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彼女までの距離


〈 彼女までの距離 〉


「山手線ゲーーーム!」

「いえーい!」

「要くんの口癖ー! スタート!」

「『そのまま行け、俺の胃のことは気にするな』!」

「『お前ら平均点で遊んでない?』!」

「『俺の机に大量に正露丸置いたの誰? 俺が欲しいの胃薬なんだけど』!」

「『お前ら楽しそうだな』!」

「『俺は人間だ』!」

「『本当にお前ら楽しそうだな』!」

「『誰か胃薬持ってない?』!」

最早口癖なのかよくわからないが、彼女らの愛すべき担任はあの飄々としたスタンスとは裏腹に意外と振り回されていた人物のようだった。

アルコールが入りいつもよりテンションの高い社会人二人を見やる。いつもはセーブしながら飲む彼女が今日は妙にハイピッチなのは、今が年末だからか。

年末から年始にかけて、そして三月に不安定になるのを知っているので特に止めはしない。吐くほどは飲まないひとだし、仮に無理矢理だとしても楽しそうにしているならそれはそれでいい。

「で、なんであんたがいんの」

「それは俺が言いたいよ大学生。お前何年居座る気だ」

「みーさんと結ばれるまでに決まってるだろなに言ってんだ」

飄々と返すとこの場で唯一の男の社会人である真野が深々と息を吐いた。体の底から出て来るような大きさだった。

「・・・・・・お前、将来のこと考えてんの」

「子供は何人でも欲しい」

「そうじゃねえよあいつまだなにも宿してないだろ」

「数年後には俺が同意の上で孕ましてるからなんの問題もない。ただ出産って行為は女性側に負担が大きいから、そこは相談しつつかな」

「ともりくん出産するのおおお」

クエッションマークが付いているのか付いていないのか三木がふらふらと寄って来た。続いて彼女もやって来る。山手線ゲームはとりあえず終わったらしい。

「そうなのー? ともりおめでたなの?」

「うーん、違うかな」

「馬鹿ねーゆきー妊娠するならあんたでしょー」

「えー?」

ふわふわと焦点がうろつく彼女がグラスを取った。両手でそれを掴む仕草が愛らしい。が。

「そしたらもう私とっくに出産して子育てしてるよう」

ぶーっ! と、思い切り吹き出した。男性陣二人が。つまり自分と真野が。

「みっ・・・・・・か、げ、お前高校時代彼氏いなかったってっ、大学時代だっていなかっただろっ、」

「ひろせんぱいきたないー」

「きたないー」

「ひくー」

「ひいたー」

「おい答えろ酔っ払い共!」

「おち・・・・・・つけ、落ち着け真野、みーさんだって大人なんだから別にそこは」

「だとしてもッ!」

「山手線ゲーーーム。『起こった珍事件』ー!」

「『ロベス・ピエール』事件!」

「『決死のココア』事件!」

「『欠席の電波』事件!」

「聞けよ酔っ払いッ!」



がくりと意気消沈してぶつぶつなにやら呟きながら真野は帰って行った。家に持ち帰った仕事があるらしい。大変だなと、皮肉でもなんでもなく思う。

社会人。社会人、三人。三木は彼氏が迎えに来たので今ここに残ったのはひとり。

ソファーで横になり眠っている彼女の傍に屈んで、その髪に触れた。

「・・・・・・そうだよなあ。好き合ったなら、そういうこともするよなあ」

別にショックではない。恋人がいたなら当たり前の話だ。ーーー彼女はその相手と、離れ離れになってしまったけれど。

名前も知らないそのひと。

顔も知らないそのひと。

彼女を心の底から愛しているひと。

彼女が心の底から愛しているひと。

すやすやと眠る彼女の頬を撫でる。

少しずつ、ほんの少しずつ距離は近付いている。

手を繋ぎたい、と言えば繋いでくれる。

弱った時は抱きしめてくれる。

ただそれはあくまでも保護対象の存在への触れ方のままでーーー肌も、それ以上も赦されるような関係ではない。

自分が彼女の中の『特別』であることはもう疑いようもない絶対だがーーー彼女の『相手』では、なかった。

「・・・・・・みーさん」

呼んで。すると、ぱちりと彼女が目を開けた。

「え。あ、ごめん、起こした?」

「・・・・・・んー・・・・・・?」

本人も自分が起きているのか起きていないのかよくわかっていないような声音で。

ぼんやりとしたまま起き上がろうとして、その手がこちらの肩口のシャツを掴んだ。彼女の身体を支えるようにして上体を起こすのを手伝う。

「・・・・・・よしのは?」

「帰ったよ。三崎さんが迎えに来た」

「そう・・・・・・」

真野について訊かないのがなんだかおもしろかった。

「水飲む?」

「ん」

こくりとうなずいたのでグラスに水を注ぎ手渡す。両手でそれを持ちこくこくとそれを飲み切った彼女はこちらを見た。

「ともり妊娠したの?」

「うーん、俺はしてないかな・・・・・・」

「そーなの?」

「うん」

うなずいて手の中から空になったグラスを抜き取る。キッチンに持って行こうとした時、くい、と袖口を掴まれた。

「? なあに、みーさん」

「ともりくんちょっとすわってくれる?」

「? うん」

うなずいて隣に腰かける。なんだろうと首を傾げたら、としっ、と、ソファーに膝を付いた彼女が横から触れて来た。細い腕が片方首前を通って肩に回され、そのままきゅうっと抱きしめられる。

え、なにこれ。

やわらか、じゃなくて。幸せ。

「んー、ともりくんー」

空いた片方の手でふわふわと髪を梳かれるのが擽ったくて心地良い。

「・・・・・・ともりくんって呼ばれるの、やだ」

「? ともりー?」

「うん、それで。いつも通りそれで」

「うんー。ふふふ」

楽しそうに楽しそうに彼女が髪を撫でる。ぎゅうっと、頭を抱きしめられた。頑張れ俺の理性。

「・・・・・・犬とかかな」

「うんー?」

「ん、大型犬とか抱きしめてる気分なのかなって」

昔金髪だった時に似たような会話をしたのとがある。大型犬のゴールデンレトリーバー。

今は黒髪だから黒の大型犬かななどと考えていたのだがーーー変わらず頭を抱きしめていた彼女はふわりと小首を傾げた。

「大型犬のきぶん? ちがうよ?」

「そうなの?」

「うん。ともりを抱きしめてるきぶんだよ」

さも当然のように彼女が言ってーーー思考回路が停止した。

楽しそうに、楽しそうに鼻唄を唄いながら自分を抱きしめる彼女。

少しずつ、ほんの少しずつ距離は近付いている。

「・・・・・・本当頑張れ、俺の理性」

「うんー?」

「なんでもないよ」

なんでもない。

いつか彼女が自分を抱きしめるのではなく、自分が彼女を抱きしめる日までーーー

その日までは、なんでもない。



〈 彼女までの距離 彼女からの距離 〉



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