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『普通』と『少年』

〈 『普通』と『少年』 〉


あのクソ生意気なガキが戻って来た、と知ったのは既にそのガキが自分の後輩の家に上がり込んでからだった。

「あれ、言ってませんでしたっけ」

きょとんとした顔で言うのはその後輩だった。深い色合いをした黒目がちな大きな眼がぱちりと瞬く。長い睫毛がそれに伴ってふわりと動き、まっすぐに見据えられてどきりとした。

「あれもなにも聞いてねえよ」

その動揺を隠して渋面を作りそう答える。後輩には隠せたようだったがガキの方はばっちりとその動揺を読み取ったらしい。後輩の背後で顰め面を作りしっしっと手を振る。こいつ。

「みーさん、それ持つよ。重いでしょ」

「ん? 大丈夫だよ、ライトより軽いよ」

「まあでも俺の方が力あるし。それよりさ、ちょっと休憩しない? パイももう少しで焼けるんでしょ? 叔母さんがくれたちょっと高い紅茶があってさ」

「紅茶っ」

ぴくんと、後輩が心惹かれたようにガキを見上げる。きらきらとした眼をガキだけに向けた。

「紅茶、くれるの?」

「うん、もちろん。一緒に飲もう。でもまだ俺紅茶おいしく淹れる自信ないからさ、みーさんが淹れてくれる?」

「うん!」

ふわっと後輩が笑い、ガキもうれしそうに顔を綻ばせた。開けていたダンボールのひとつから洒落たラッピングがされた小箱を取り出し、後輩の小さな手に渡す。

「ともりありがとう! 智枝美さんにあとで連絡するね」

「うん。きっとよろこぶよ」

恐らくガキの叔母であろう名前を出して、うれしそうにふは、と後輩が笑う。それを眩しくて愛おしいものを見るような眼で見つめたガキは、ぱたぱたと後輩が部屋を出て階段を降りて行くのを見送る。

「吉野ー! 紅茶、ともりが紅茶くれた!」

「おー、よかったねえ。明日の分の運全部使い切ったんじゃないー?」

「うわあまじかー!」

「どうする?」

「今全力で味わって楽しむ!」

「よし来た。パイももうすぐ焼けるよー」

相変わらず楽しそうな女二人だった。和やかな空気が階下に広がるのを聞き届けーーーじろり、と、同時に視線を合わす。

「お前本当に戻って来たのか」

「帰って来た、んだ」

がらりと崩れ落とすように態度も温度も変えてガキが言う。一年前金髪からアッシュブラウンになっていた髪は今は漆黒で、傍目に見ても痛みのない地毛なのがわかる。後輩の方がガキの髪色に重視を置いているのか、さらさらとした髪をよくじっと見ていた。視線に気付いた時、ガキはやさしく微笑って後輩の前に軽く屈む。すると後輩も小さく微笑うので、二人にしかわからないなにかがあるようだった。腹立たしいことに。

「御影、こないだ入院したんだってな」

その間たまたま関東にいなかったので、それを知ったのは日付の空いた今日だった。

ガキが正式に家に暮らすことになったので、新たに届いた荷物の荷解きとちょっとしたラック等の組み立て。もう既に終わっているはずのそれがここまで延びてしまったのは、後輩の体調が優れなかったかららしい。

なんとか退院し、回復してーーー手伝いの三木と、それから自分と。荷解きの手伝いというよりかは後輩に会いに来たのだが。

「一緒にいてなにも気付けないなら一緒にいる意味ないだろ」

「・・・・・・」

なにか反論があるだろうと、そういう風に思っていた。

が、いつまで経ってもその反論はやって来なかった。髪と同じ漆黒の色の眼は静かに凪ぎ、なにも言わない。

なにも思っていないーーーわけでは、なく。

なにも言わない。ーーーこちらに対して。

なるほど。ーーーそう、来るのか。

「御影、もてるぞ。あいつ、他学科にも顔広いし喋りやすくて人気あるから・・・・・・誰かが御影を好きになるなんて簡単だ。それはまあ、別にいい。よくないけど。・・・・・・でも、御影が誰かを好きになった時ーーーお前は、邪魔になる」

