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「君誰? どこの子?」


 ファーストコンタクトとしては、ありふれた質問だったかもしれない。だが見た目は小学生ぽいが、どんなに小さくても自分がどこの人間で名前はなんであるかは分かる。


 この場合は何の用があってうちを訪ねてきたの? というニュアンスを含んでいたのだが、相手の年齢でそれを察してもらうのは難しそうだった。


「あなたの婚約者よ!」


 ぱあっと明るく少女は言った。

 だが、返ってきた答えは僕の納得するものではなかった。理論的に話が出来ないのは好きではない。


「ああ、婚約者ごっこかな? 君、近所の子?」


 努めて大人の対応をしたつもりだ。しかし、相手には不満があったらしい。不満に思われる筋合いはないけども。


「だーかーらあ。ごっこじゃなくて婚約者なの!」


 駄々をこねるように少女は言った。まあこんな子供にちゃんとした答えなど期待していなかったが。


 女の子はピンク色のコートに、ふりふりしたスカート、腰元には赤いウサギさんのポシェットをさげている。ボーイッシュに短く切りそろった髪に、ぱっちりした大きな瞳がとても可愛らしい。

 まあ、性格は少し残念だが。


「寒いわ。中に入れてよ」


「あ、ああ……」


 僕が何の反応も示さないことにイラついたのか少女は答えも聞かず、ズカズカ部屋へ入り込んできた。

 これが大人なら不法進入罪で警察に通報するところだ。


「ねえ君。お父さんお母さんは? 心配してるんじゃないの?」


 リビングに入り、ソファにボフンと座り込む彼女に言った。


「なんでー?」


 きょとんとして彼女が聞き返す。


「知らない人の家に行ってるんだから、心配するでしょ」


 遠まわしにさっさと帰れと含みを入れて僕は言った。


「大丈夫だよ! 言ってあるから」


「僕は何も聞いてないよ」


 いかん。怒るな怒るな。

 

「それに、君の年齢じゃ、結婚なんて出来ないんだよ」


「うん。でも婚約者だから。大きくなるまでもう少しまってね」


「待たないよ。歳が違いすぎるし、君のこともよく知らない。さあ帰った帰った」


 僕は彼女の腕を掴んで玄関まで引っ張ろうとした。

 彼女の年齢など知らないが、仮に十三歳だとするなら、大して年は変わらない。しかし、僕のほうが年上なことに変わりなかった。

 

 彼女は腕を振り払い抵抗した。


「婚約者を追い出すつもり? くーちゃん酷いよ!」


「くーちゃん? ああ、亘理空だからくーちゃんか。しかし、いきなり押しかけといて酷いも何もないね。別になんて呼ぼうと勝手だが、君の婚約者ではない」


「ツンデレ?」


「それは意味合いが違う。そもそも君を好いていない」


「嘘! そんなことないもん!」


 彼女は少し涙眼になりながら怒鳴った。


「そんなに力強く否定されてもね……。漫画じゃあるまいし、いきなり婚約者とか言われて喜ぶやつはいないよ」

 

 僕は小さい頃から漫画より小説を好んで読む大人しい子供だった。子供はスポーツ万能な子ばかりもてはやされて、インドアな僕は苛められこそしなかったが、友達は一人もいなかった。そしてそれは今でも変わらない。


「ところで、名前は?」


「私? 並河かなみ」


「ふうん」


 不本意な表現ではあるが、僕は彼女を舐めるように見た。


「君、年いくつ?」


 少し背伸びした言い方をしてみた。

 目の前にいるぶっ飛んだ少女ほどではないが。


「十二歳。あ、恋人はいないから安心してね!」


 聞いてないことまで答えてくる。マセた子供だ。


「小六なら、なおさらまずいよね。親御さんは、僕が君の婚約者だっていうの知ってるのかな?」


 親の顔が見てみたいという言葉があるが、こんな破天荒な子の親にある常識は、あまり期待できなかった。


「パパもママも知ってるよ? ずーっと前から」


「前って、どれくらい?」


「二年くらい……かな」


「ぐらい?」


「くーちゃんのお父様とも約束したもん」


 その言葉は意外だった。

 僕はさぞ情けない顔をして固まっていたに違いない。


「くーちゃんのお父様。亡くなられたんでしょ?」


 僕は頷いた。


「まあね。なんだ、親父の知り合いなのか」


「うん。とても残念なことになっちゃったね」


 並河かなみは顔を曇らせた。もうこの年で他人に同情する素振りを身につけているのか、彼女の本心なのか、僕には分からない。


「知ってるなら話が早い。親父と約束したかなんか知らないけど、そういうことだから。とりあえず婚約破棄してよ」


「いや!」


「いい加減にしないと、怒るよ?」


「いーやー!」


 彼女は首をブルブル横に振って全力で拒否した。


「お父様が亡くなったから約束を反故にするなんておかしいよ!」


「それなんだけどさあ」


 彼女の説明には疑問が残る。婚約者云々言う前に、親父と彼女はどういう関係なんだ?


