4話 舞踏会にて
俺がアンジェリカの従者となり、早くも6年が経った。
アンジェリカはとても美しいお姫様へと成長した。
美しく聡明なで優しいお姫様。
民への施しをする時にはいつも赤いずきんを被っていることから、アンジェリカは“赤ずきん姫”というあだ名を民からつけられ、親しまれている。
その一方で、異母妹であるジュリエット姫やその母親であるレイラ妃には嫌われ、度重なる嫌がらせを受けていた。
そんな嫌がらせすらも笑って流し、そしてわからぬようにこっそり仕返しをするアンジェリカを、兄であるルシアン殿下はとても可愛がっていると共に、とても重宝していた。
なぜなら、アンジェリカはとても優秀な頭脳をもっているからだ。
ただのお姫様には必要のない聡明さを、ルシアン殿下は高く買っている。
そして今日はそのルシアン殿下とアンジェリカの定期的に開かれているお茶会の日である。
アンジェリカは俺と護衛のエリックを引き連れ、四阿に足に運んだ。
「ご機嫌よう、ルシアンお兄様」
「やあ、可愛い私のアン。待っていたよ」
ルシアン殿下は笑顔でアンジェリカを迎える。
アンジェリカは殿下の前の席に腰を下ろす。
そのタイミングで侍女たちがお茶を淹れる。
お茶の準備が整い、侍女たちが去ったのを見届けてから殿下は口を開いた。
「アン。それで、成果は?」
「ええ、お兄様。こちらを」
アンジェリカは俺に視線を送り、俺はそれに頷いて、事前に用意しておいた書類を殿下に手渡す。
殿下はその書類を見て、顔をしかめる。
「……なるほど。これは、面白いな。私たちに喧嘩を売るとは」
「ええ。どうやらレイラ妃はお兄様とわたくしを亡き者にし、ジュリエットを次期女王とさせたいみたいだわ」
「馬鹿なことを。あの子は王の器ではないというのに」
「それだからこそ、ではなくて?レイラ妃の実家である伯爵の操り人形としたいのでしょう」
「そうだね、如何にもあの人たちの考えそうなことだ。さて、売られた喧嘩を買う必要はないけれど、我が妹君はどうするのかな?」
「わたくしですか?そうですわねぇ……」
アンジェリカはどこか遠くを見たあと、きれいに微笑んだ。
「なにもしませんわ。あちらの出方を伺います」
「……そうか」
ルシアン殿下はとても満足そうに頷いた。
護衛のエリックは真面目な男だ。
だが、真面目なだけではない。
高身長で引き締まった体躯、切れ長の青い瞳に金色に輝く真っ直ぐな髪。
まさに物語に出てくる騎士のような容姿を持った男である。
だがしかし、彼には重大な欠点があった。
「……カーク」
「なんだ」
「また振られた……」
「そうか。ご愁傷さま」
「慰めてくれよ……今度こそ上手くいくと思ったのに……」
「その……なんていうか。お疲れ」
エリックは恋多き男なのだ。
そして100%の確率で振られる宿命を背負った、哀しき男なのである。
「で?なにか収穫はあったのか?」
「勿論だ。姫様に報告した」
キリっとした顔をして、真面目な顔つきでエリックは頷く。
仕事で女に近づき、うっかりその女に惚れこんで振られるも、仕事だけはしっかりとこなすエリックには尊敬の念を抱く。
俺ならとてもそんな器用なことはできない。
エリックは仕事は、できる男なのだ。
だけど恋愛が絡むとからっきしだめな男になり、容姿とのギャップについていけない乙女たちに振られるのだ。
なんという、不憫。
きっとこのままでいけばエリックは生涯独身に違いない。
もっとも、アンジェリカが心配してお見合い結婚でもさせそうな感じもするが。
「それで、その内容は」
「ああ。今度、王城で開かれる舞踏会でなにかしでかすつもりらしい。俺も気を付けるが、おまえも姫様の周囲をきちんと警戒してくれ」
「わかった」
俺はしっかり頷いた。
そして舞踏会の日、俺はきちんと正装をしたアンジェリカを見て、息をのむ。
アンジェリカは最近とても綺麗になった。
アンジェリカの妹であるジュリエット姫もとても美しい姫だが、俺はアンジェリカの方がきれいだと思う。
アンジェリカは余所行きの微笑みを浮かべ、俺に話しかける。
「どうかしら、カーク。今宵のわたくしは?」
「……いつも以上に綺麗です」