一人暮らし。家は実家だが、一人暮らしは一人暮らしだ。

御影も自分たちも大学生で、大学にも外にも出会いは溢れていてーーーいつか、御影が誰かを好きになる可能性は十分ある。

「その時、お前はどうするんだ。・・・・・・御影の邪魔、するのか」

恋愛なんて争奪戦だ。勝った方が勝ちだ。こいつに限らず、邪魔や妨害をするなんてよくある話だ。それがどう転ぶかはわからないが。

けれども、この場合。

この場合、御影をこいつが邪魔したとしたら。妨げたとしたら。

ーーーそれは、酷く、酷い。

「・・・・・・あんたは、さ、」

ふ、と、黒曜の眼が色を孕む。

苛立ちも、冷たさも、対抗心もなにもない、ただのひとりの男としてのなにも気負わない声。

「普通、なんだ。・・・・・・とても。普通に愛されて、普通に愛して、普通に悪く普通に正しく生きて来たんだと思う。これから先も、そうなんだと思う。・・・・・・それは、羨ましい。憧れる。・・・・・・俺には一生、それは無理なんだ」

はじめて聞いた、この男の内側。

「あんたには一生俺が理解出来ない。俺の価値観をあんたは一生見ることが出来ない。・・・・・・普通じゃない、異常なものを、あんたは一生見ないで生きる。それでいいと思う。それがいいと思う。・・・・・・そうして、欲しいと思う」

まるで、祈るように。

「・・・・・・その時俺がどうするか、あんたには言わない。・・・・・・言っても、理解されない。・・・・・・でもそれは、あんたが普通の考え方をすることが出来るからだ。理解出来なくていい。こんなもの、一生見えなくていい。あんたは・・・・・・あんただけは、普通でいてほしい」

そしたらきっと、みんな安心出来るから。・・・・・・みんな。

御影 幸。自分の好きな女。名前を呼ばせない。全てを呑み込む眼で世界を見据える女。躊躇わない。なにも躊躇わず、常識も理屈も全て越えて心で理解する女。

三木 吉野。御影の無二の親友。失った片眼。親も姉も失い、どうしようもない中傷の中それでも折れず敗けなかった女。

蕪木 灯。御影が拾って来た少年。かつてがりがりに痩せこけたぎらつく眼で自分と自分以外を分け、今は親とも兄とも縁を切り御影を選んだ男。

そして、自分。自分、は。

自分はーーーなんだ。

なにが見える。・・・・・・この三人が見ているものが、自分にも見えているのか。

こいつらはーーーなにを、見ているのか。

「・・・・・・」

「あんたは普通だ。・・・・・・あんたがいるから、俺たちはまだ『ここ』にいられる」

「・・・・・・」

「あんたは、そのままでいて。・・・・・・あんたが俺らの目の前で『普通』でいるから、『普通』が見えるからーーーまだ俺たちはわかることが出来る」

なにを? ーーーとは。

訊かなかった。

「・・・・・・あきらめたわけじゃ、ねえから」

「わかってる」

「今はお前の方が近しいかもしれないけどーーーでも、付き合いは俺の方が長いから」

「わかってる」

「まだ敗けたわけじゃない。御影が俺らでもない誰かを選ぶかもしれない」

「わかってる」

「・・・・・・」

クソガキ。・・・・・・口の中で、呟く。

「ともりー。ひろ先輩ー。パイ焼けましたよ。休憩しようー」

ぱたぱたと軽い足音が駆け上がって来る。ひょこりと顔を覗かせた後輩に青年が微笑んだ。

「うん。今行く」

こちらの横をすり抜けてーーー導かれるように自然に、後輩の横に並ぶ青年。

「みーさん、紅茶の淹れ方今度教えてくれる?」

「うん、わかった」

うなずいてーーー後輩の眼が、自分をまっすぐに見る。

「ひろ先輩」

やわらかい声。

隣に並ぶことはまだなくてもーーーこの存在をされ、自分がある種の目印となっているのなら。

それならばーーーそうなのなら。

「・・・・・・早く行かなきゃどこぞのガキが全部平らげそうだからな」

「は? っせえよ黙っとけ」

「あ?」

「あ?」

「相変わらず仲悪いなーもう」

それならば。

ーーーそうなのなら。



〈 『普通』と『青年』 その関係 〉



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