表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/27

23

「亘理…………朱音…………」


 信じられないものを眼にしたような顔をしてるのは、玲子も同様だった。右手にナイフを携えたまま、ゆっくりと後退して距離を開けていく。おそらく刃物を持った者同士なら、分が悪いと判断したためだろう。さっきまで逆上していた頭が、少しは落ち着きを取り戻したらしい。


「並河玲子、あなたは大きなミスを犯したわ」


 姉さんはキッと玲子を見据えながら言った。


「よりにもよって、私の命よりも大切な空に手を出すだなんて。うふふ、二度とこんな馬鹿な真似が出来ないように、四肢を一本ずつもいでダルマみたいにしてあげましょうか、私が」


 いたぶるような姉さんの口調は、物凄く怖かった。怒りのボルテージがリミットを振り切ったらしい。だけど今は頼りにさせてもらうしかない。こうなった以上は成り行きを見届けることしかできないから。


「な、何よ。空が本当の弟だと騙して手篭めにしようとしてたのはどこの誰よ。弟に手を出すな? 笑わせないでよ。あなたこそ空の姉として似つかわしくないわ!」


 玲子は語気を荒げた。反論の仕方は馬鹿げているが、僕も姉さんに対してあらぬ邪推をしてしまったのだ。だがこうして打つ手なしの状況で助けてもらっている。結局、僕と玲子は血を分けた本当の親子なのだ、と認めるしかない。


「あなたにだけは言われたくないわね」


 姉さんは冷静沈着に言葉を返した。


「少なくとも、勝手な都合でわが子を手にかけようとする人には。あなたは自分たちの地位が揺らぐことを恐れたのよ。あなたこそ、空の母親を名乗る権利なんてないわ!」


「うるさいうるさいうるさい! なによ、あんたに何がわかるの! 並河グループを大きくするために、私たちがどれだけ身を粉にして尽くしてきたか! あんたに判るっていうの!?」


「そんなことのために、僕を……」


 髪を振り乱し、悪意を込めた眼を向けている女が、僕の母親なのか。ズキズキと胸が痛んだ。会社に貢献してきたその思いを、ほんのわずかでも僕に向けてくれたらと、心底思う。だが、今そんなことを考えていても、どうにもならない。ならばせめて、こちらも負けぬように蔑みの視線を送るまでだ。


「ふん、とうとう本性を現したわね。身を粉にして尽くしてきたですって? わが子を見放してまでする大切な仕事なんて、どこにあるっていうのよ」


 姉さんもまた、侮蔑しきった口調で言った。

 対する玲子は、唇をブルブル震わせながら答える。


「私は空を見放したわけじゃないわ。うちにくれば、並河家の莫大な資産は全部空の物になるのよ。空にとって一番得をする話なのよ?」


「そんなもの、空は求めてないわ」


 姉さんは僕に眼を向けた。


「お金なんて、ある程度でいい。空に最も必要なのは、沢山の愛情よ」

 

 そう言うと姉さんは、手に持つナイフを玲子の眼前に突きつけた。

 幸い本当に刺さることはなかったが。玲子は甲高い悲鳴をあげた。


「ひっ!」


「騒がしいわねこの雌豚は。本当に殺そうかしら」


 姉さんは銀色のナイフを振り上げると、手の力を抜いて地べたに落とした。


「と、思ったけど、それはやめるわ」


 からんと音が鳴り、玲子は驚いて姉さんを見る。


「何のつもり? さっさとやらないの?」


「ここであなたを殺しても空は喜ばないわ。でも忠告しとくわよ。あなたは殺人未遂の現行犯。もう二度と手を出さないことね。次こんなことしたら今度は地獄を味わわせてやるから」


 脅しをかけるように、姉さんは玲子に警告を与えた。

 玲子は俯き足元に視線を落としている。


「さ、帰りましょう、空」


 姉さんはきびすを返した。その時だった。


「…………!」


 玲子は突然顔を上げ、手にしたナイフに力を込め、姉さんに向かって走り出した。猛然と迫る獣のような姿が接近してくるのは、僕の眼からは映る。だが姉さんの立ち位置からでは気づきようがない。このままでは刺し殺されてしまう。


