青年の希望
〈 青年の希望 〉
「みーさん」
幸せそうに、青年が微笑った。
「・・・・・・ともり、聞いてる?」
「みーさん、あたりまえだよ。俺がみーさんの言葉聞き逃すわけないれしょ」
「・・・・・・どうなのかなあ・・・・・・」
呂律が若干回っていない青年。機嫌は良さそうだが、これは。
「・・・・・・えーと、御影さん?」
「はい」
「あの・・・・・・すみません・・・・・・」
「いや、まあ・・・・・・はあ」
若干青褪めた顔色の男子大学生ーーーともりの大学の友人が、頭を下げる。
「本当・・・・・・申し訳ない・・・・・・です・・・・・・」
うしろからがばりと抱き着いてくる青年を肩越しに見て、溜め息を吐いた。
親睦会に青年は出かけて行ったはずだった。この家に青年が戻って来てーーー自分の体調やなにやらが、落ち着いてからーーー未成年とはいえこれから大学デビューを迎える青年には、お酒を飲む機会を少しずつ家で作っていた。あまり自分の飲食に興味を持たずに時間を過ごして来た青年は、アルコールにも然程興味を持てなかったようでアルコール慣れをしていなかったのだ。未成年なのでそれはそれで正しいのだが、大学生となるとまあ・・・・・・未成年だが、まあ・・・・・・いろいろと、ある。
家で一緒に飲む機会を設けた時は青年はそれほどアルコールに弱くはないようだった。なので程々にならここまでべろんべろんになるタイプではないーーーのだが。
「・・・・・・隣のテーブルにいた社会人のお姉さんたちが、結構酔ってて・・・・・・こう、流れで合同みたいになったんですが・・・・・・」
「はあ・・・・・・」
「・・・・・・目を離した隙に・・・・・・なにか・・・・・・盛られたみたい・・・・・・で・・・・・・」
異性に対し警戒心の塊みたいな青年がその年上肉食系なお姉さま方のお酒を受け取るとは思えなかった。が、
「こう、調子に乗った他の奴が受け取って、そのまま横流しに・・・・・・蕪木は自分たちがオーダーした酒だと思ったみたいで・・・・・・」
「あー、なるほど・・・・・・」
困ったな、と胸中で落とす。これが原因でお酒の場を避けたりするようにならなければいいのだけれど。というかおかしいだろ、盛るなよ・・・・・・。
「酔いが普通より回ってるだけではあるみたいなんで、水たくさん飲んで寝かせれば大丈夫だと思い・・・・・・ます」
「はい。わかりました」
さて、ディーに電話して社会的に報復かな。内心そんなことを考えながらすりすりと頬を寄せて来る青年の惨状を見て溜め息をもう一度吐いた。
「ともり、気持ち悪くはない?」
「みーさん抱きしめて気持ち悪いわけないでしょめちゃくちゃきもちいい」
「いやそういう話じゃなくてですね」
とりあえず大学生を帰し、うしろから抱きついたままの青年を連れて列車ごっこのようにリビングまで戻って来たのだが、なんだかなかなか言葉が通じない。ぎゅう、と頭を抱きしめられてふわっと片脚が泳いだ。
「わ」
「ん、ごめん」
次の瞬間がばりと抱き上げられた。うしろからいきなりだったので思わず小さく悲鳴を上げて青年の首にしがみ付く。なにが起こっているのかわからず付いていけないでいると、そのままソファーにそっと下ろされた。
顔の横に手を付かれ、黒曜の眼がじっと自分を見下ろしてくる。きょとんとしたままその眼を見つめ返しーーーふわりと、青年が微笑う。
「みーさん」
「? はい」
「みーさん。みーさん」
「? はい、なあに?」
「みーさん、ただいま」
ぎゅう、と、青年が抱き付いてくる。そろそろ離してもらいたい、と軽く腕を叩こうとしてーーー耳元を、低く少し掠れた声がなぞる。
「・・・・・・やっと帰って来れた」
ーーー思わず、手を止めた。
「会いたかった。・・・・・・会いたかった、みーさん」
首筋に落ちる吐息。額が頰に押し付けられーーー縋り付かれるように、抱きしめられる。
ーーー青年が、再びこの家に暮らすようになってすぐ、自分が倒れて。
ゆっくり話すことも、実感することも、なかったのではないかとーーーその時、気付いた。
離れていた期間で変わった、漆黒の髪。
必死に勉強して、自分の力でここに来た、かつての少年。
「・・・・・・」
かくん、と、青年から力が抜けて自分の身体に重みが加わる。規則正しい寝息が耳元に届き、ふう、と何度目かの息を吐いた。
「・・・・・・だからさ」
聞こえないのを承知で、言葉を紡ぐ。
「そんな大層なものじゃないんだよ。私は・・・・・・」
それでも。青年が微笑う。
みーさん。ーーーそう呼んで、幸せそうに、微笑う。
「・・・・・・おかえりなさい、ともり」
この青年が、かつての少年が。この先どんな路を歩いて行くのかわからない。
けれど、奇妙な縁ではあるけれど、こうやってまた一緒に暮らしはじめた青年がーーーこの先恐らくあと数年は一緒に過ごす青年が、安心して帰って来れるような。
ただいまと言える場所でありたいと。
そう思った。ーーー心から。
「おはよう、ともり」
「・・・・・・おは、よう・・・・・・? みーさん」
少し乱れた髪をそのままに、青年がソファーで上体を起こしたまま呆然と辺りを見回す。かけてあった毛布が少しずれ落ちた。
「あれ・・・・・・俺、いつかえってきたの・・・・・・?」
「真夜中だよ。気持ち悪くない?」
ひょいと覗き込むと青年が呆然としたままの眼で見つめ返してくる。
「や・・・・・・全然。ちょっとまだふわふわするけど。・・・・・・なんだかものすごくいい思いしてた気がする・・・・・・俺、なんかやってた?」
「・・・・・・帰って来てすぐ寝ちゃったよ」
因みにがっつり抱きしめられていたので脱出するのに骨が折れました。
「うわあ、でもごめん・・・・・・遅くなって。酒で失敗はしたくなかった・・・・・・」
「失敗っていうか・・・・・・まあ、うーん」
なんというか。
「まあ、これからは大丈夫だよ、きっと。・・・・・・でも、飲むお酒は自分でオーダーした確認の取れるものにしようね。・・・・・・なにが入ってるのかわからないしさ」
「? うん。薬盛られるかもしれないしね」
「そうそう。ともり誘拐されちゃうから」
なまじあり得なくはない仮定をしつつ、スマホのディスプレイに触れる。ディーからのメールだった。居酒屋の場所しかわかっていなかったのにもう問題のお姉さまグループを突き止め、まあ、いろいろお灸を据えてくれたらしい。流石だ。
ちょっと見ないレベルの顔立ちの、少しまだふわふわした青年の横顔を見てーーー溜め息を吐く。
「・・・・・・無事に帰って来てくれるなら、なんだっていいよ」
「・・・・・・うん、わかった」
その言葉を受けてーーーうれしそうに、青年が微笑う。
「ただいま、みーさん」
「おかえり、ともり」
〈 青年の希望 詐欺師の願い 〉




