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 積雪を踏みしめ帰途につくと、家の前に誰かが立っていた。

 よもやと思ったが、姉さんではなかった。だが距離が詰まり、概観がハッキリするにつれて、人影の正体が判じられた。 


 戸塚恭子。


 彼女は白のダウンコートと、チェック柄のスカートを履いていた。僕がそばまで近づくと、恭子は哀しみを堪えてるような声で言った。


「遅かったな、空」


「恭子……」


 彼女の唇は紫色に変化していて、よく見ると小刻みに肩が震えていた。どれだけ待っていたのかは判らないが、長時間この雪天の中立ち尽くしていたようだ。


「寒くないの?」


 気がつくと、声をかけていた。恭子は顔をほころばせ、

「考えごとに耽っていて、冷たさも忘れていたよ」


「考えごとって?」


「昨日、空を苛んでしまったことだ」


「別に、気にしてないよ」


「お前とは古い付き合いだ。そうでないことは判る」


「……だとしたら、どうするの?」


「そのことなのだが」

 

 別に何かして欲しいという望みがあったわけではない。

 だが、あろうことか彼女は雪の上に膝をつき、土下座を始めた。


「ちょ……」


 僕は慌てて声をかける。


「ちょ、ちょっと」


「すまぬ」


 額を白雪に押し付けたまま恭子が言った。


「煮るなり焼くなり好きにしてくれ。覚悟は出来ている」


「そんな。どうしてこんなことを?」


「私は空を独占したいがために、お前の心に傷を負わせた」


「何言ってるんだよ。そんなわけないじゃないか」


「空、忌憚なく言ってくれ。私は、お前の本心が知りたいのだ」


 雪はどんどん激しさを増して降り積もっていた。これ以上雪面に肌を触れていたら、凍傷にかかるかもしれない。


「判ったよ……その代わり、顔を上げて? じゃないと何も話さない」


「……承知した」


 恭子はむくっと身体を起こした。


「聞かせてほしい。お前の本音を」


 顔は赤みを帯びてしもやけになっている。

 痛々しい。見ていられなくて心が張り裂けそうになる。僕はやり切れない気持ちを振り払うように言った。


「確かに、自分が本当の子供じゃないって事実は胸に突き刺さったよ。それは間違いない。でも、たったそれだけのことだ。姉さんだって隠し事をしたまま毎日を過ごしてきたんだ。昨日知った僕よりずっと苦しんだはずだよ」


「しかし……しかしだ。やり切れないしこりは残っているはずだ」


 恭子は詰め寄りながら言った。


「まあ、そうかもね」


「ならば、その憤りを私にぶつければいい。私はそれだけのことをしたのだから」


「本当にいいの?」


 僕がそう言うと、恭子は迷わず答えた。


「ああ、頼む。殴るなり蹴るなり、やりたいようにしてほしい。私はお前の言うことならどんなことでも従う」


「なんだかなあ」


 本当に真面目というか、律儀なものだ。僕は苦笑しながら言った。


「じゃあ、明日からも変わらずに学校に来ること」


「な……何だと?」


「寒さで耳が聞こえにくくなった? 気構えたりしないで、いつもと同じような振る舞いで僕に接してほしいと言ったんだ」


「そういうことではない。空は私を……恨んでいるのだろう? 少なくとも、よい感情など抱いてはいないはずだ」


 雪に覆われているせいで見えにくいが、涙目になっているようだ。僕はそんなに器の小さな男と映っているのだろうか。だとしたらちょっとショックだが。


「僕にとって恭子は、ずっと親しくしてくれた『親友』なんだ」


「そんな……そんな。私は」


「ぐだぐだ言わずに、言うとおりにしろ!」


 このままでは水掛け論だったので、打ち切るように言った。


「僕は、また前みたいにたわいのない話を恭子としたいんだ。だから……いなくなられたら、悲しいんだ」


「空……」


「このままいがみ合うようなことをするのは、僕が嫌なんだ。恭子と何の変哲もない学園生活を送るのが、僕の願いなんだよ」


「…………そら」


「ん?」


「――ありがと、う……」

 

 声は途切れ途切れに聞こえた。顔中に溢れ出すほどに慟哭している。彼女が涙を流す姿を見るのは、これが初めてのことだった。

 もう、大丈夫だ。心配は要らない。この涙を全て流し終える頃には、心のしこりも全て落ちてゆくはずだ。そこから真っ白な状態でやり直せばいい。


「――すまない、情けない姿を見せた」


 ひとしきり嗚咽を続けた後、恭子は言った。


「もう心配には及ばない。私は自らがしたことに眼を背けず、罪を償うつもりだ」


 僕は安堵しながら言った。


「それでこそ恭子だよ。また過ちを犯したら、僕が正してあげるから」


「空も……」


 恭子は少しだけ空白を作って言った。


「空も、学校に来てくれ。辞めるなどと言わずに」


「え? どうして、そのことを……」


「ある人から訊いたのだ。空、私に可能なことなら何でもする。金銭の問題ならいくらでも都合をつけよう。だから、辞めないでくれ!」


「いや、でも――」


「頼む!!」


 そう言うと、恭子は深く頭を下げた。

 やや間を置くと、改めて僕に向き直り、

「私にとって、お前がいない学園生活など、何の価値もない、無用の長物なのだ。うんと言ってくれるまで、私はここを動かぬぞ」


「恭子……どうして、そこまで?」


「言ったはずだぞ。お前のことが好きだとな。好意を寄せている人間にやめてほしくないと思うのは、ごく自然なことだ」


「恭子……」


 僕はついさっき、緒方先生に言われた言葉を思い出した。


 ――やめてほしくないと思ってるのは、朱音や私だけではないぞ?


 僕が退学願いを提出したことを知ってるのは、緒方先生と姉さんだけ。姉さんではない。なら、緒方先生で決定だ。おそらく、僕と親しい恭子に打ち明ければ、思い留まらせることを願ってのことだろう。

 緒方先生の言ったもう一言が脳裏を去来する。


 ――そのうち自分から言い出すだろうから、私からは言わない。


「は、はは……緒方先生の、言った通りだ……」


「空?」


「ごめん、何でもない」


 僕が涙がこぼれそうになるのを懸命に抑えながら言った。


「わかったよ。とりあえず、悪いようにはしない」


「嘘はないな。約定だからな」


「うん」


「よかった……」


 裏づけが取れて満足したのか、恭子は胸を撫で下ろした。


「ならば、明日からもちゃんと通うのだぞ。欠勤など許さぬからな」


「うん。また学校で」


 去り行く恭子の後姿を見届けた後、僕は鍵を開けて家の中に入った。靴が置かれてないところを見ると、姉さんはまだ帰ってきてないらしい。


 部屋に戻り、親父の残したオルゴールを手に取る。

 少しの間さすってると手に雫がこぼれた。

 涙腺が熱くなって、球体の水が雨のように滴り落ちる。

 拭いても、拭いても、涙は絶え間なく眼の端から溢れて、止まらなかった。

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