「親父は君になんて言ったの?」


「……くーちゃんが、許嫁になってくれるって」


「許嫁?」


「うん」


 こんな小さい子を捕まえて許嫁だなんて、親父は何を考えていたんだ。それに、今時婚約者だなんて。


「さあ、これでわかった? くーちゃんはあたしと結婚するのよ」


 するのよ、と言われても、僕はするとは言ってない。

 僕はため息をつきそうになるのを懸命にこらえて、改めて彼女のことを観察してみた。


 この必死そうな眼。嘘をついたり悪戯をしてるようにはとても見えない。しかし僕だって世間的にはまだ子供だ。どう返事を返していいかなんて分からない。


「さて、この場合どうするべきかな?」


「? なにがー?」


 僕が考え込むような仕草をすると、不思議そうにかなみが覗き込んできた。


「ふうん。やっぱりそれしかないか」


「だから、なにがふうんなの?」


 形のいい彼女の眉がひそめられる。


「さっきも言ったと思うが、僕は親父から何も聞かされていないんだよ。それに今日のところは僕も忙しいんだ。お引取り願えないかな?」


「ダメ! 許嫁って認めてくれるまで、ここを動かない!」


 さも当然の権利を主張するかのごとく、かなみは元気よく返事した。


「結婚してくんないと駄目だから!」


「あ・の・ね・え」


「あたしはくーちゃんの婚約者だもん」


 さっきからこれの一点張りだ。しかし、それで「はいそうですか」と受け入れるほど、僕は人間が出来ていない。


「あまりふざけたことを言うなよ? 僕の意思はどうなるんだ?」


 苛々してつい声を少し荒げてしまった。しかしかなみは気にしてないかのような表情で、

「あたしにもあたしの考えがあってここに来たんだから。何と言われたってここを動かないわよ」


 僕は今まで自分が辛抱強い子供だと自負してきた。親からも教師からも、空君は我慢強く大人びている。そんな評価をずっと受け続けてきた。

 ところがどうだ。こんな小さい子の言う事に腹を立てている。


「親父が約束してしまったっていうなら謝るよ。でも、もう死んじゃったんだよ。君だって無理に結婚する必要なんてないんだ。ね?」


「女の子に恋させといて、捨てるの?」


「メロドラマみたいな台詞はやめてくれないかな。そういうのはドラマの中だけにしてくれ」


「事実は小説よりも奇なり、っていうよ?」


 くそ。知らなくていいことばかりよく知ってる。


「それとこれとは話が別だよ」


 僕はごく当たり前のことを言ったつもりだった。

 しかし彼女は……。


「ひどいよ。ひどいよ……。あたし、どうしたらいいのよ……」


 そういってかなみは涙をぼろぼろ流し始めた。

 これには流石に不意をつかれる。


「あ、ああ。ごめん。決して君が嫌いで言ってるわけじゃないんだ」


「本当? 本当に嫌ってない?」


「隠し事はするかもしれないけど、嘘は言わないよ」


「あはっ。あははっ」


 かなみはちょっとだけ笑った。そして、少し気恥ずかしそうに、

「いきなりきちゃったから、嫌われたのかと思ったの」


 年頃の少女にしてはしっかりしてると思ったが、やはり不安はあったらしい。


「ごめんね。今日のところは帰るわ」


 やっと年相応な姿を見た気がする。初めからそういう素直な態度で来てくれれば、僕も大人気ない態度をせずにすんだのに。


「ああ。気をつけて帰るんだよ」


「またくるから」


「はい?」


「またくるって言ったの! あたし諦めてなんかいないんだからね!」


 かなみは席を立って、僕の前まで近づいてきた。


「あたしが本気だって証拠、見せてあげる」


 そういって彼女は僕の唇に唇を突きつけてきた。


「んっ……」


「ん、んっ……」


 くちゅくちゅと唾液を唇と舌の間に送られてくる。小学生とは思えないキスの上手さだった。


「ぷはあ……」


 たっぷり数分間舌を吸い取り続け、ようやくかなみは開放してくれた。


「うふふ。これでもう、恋人同士だね!」


 かなみは飛び跳ねながら嬉しそうに言った。


「何をどう解釈したらそうなるんだ」


「そのうちメロメロにしちゃうからいいもーん。じゃ、まったねー!」

 


 そういい残し、並河かなみは嵐のごとく去っていった。

 唇にそっと触れてみる。まだ少し湿っていた。

 彼女なりの証明だったのだろう。


 かくして、初対面の婚約者との奇妙な会談は、一旦幕を閉じたのだった。 

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