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冬休み明けの始業式が始まる前、僕は担任のいる職員室へと向かった。室内には教師が四人ほど。みんな難しそうな顔でデスクの書類を眺めている。あまりいい雰囲気とは言えなかった。
窓際の奥にある机の側まで行くと、目当ての人物は顔を上げた。
「空か。久しぶりだな」
担任の緒方先生だ。
「色々と大変だろうが、困ってることはないか?」
「はい、特になにも」
「そうか? ――ならいいんだが。ところで私に何か用か」
「はい」
僕は鞄の中に入れていた封筒を取り出すと、機械的な動きで手渡した。先生は驚いた表情を見せた。
「これは……退学願いじゃないか。どうして、お前が?」
「一身上の都合です。親父が死んで家庭はガタガタ。とても学校に行ってる余裕なんてありません」
「何も今すぐ決めなくてもいいじゃないか。少し考えてみたらどうだ」
緒方先生は心から僕を気遣ってくれているようだ。普段から気の強い先生にしては珍しい。それが少しおかしくて、僕は肩をすくめて言った。
「じっくり考えましたよ。その上での結論です」
「馬鹿な。早すぎる。そう急ぐこともないだろうが」
「先生は相変わらず指導熱心ですね。でも僕の気持ちは変わりません」
「わたしは教師として言ってるのではない。お前が心配で言っているんだ」
そういって先生はきりっとした眼を僕に向ける。
担任の緒方凛。その指導法があまりに厳しいこと、ゲリラテストを三日に一回は行うという理由からついた渾名は「ゲリラ緒方」だ。本人は整った顔立ちの美人女教師だが、彼女を現すのにこれ以上の名もない。ちなみに本人の前でこれを言うと……は、考えたくもない。
「このことは、朱音も知っているのか」
「姉さんは……関係ないですよ。僕が自分で決めたことですから」
「身内とはそんなものではないだろう。たったひとりの姉なんだからな」
「姉に言ったらまたうるさく小言を言われるに決まっています。だから、このことは秘密にしておいてください」
「お前がそれでよくても、あいつが納得するか? 朱音はずいぶんお前のことを想ってるようだぞ」
「だから、そういう問題じゃないんです。僕らの面倒を見てくれる親類はもういないんだから、仕事も探さないと。今僕がどういう状況か、わかってもらえてるはずです」
「わかるさ。だが学校を辞めて働きに出て、お前はそれで満足なのか? 本当にそう思うのか?」
「僕は……」
どうしてだろう。どうして放っておいてくれないんだ。そんなに学校とは通わなくてはいけないものなのか。それで本当にいいのかなんて、どうして先生に言われなくちゃならないんだ。
「――わたしは別に、お前に在学することを強制したいわけじゃない」
先生は言った。
「とりあえずこれはわたしが預かる。一週間だけ考えてみろ。それでも気が変わらなければ校長に提出する。部活動にもなるべく顔を出してほしい。学校を続ける糧になるかもしれんからな」
先生がそこまで話し終えたところで予鈴が鳴った。
緒方先生は腕時計を見るともうこんな時間かとつぶやき、僕に教室に戻るよう指示をした。
先生にこれほど楯突いたのは久しぶりだ。気がつくと顔は高潮し、背中にはたっぷり汗をかいていた。僕はそれを緒方先生に気づかれないように平静を装いながら職員室を後にした。