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 玄関の鍵をキッチリ閉め、僕は並河かなみのことを思い浮かべていた。

 親父と約束した、とかなみは言った。

 しかし生前の親父はそんなことを一言も言っていなかったのだ。

 聞こうにも、死人にくちなし。親父はあの世で安らかに眠っているはずだ。


 ――安らかに、か。

 

 僕と姉は、病院の霊安室で親父の顔を見た。顔の損壊はほとんどなかった。夢を見ているような。それも、永遠に覚めない夢を。


 小さな病室の隅っこで、姉さんは僕の手をずっと握ったまましゃべらなかった。その時の表情は幼子をあやすような優しい表情をしていた。僕は唖然としたまま、姉さんの手の温もりだけを感じていたのだ。


 そうこうしているうちに姉さんが帰ってきた。


「ただいまー、空」


 苛々している時の姉さんは声で分かる。今がその時だ。


「聞いてよ空ー」


「はいはい。何かあったの?」


「それがねー」


 今日の献立に使うであろう食材が入ったレジ袋を置き、姉さんが僕の横に座った。料理は僕も作れるが、姉さんほどではない。たまに作るといっても「これは私の仕事!」といって聞かない。


「その前に何? 変な匂いがするんだけど」


「え、そう?」


 話し始めた瞬間、鼻をピクピクさせながら姉さんが尋ねた。


「うん。私が最も嫌う雌豚の匂い……。この感じだと十二、三くらいの少女の匂いね」


「あ、ああ……。さっきまで女の子がきてたけど」


「どこの子?」


 姉さんの眼がキラリと光る。


「さあ、わかんないよ。家を間違えたようで、ちょっと話してすぐ帰ってもらったから」


 咄嗟についた割にはいい嘘だと思う。


「そのわりには長時間ここにいたような痕跡が残っているわ。例えばこの髪の毛。私のじゃなければ空のでもないよね。なんでこんなものがここに落ちてるの?」


 姉さんの観察力にはかなわなかったが。


「なんでだろうね」


 僕は肩をすくめて適当に答えた。

 すると姉さんの瞳から急に光が消えうせた。


「……ふうん、そっか。お姉ちゃんにそんな態度とるんだ……。ふふ、そんな悪い子にはお仕置きが必要みたいね」

 

「ね……姉さん落ち着いて。全部話すから」


 いつもは温厚な姉さんだが、一旦スイッチが入ると、鬼みたいになる。


 僕は並河かなみがやってきた時のことを詳細に話した。もっとも、僕自身飲み込めていない部分が多すぎるし、話し上手な方ではないので、上手く説明できていたかどうか分からないが。

 

「なんですってえ! 空の婚約者!」


「本人はそう言ってたよ。なんでも、親父と約束したんだって」


 ――結果、僕は姉さんに肩をガシガシ揺さぶられていた。


「ちょ、姉さん落ち着いて」


「何? 何? これが落ち着いていられるわけ? 大事な空がとられそうになって、お姉ちゃん落ち着いていられるってわけえええええ!?」


 地雷を踏んでしまった。こういう時の落ち着けは火に油だ。


「とりあえず、その女の子の所に乗り込むわよ。お姉ちゃんが直接話ししてくる」


「別にいいけど……住所も電話番号もわかんないよ」


 聞いてないのはうっかりしてたかもしれないが、聞いても教えてくれるとは限らなかったしね。


「うー、空のバカ」


 姉さんが恨めしそうに僕をにらんで来る。


「大体いつの間に許嫁なんてできたのよー」


「さあ、僕にもさっぱり」


 それは僕が一番聞きたいことだった。


 そろそろいい時間だったし、お腹もすいていたので、姉さんは夕食の準備にとりかかっていた。あっという間に手際よく進み、数十分ほどでテーブルの上にいくつもの料理が並べられた。

「空、お腹すいたでしょ? たーんとお食べ」

「ああ、うん」

 今日の夕飯はクリームパスタだった。濃厚なチーズと麺の相性が抜群にいい。寒い冬には姉さんの手作りパスタに限る。現金だが、こういうときは姉さんの弟でよかったとしみじみ思うのだった。

 

 甘美な夕食を食べ終えた後、お茶を入れてくれた後姉さんが言った。


「それにしても、ちゃんと言えばよかったのに。僕には姉さんという素晴らしい女性がいるから、君とは結婚できないって」


 不満そうに言う姉さんを尻目に、僕は首を横に振った。姉さんはあくまでも「姉」。いくら美人で頭が良くて料理も得意で生徒からの人望も厚かろうが、法律に違反する気はない。


「あまりに急なことだったからさ」


 ちゃっかり横に座って腕を組んでる姉さんのおでこを指ではじいた。


「あぁん♪ もう、空ったら可愛い☆」


 時々姉さんは、僕の言葉をわけの分からない方向へ曲解する癖がある。なので、姉さんに対する言葉は最新の注意を払う必要があった。


 ……そもそも、そうなったのは僕のせいらしい。

 僕は姉さんの弟で、姉さんは僕を愛している。

 姉さんは学校でも生徒会長を努めるほど優秀で、本来なら僕みたいな平凡な男子高校生になんて、見向きもしなかったろう。


 小さい頃の僕は、もっと反抗的だった。年の近い姉弟なんてそんなものだろうが、母親代わりに僕を育てようとする姉に心なぞ開いていなかった。


 子ども扱いされることが嫌だったのかもしれない。姉さんはその時から大人っぽくて、ますます自分が子供っぽく感じた。


 大人ならこういうだろう。“反抗期”だと。そうかもしれない。所詮僕はへそ曲がりな人間だ。家族と上手くコミュニケーションがとれない、居場所をなくした子供。

 そんな僕に構い続けたのが姉だった。

 僕は分かりやすく反抗を繰り返した。“うざい”“消えろ”“死ね”モヤモヤした気持ちを全て姉にぶつけて、気をはらすことしか考えていなかった。


 今思えば愚かだった。親からの愛情が欠如して育ってきた自覚はあるし、何でも出来る姉に嫉妬していなかったと言えば嘘になる。少なくとも、後者に対しては姉に全く責任はなかったのに。


 そんな子供じみた反抗意識も、いつしか薄れ、僕は姉のことをもっとよく観察してみることにした。出かける前は必ず僕のお弁当を作ってくれ、掃除・選択は毎日のようにしてくれた。

 そして、あんなに酷いことを言っていたのに、いつも僕を優しく見守ってくれた姉。

 どうしようもなく自分が惨めに思え、申し訳なく思え、やっと僕が紡ぎだした言葉は「ごめんなさい……」だった。


 その時から、今の姉にシフトチェンジした気がする。姉さんの助けになろうと精一杯ついていく僕を、変な眼で見だしたり……。

 しかし、それまでの関係に比べれば全然マシだった。


 今思い返せば、姉は姉。僕は僕だったのだ。しかしこの二つは決して切り離すことは出来ない。どんなにうっとうしくても、嫌でも、それを全て受け入れてくれた姉のように。


 僕は尚も甘えてくる姉の頭を撫で、リビングの奥に飾られた、家族で写っている写真を見た。

 

 父さん、母さん……何とかやっていくよ、姉さんと。

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