーーわかってはいたが、改めてそれを直視してしまうとーーー辛かった。
「・・・・・・ともり?」
いつものコーヒーを淹れてくれた自分の愛しいひとが、少し心配そうに顔を覗き込んで来る。
「どうしたの?」
「ん・・・・・・」
なんだか酷く心細くなってしまった。その細く華奢な手に物欲しげな眼を向けて、そっとその手を取って自分の頰に触れる。心地良いあたたかさに眼を閉じた。
「・・・・・・ともり?」
「だいじょうぶ・・・・・・ちょっと、不安になっただけ」
もう片方の手がふわりと頭に触れた。守られるように少しだけ抱きしめられてほっとしてーーーまだまだ自分は『保護対象』なのだと、違う部分で心が沈む。
「・・・・・・『普通』が難しくて」
自分からは遠く遠く離れた場所に在る気がして。
少しでも近付きたいのに、不可能な気がして。
心細く、なった。
「・・・・・・『普通』は難しいよね」
苦笑にも似た温度で彼女が小さく笑った。ゆっくりと、その手が頭を撫でる。
「大丈夫。難しいんだ。難しい、ことなんだ・・・・・・不安でいいんだよ」
眼を合わす。深い色をした彼女の眼がやさしく微笑んだ。
「相談して、話し合って。・・・・・・そういう風にさ。進んだり転んだりして。・・・・・・きっと、それでいいんだよ。・・・・・・それが、いいんだよ」
手はじめに、相談からはじめてみようか。微笑む彼女の顔をずっと見ていたくて思わず大きくうなずいた。
「・・・・・・けど、これは聞いてない」
「・・・・・・不満か」
「・・・・・・」
不満か不満じゃないかと言われればもちろん不満だ。当たり前だ。
だが、皮肉でもなんでもなく素直な意味でこの男の『普通』に疑いを抱いたことはなく、羨ましくも思っていたのでーーー不満や文句を言える筋合いではない。
彼女が相談相手として召喚した相手は真野だった。ついこないだまで大学生だったこの男は短期から長期まで幅広くバイト経験があるらしく、相談相手にはぴったりだった。相性は別として。
「バイト探してるんだって?」
「・・・・・・そう」
うなずく。ぺらぺらと求人誌を捲りながら真野がうーんと唸る。
「お前の場合は・・・・・・まあ、なにが嫌か先に挙げてった方がいいかもな」
一年前、ほんの少しだがバイト関係の話をしたことがある。それとそのあとにこの男がなんとなく察したであろうこちらの家庭事情。
精神面だけではなく文字通り体全体ぼろぼろになっていたのを、この男は見ている。だからこその言葉の選び方だった。
元からそういった部分が敏く、けれど不器用なのだろう。上手い言葉の選び方だとは思わない。が、丁寧にきちんと自分のことが考えられているのは伝わって来た。
「・・・・・・酒があるところは、嫌だな。ファミレスくらいならともかく」
「まず居酒屋はアウトってことだな。あとバー関係も。・・・・・・バーテンとかなら選べばそこそこ儲かるんだけど。お前のその顔なら面接一発オーケイだろうし」
「・・・・・・あと、あんまり目立ちたくないし大勢と関わりたくはない」
「裏方希望か。となると接客はアウト・・・・・・」
顔を顰められた。出す条件に怒っているのではなく本当に困っている顔だった。
「・・・・・・となると難しいな・・・・・・コールセンターくらいしか今浮かばないな」
「・・・・・・そっか」
コールセンター。軽くうつむきかけると真野が若干言い辛そうに口を開いた。
「・・・・・・まだなにかあるんじゃないのか。条件。これは面接じゃなくて相談なんだから、言いたいこと全部言ったってなんの問題もないだろ」
「・・・・・・女、いないところ」
女が好きじゃない。これも昔この男に言ったことがあった。
彼女はもちろん例外だし三木だってそうだ。綾瀬だって。
が、大抵の人間は自分の顔を見る。
自分を値踏みして、近付いて来る女たち。
ーーー関わりたくは、なかった。
「・・・・・・これは馬鹿にしてるわけじゃないし、からかってるわけでもないんだが。・・・・・・お前、友達多くない方か」
「・・・・・・そう」
林場。綾瀬。ーーー自分が積極的に関わる人間はそのくらいだ。
決して多くはないと思う。が、増やそうとも思えないのが事実だった。
あまりひとと関わるのは得意ではない。
「・・・・・・お前、コミュ障なところがあるんだな。それをいきなり不特定多数の場所に放り込んでもストレスになるだけだから・・・・・・なるべくひとが少なくて、なるべく女もいないところで・・・・・・うーん・・・・・・」
なんだか酷く無理難題を押し付けてしまった。自分で出した条件だがそんなのないだろ・・・・・・無理しなくていいと言おうと口を開こうとした時、ぱんと真野が手を打った。
「ーーーあった」
「え」
「あった。時給も悪くなくて人数少なくて女があんまりいないやつ。いや、ゼロではないけど多くはない」
「ど、どこ?」
「家庭教師」
あったあったと満足そうに大きくうなずきながら真野が言った。
「お前、頭いいだろ。家庭教師、うってつけじゃないか?」
「で、早速決まったの?」
「うん。登録して、そのまますぐ」
出された夕食をもりもり食べる。米は艶やかに光り、味噌汁は魅惑的な湯気をゆるく昇り立てている。メインのおかずは手羽先のワイン煮込みでてらてらと程よい脂を抱き、その横で具がたっぷり入ったキッシュが切り分けられている。そしていつものようにほうれん草のおひたし。
たっぷりとしたメニューを見て彼女が小首を傾げた。
「今さらだけど手羽先とキッシュってちぐはぐだよね。ごめんね」
「え、そう? おいしいよ」
大きくキッシュを頬張って食べてから同じように首を傾げる。どちらとも洋風メニューだしどちらともおいしいしで文句の付けようがない。もう一切れ食べたくて手をのばした。
「こう、家庭環境のせいなのか・・・・・・和洋平気で混じっちゃうんだよね。気になったら言ってね」
「ん? うん。でも俺もあんまり気にならない」
シチューと刺身とかならまた話は別だが流石に彼女もそんなことはしないし。
「でも、よかった。大変だろうけど家庭教師なら条件クリアだし」
「うん。高校生までの男子生徒だけって条件出したし」
母親や姉妹が在宅の可能性もあるがでもメインは勉強を教えることだ。そこまで接さなくても大丈夫だろう。
「何回か講習受けたらすぐ開始だってさ。人数足りてないんだって」
「そっか。頑張ってね」
ふわりと彼女に笑いかけてもらえて心が弾む。貯金ももちろんするが、必要経費を抜いてもまだ余裕があるくらい稼げるようになったら彼女とどこかに行きたい。なにかおいしいものを食べたり、きれいなものを見たり。どこか、一緒に。
明日が楽しみになる。未来に期待する。
ーーー明日が良い日になりますように。
そう祈りながら、努力するのだ。
自分の手で。
自分の力で。
あらん限りの、力で。
〈 未来の掴み方 未来の選び方 〉




