2話 彼女の事情
「カーク、調子はどう?」
彼女は今日も俺の様子を見にやってきた。
そしていつものように俺の体調を聞く。
「……まあまあだな。まだ本調子とはいかない」
「そう。でも、普通に生活する分には問題ないのよね?」
「まあ、そうだな」
「では、わたくしと一緒に帰りましょう」
「……断る」
「あら、どうして?」
首を傾げて可愛らしく尋ねる。
まだ彼女と出会って1週間ほどしか経ってないが、彼女のことが少しだけわかってきた。
このアンジェリカというお姫様は、自分の魅力をよくわかっていて、どう魅せれば効果的か計算して動く。
まだ10歳だというのに、末恐ろしいお姫様だ。
「俺はあんたの従者になる気はない」
俺はキッパリと答える。
しかし彼女は困ったような、哀しそうな表情をしてこう言うのだ。
「なにが不満なのかしら」
「俺は誰かに従うなんて真っ平ごめんなんだよ」
「まあ。わたくし、あなたを従わせる気なんてなくてよ。わたくしではあなたを御せない。あなたはただ、わたくしの傍にいてくれればいい」
なんでコイツは変なところで後ろ向きなのだろう。
最初に会ったときみたいに、堂々と命じればいいのだ。「わたくしに従いなさい」と。
彼女にはそう言う権限があるのに何故使わない。
コイツのこういうところがイライラする。
「あんたの、そういうところが気に食わないんだよ」
「……わたくしは、出来損ないなのよ。お兄様のように賢くも、妹のように美しくも愛らしくもない。中途半端なお姫様なの。そんなわたくしが、有名な『黒狼』を御せるはずがないでしょう」
「あのな。なんでやる前から諦めるんだよ。俺はあんたの兄も妹も知らないが、そいつらなら俺を御せるとでも思ってんのか?笑わせるな」
「…………!」
俺は一瞬にして彼女との距離を埋め、彼女の首もとにナイフを押しつける。
彼女はいつもの作り物の表情ではなく、本当に驚いたような顔をした。
「本調子じゃなくても、あんたくらいすぐ殺せる。それをわかってんのか、お姫様?」
ほんの少しだけ殺気をだす。これくらいの殺気でも10歳のお姫様を脅すには十分すぎるほど効果的なはずだ。
「……殺したければ殺せばいいわ」
彼女が絞り出すように呟いた。泣くわけでもなく、怯えるわけでもない。
驚いた。本気ではないとはいえ、俺が脅しても屈しない。それがたかが10歳のお姫様だなんて。
「わたくしに価値はない。だから、殺したければ殺せばいい」
「……あんたは自己評価が低すぎる。俺の脅しに屈しない。それがどれほど価値のあることか、わかってない」
「価値のあること……?」
彼女の瞳が戸惑ったように揺れる。
その表情は、10歳の少女らしい。
「俺の脅しに屈しないのは、よほど信念の強い人間か心の強い人間だ。本気ではないとはいえ、あんたは俺の脅しに屈しなかった。並大抵の人間じゃできないことだ」
「……………」
「中途半端?いいじゃないか。中途半端くらいの方が庶民の気持ちを理解しやすい」
「わた……くしは……」
「あんた、自分は美しくも可愛らしくもないって言ってたけど、俺はそうは思わない。綺麗なお姫様だと思うぜ、俺は」
「わたくしが……きれい?」
彼女が信じられないことを聞いたように呆然として俺を見た。
俺は彼女の首もとからナイフを離す。
「いいえ。あなたも妹を見れば妹の方が美しいと思うに決まってるわ。今までみんなそうだったもの」
「ふーん、じゃあそうかもな」
俺がそう答えると、彼女は悔しそうに下を向く。
なんだ、そんな顔もできるんじゃないか。
俺は彼女の頭に手を置いて、優しく叩く。
「容姿はそうかもしれないが、あんたは心が綺麗だ」
「こころ……」
俺がそう言うと、彼女の顔がボッと赤くなった。
その様子に気分を良くした俺は声を出して笑う。
彼女はそんな俺を涙目で睨む。
それにしても、声に出して笑ったのはいつぶりだろう。
ーーーこのお姫様の傍にいるのも、悪くない。
どうせ一度は捨てた人生だ。
この自己評価の低いお姫様に捧げるのも悪くないかもしれない。
「なぁ、お姫様」
「なに?」
「使えるものはなんでも使えよ」
「使える、もの?」
「そうだ。権力、人脈、人……なんでもいい、あんたが使えるものがあるなら、それを使わずにいるのは勿体ないだろ」
「も、もったいない……そうね、あなたの言う通りだわ」
彼女はすぅっと息を吸い込むと、その綺麗な空色の瞳でまっすぐ俺を見つめて、白い手を差し出す。
「カーク、わたくしに忠誠を誓いなさい」
「……あんたに、俺が使えるか?」
「今すぐに、とはいかないかもしれない。でも、わたくしはあなたを御してみせる。やってもないのに諦めてはいけないんでしょう?」
「ーーいいだろう。あんたに拾われた命、あんたのために使ってやる」
俺は彼女の白い手取り、おとぎ話の騎士がするように、その手の甲に口づける。
「あなたに、忠誠を」
「では、カーク。城に戻ります。準備をして」
「わかった」
準備もなにも俺は身ひとつで十分だ。荷物もこれといって特にない。
「おや、少年。行くんだな?」
俺が世話になった彼女の婆さんに挨拶をしたあと、シリルがひょっこりと現れた。
シリルは神出鬼没だ。どうやら彼はあまり調子の良くない彼女の婆さんの様子を見に来ているようだ。
「ああ。あんたも、世話になった」
「命の使い方、決めたんだな?」
「ああ」
「そうか。ま。頑張れよ。折角俺が助けてやった命だ。大切にしろよ」
「……善処する」
「善処、ねえ……まあいいか」
シリルはポンポンと俺の頭を叩く。
「元気でな、カーク」
「……あんた、本当にただの魔法使いか?」
本調子ではないとはいえ、俺は常に周りを警戒している。それにも関わらず俺の頭にシリルは触れた。
もし仮にシリルが敵で俺に危害を加えようとしていたら、俺は確実に致命傷を負っていた。
俺の危機管理の精度が落ちたのか?
「いい質問だ。俺は優秀な魔法使いなんだ。調子の悪い暗殺者に触れることくらい、わけないさ」
「……魔法使いっていうのは厄介な存在だってことだけはわかった」
「そう警戒するな。本調子の君にはさすがに俺も触れないし、今の君に触れるのは魔法使いでも俺くらいしかいないと思うぜ」
「…………そういうことにしておく」
「厳しいなぁ」
シリルは苦笑した。
そして、いつもの笑顔で俺を見送った。
「いってらっしゃい」