 思考が働く前に大声で叫んだ。


「姉さん! うしろ!」


 姉さんは振り向いた。

 眼前に迫るナイフ。

 刺さる。

 そう思ったときだった。


 同時に、姉さんは瞬時に身をかがめ、襲いかかる玲子のナイフを避けた。玲子の目線で言えば一瞬姉さんが消えうせたように見えただろう。


「え!?」


 標的を失った玲子はバランスを崩し、驚きの声をあげた。


 その隙に姉さんは全体重をかけ、大地を踏みしめ、前かがみになった玲子のみぞおちに、鋭角な肘打ちを食らわせた。

 肘は体の中で最も硬い部分だ。それが柔らかい腹部にめり込んでいるのだから、痛いどころでは済まないだろう。


「ぐえっ!」


 玲子は呻き声をもらすと、手元からナイフを落下させた。

 そしてそのまま地面に倒れこむ。


「……姉さん」


「大丈夫、殺してない」


 姉さんは言った。


「こんな無責任な親でも、空の血が繋がったお母さんだもの。私は空が苦しむようなことは死んでもしない」


「でも、どうしてそれを……」


「学校から帰る間、ずっと空の跡をつけてたの」


 姉さんはしれっと言う。


「ごめんね。教えたら空に怒られるかもしれないから。何もなかったら帰ろうとしたけど、あの女が空に襲いかかってくるのが見えたから」


「ごめん。心配かけて」


「もう、これに懲りて無茶はしないでね」


 むくれたように言ったが、すぐに表情を緩めてくれた。


「でもさっきの空、かっこよかったよ」


「姉さん……」


 僕のことをじっと見守ってくれてたのか。玲子みたいに血の繋がりはないが、僕を真に思ってくれる気持ち。それだけは本物だ。僕は言った。


「ありがとう。僕の大切な姉さん」


「え? え? 大切な人ってもしかして、お姉ちゃんのことを世界で一番愛してくれてるってこと? ああん、嬉しいよー! 結婚式はいつにする?」


 ま、まあ、姉として愛してるって意味では、あながち間違いでもないのだが。今の姉さんには何を言っても無駄なので口には出さなかった。というより、ほっとした途端、肩の傷口が痛み出したので、

「いつかね」とだけ言っておいた。


 そのとき、川辺の土手を、一台の車の明かりが照らした。遠目で分かりづらいが、大衆車ではなく、白塗りのベンツが停まっている。ばたんとドアが開き、二人の人間が顔を出す。そのうちの一人が、僕を見つけ大きな声をあげた。


「くーちゃん!」


 かなみは叫びながら、川端まで駆け寄ってきた。その後ろを、草薙さんが追いかける。どうやら約束は反故にされたらしい。近くまで来たかなみは、肩から流血してる僕の傷口を見て、大きく悲鳴をあげた。


「くーちゃん! 怪我してるの!? なんで!?」


「かなみ……どうして、ここに?」


「家を出る時のママの様子がおかしかったから。どうしても気になって」


 活発な表情を苦悶に歪ませながら、かなみは言った。


「でも、これはどういうこと? なにがあったの? ママは? ママ……は?」


 かなみはあっと声を出した。

 倒れている玲子さんと、べっとり血のついたナイフを眼にした途端に。


「まさか……ママがっ!」


「いや」


 かなみの言葉を、僕は打ち消すように言った。正直、呼吸をするのも辛いほどの痛みが襲ってくる。次から次へと汗がだらだらと流れてくる。


 だが、じっと耐えながら僕は言った。


「かなみ。これから話すことは君にとって、とても辛いことになるかもしれない。でも約束だからね。一通り終わったら全てを話すって。どうしても訊きたくないなら無理に訊かせようとは思わないけど。どうする?」


「…………」


「決めるのは、かなみだよ」


「訊くわ」


 かなみはしばらく口をつぐんでいたが、やがて覚悟を決めたように言った。血の流れる僕の腕からも、眼を逸らすことなく。

 僕は、口を開いた。

 そして全てを話した。


 僕の過去、玲子さんの過去、そしてかなみの過去も。

 喋っている間中、かなみは悲しそうな顔をしていた。

 何もかも知り終えた後、かなみは言った。


「そう……だったんだ」


「ああ」


 かなみは眼を伏せた。

 僕は彼女に何て言えばいいかわからずに黙っていた。

 やがて彼女は顔を上げ、そして言った。


「かえろ、くーちゃん。自分たちの家に。あたしもママに言いたいことがあるし。くーちゃんも朱音さんと話がしたいでしょ。せめて、家までは送らせて」


「そこまで大げさに考えなくてもいいと思うんだけどね」


 僕は苦笑いした。


「ご厚意には甘えておくよ。歩いて帰るのは、流石にちょっときついからね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