3話 彼の事情
俺はアンジェリカに連れられて、城へやって来た。
忍び込むことはあっても正面から堂々と入ったことはないため、俺はまじまじと城内を観察した。
高そうな絵や壺があちこちに飾られていて、さすが王族の住む場所、と思う。
俺は絵や壷に興味はないし、美的センスもない。だからただ立派だな、という感想しか出てこない。
それにしても、1つだけ俺には気になったことがあった。
「なあ、お姫様。あんた、護衛はいないのか?」
「アンと呼んで頂戴。護衛ねぇ……いるにはいるのだけど……今はいないの」
「どういう意味だ?」
「今、急な用事で城にはいないの。だから本当はわたくしは城から出ないようにと言われているのだけれど」
「無視したんだな……」
「ふふ」
アンジェリカは俺の言葉を否定も肯定もせず、ただ微笑む。
本当にたちの悪いお姫様だ。何かあったらどうするのだ。
「安心して頂戴。彼がいなくても、わたくしの護衛はきちんといるわ。気づいているでしょう?」
「……まぁな」
気配を消しているが、自分たちをつけている存在があるのには気付いていた。
それはそうか。さすがに王女様を一人で出歩かせることはないか。
「とにかくお父様にあなたを紹介しなくては。あなたをわたくしの従者として認めて頂くわ」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。お父様はわたくしに関心がないもの」
彼女はそう言ってさみしそうに微笑む。
彼女は父親にどんな扱いを受けているのだろうか。
大切にされているのは間違いないのだろうが。
彼女は部屋の前に立つと、彼女は深呼吸をしてドアをノックする。
部屋の中から威厳のある声がした。
「誰だ」
「アンジェリカです。お父様。今、お時間よろしいでしょうか」
「入れ」
彼女は失礼しますとドアを開け、優雅に一礼をする。
「どうした?アンジェリカ」
「彼をわたくしの新しい従者にしたいんです」
そう言って彼女が俺の方を見ると、国王も俺の方を見る。国王と目があった。
やばい。俺は慌てて目をそらし、俯く。
「ほう。なかなか面白いのを捕まえたようだな、アン?」
「そうでしょう?お父様、彼をわたくしの従者にしてもよろしいでしょうか?」
面白いのって……。否定してくれ、お姫様。
「おまえにこれが御せるか?」
「もちろんです、お父様」
「ならば、よい。好きにするが良い」
「ありがとうございます、お父様」
「では、下がれ」
面白いのの次はこれ扱いか……。さすが王族だ。
アンジェリカが部屋を出て、俺もそれに続こうとすると「待て」と呼び止められる。
俺は怪訝な顔をして振り向くとナイフが俺の顔のすぐ横をかすめ、壁に突き刺さる。
「なにかご用でしょうか、陛下」
俺は何事もなかったかのように訊ねる。
国王はつまらなそうな顔をしていた。
「つまらん。少しは驚いた顔をするくらいの可愛げがあればよいものを」
「はあ、申し訳ありません。人を殺したり脅したりすることには慣れてますが、喜ばせることには不慣れなもので」
「ふん……それで、『黒狼』がなぜ生きてアンジェリカの傍にいる?」
「……………」
国王は、俺を知っていて俺が殺されかけたことを知っている。
この世界では仲間同士の諍いなどよくあることで、それで死ぬことも少なくないし、行方がわからなくなることなんてよくあることだ。
俺が死にかけて1週間。1週間で俺が死んだという情報が回るのは早すぎる。死体もないのに、死んだという情報が1週間で回るのはあり得ない。いくら強力な毒でやられたとしても、だ。
「なぜ陛下は俺が死んだと思ったんですか」
「私の質問に答えろ」
俺の質問に答える気はないのか。
「……王女様に救われたからです」
「はっ。救われたくらいで従うわけないだろう。あの有名な『黒狼』が」
「陛下が俺にどんな評価をしてくれているのかは知りませんが、俺だって人間です。命を救われれば情くらいわきますよ」
「よく言う。死にたがりの暗殺者が」
「お褒めに預り光栄です」
「もうよい。下がれ」
俺は一応、一礼をして下がる。
部屋から出るとアンジェリカが待っていた。
「お父様は、なんて?」
「なんでもない。俺が珍しかっただけみたいだ」
「そう……では、行きましょう」
アンジェリカは複雑な顔をして歩き出す。
俺はその後に続く。
俺は歩きながら、国王に言われた一言を思い出す。
ーーー死にたがりの暗殺者、か。
確かにその通りだと、俺は自嘲する。
物心ついた頃にはナイフを握っていた。
一番古い記憶の中の俺は血溜まりの中にいた。
たすけてくれ、という声を無視し、何も思わず、虫でも殺す感覚で人を殺していた。
俺は孤児だった。俺を拾ってくれた人は暗殺を仕事とする人で、生きていくために俺も自然と暗殺者になった。
養父は寡黙な人だった。言葉で教えるよりも実践で教える。そんな教育方針のもと、俺は順調に暗殺者への道を歩んでいった。
俺には暗殺者の才能があったようで、気づけば黒狼なんて呼ばれるようになった。
養父と俺の関係は世間一般でいう親子のそれではなく、もっと淡泊な関係だった。
それでも俺はそんな養父を慕っていた。俺にとっては良い父親だった。
そんな養父との別れは突然だった。
養父と俺が寝泊まりしていた家が何者かに襲われたのだ。養父も俺も応戦したが、如何にせよ相手の数が多かった。
養父も名の知れた暗殺者だった。養父と俺が相手なら負けないと思っていた。
それはただの思い込みで、徐々に俺達は追い込まれていった。
迂闊にも、俺は深手を負ってしまった。そんな俺を庇いながら戦う養父が圧倒的不利で。正直俺はもう駄目だと諦めた。
そんなとき、養父が俺の頭に大きな手をのせ、こう言った。
『決して、己の命を諦めるな。生きていられる限りは生き続けろ』
そう俺に言った養父は最後の力を振り絞るように、敵を殲滅していった。
最後の一人を倒すと同時に養父も倒れた。
俺は慌てて養父に駆け寄ったが、その時にはもう養父は事切れていた。
養父がいなくなって、俺は初めて養父が俺にとってかけがえのない存在なのだと知った。
あとになってわかったことだが、あの日、俺達を襲ったのは、俺の才能を妬んだ同業者の仕業だった。
俺を守って死んだ養父は、俺のせいで死んだのだ。
俺が、養父を殺したのだ。
それを知った時、じゃあなんで俺は生き延びてしまったのだろう、と思った。
俺が生きている意味は?
わからない。なんで養父は俺に生きることを諦めるなと言ったのだろう。
その日から俺は危険な仕事ばかりをするようになった。
自分から命を絶つようなことはしない。しかし、危険な仕事を優先的にやっていけば、いずれ俺は命を落とすだろう。
命ある限り、生きることは諦めない。それが養父の最期の言葉だから。
だけど、俺は、早く養父のもとへ逝きたかった。
そんな俺を、仲間はこう言う。
『死にたがりの狼』と。
俺が死にかけたあの日、任務は成功した。
しかし、逃げる最中に怪我を負った。敵は殲滅したが、刃物の先に特殊な毒が塗られており、気付いた時には解毒剤の在処を問える人間もおらず、俺はただ死を待つのみだった。
やっと死ねる。そう思ったのに、結局は生き延びている。俺はなんて悪運が強いのか。
俺は目の前を優雅に歩くお姫様を見る。
彼女なら俺を殺すことができるだろうか。