「まあ、そう。嬉しいわ。でももう少し捻った答えが欲しかったわね。それが次の課題ね」
「……ガンバリマス」
「ふふ、精々精進してちょうだい。さあ、行くわよ、カーク」
「仰せのままに」
俺はアンジェリカに続き、会場入りをする。
アンジェリカは王女だ。
彼女が会場に入れば注目を浴び、挨拶をしてくる者があとを絶たない。
挨拶がひと段落するのはいつも1刻以上過ぎたあとだ。
疲れたのか、少し外の空気が吸いたい、と言ったアンジェリカに俺は従う。
そして階段のところに差し掛かったところで、可愛らしい声が彼女を呼び止めた。
「アンジェリカお姉様」
アンジェリカがゆっくりと振り返り、声の主を見ると、ふわりと微笑んだ。
「まあ、ジュリエット。どうかして?」
「いいえ、お姉様を見かけたので、話しかけただけですわ。お姉様、楽しんでいらっしゃいますか?」
「ええ、とても楽しんでいるわ。だけど、少し疲れてしまったの。だから今から外の空気を吸いに行くところなのよ」
和やかに話をしている二人だが、二人の仲はあまり良好とはいえない。
アンジェリカは昔、ジュリエット姫の美しさを羨んでいたようだが、今は特になんとも思っていないようだ。
対するジュリエット姫は、アンジェリカの評判が上がるにつれ、アンジェリカに嫉妬をし、嫌味や嫌がらせをしている。
美しい見かけに反して、内心はとても美しいとは言い難いお姫様だ。
「まあ、そうでしたの。呼び止めてしまい、申し訳ありません」
「いいのよ。ではわたくしはもう行くわね」
そう言ってアンジェリカがジュリエット姫の脇を通り過ぎようとしたとき、ジュリエット姫の体が傾く。
そして、階段を転がり落ちて行った。
とっさのことで反応が遅れてしまい、ジュリエット姫の落下を防ぐことができなかった。
きゃああ、と甲高い悲鳴が上がる。
アンジェリカはただ驚いたようにジュリエットを見つめていた。
何事かと集まって来た人たちを見て、まずい、と俺は察した。
何かをしでかすつもりだとは聞いていたが、こんなことをするとは。なんて幼稚な。
ジュリエット姫は起き上がりアンジェリカを見て、信じられない、という顔をして言った。
「お姉様……どうして……?」
この状況でその台詞。
まるでアンジェリカがジュリエット姫を突き落としたかのような言い方だ。
やがてやって来た衛士たちによって、ジュリエット姫は運ばれる。
そして少し心配そうな顔をしたルシアン殿下と兵たちがアンジェリカを囲う。
「アンジェリカ……」
「お兄様……」
アンジェリカとルシアン殿下は目線を交わす。
そしてルシアン殿下は厳しい顔をして、アンジェリカに問いかけた。
「アンジェリカ。これは一体どういうことなんだ?」
「わたくしにもよくわかりませんわ。わたくしがジュリエットの脇を通り過ぎようとしたらジュリエットが階段から落ちてしまいましたの」
「……そうか。だけど、この状況を見るに、君がジュリエットを突き落としたように見えるね」
「わたくしはジュリエットを突き落としていません」
「だけど、周囲からはそう見える。一時的にアンジェリカの身柄を拘束させてもらうよ」
「……わかりました」
アンジェリカはすんなりとルシアン殿下の言葉に従い、兵たちのあとに続く。
そして俺とエリックの脇を通り様に小さく呟いた。
「わたくしを信じて。大人しくしていてちょうだい」
俺とエリックは顔を見合わせる。
しかし、アンジェリカはそのまま会場から立ち去ってしまい、会場は騒然とした。
だが、ルシアン殿下がなんとかとりなし、騒ぎが収まるとそのまま舞踏会は継続して行われた。
アンジェリカが身柄を拘束されてから早くも数日が経過した。
しかしいつまで経ってもアンジェリカの身柄が解放されることはなく、むしろこのままではいけば罪に問われる可能性が高い。
なぜなら被害者であるジュリエット姫がアンジェリカに階段から突き落とされたと言い張っているからだ。
大人しくしていろ、と指示があったがそれも限界だった。
俺はエリックと相談をした結果、アンジェリカが閉じ込められている部屋に侵入をすることにした。
俺は久々に黒狼として動くことに決めた。