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 起床すると、姉さんは家を出た後だった。リビングに上がると、テーブルの上に卵焼き、味噌汁と鮭の塩焼きという、朝食としては王道のメニューが置かれている。その横には一枚の手紙。僕は手に取って読み上げた。


 たとえ本当の弟じゃなくても、私はあなたを愛しています。

 今日は必要事があるので先に出ます。

 朝ごはんは作っておいたので、暖めてから食べてね。

 朱音。


 整った字体から、僕への想いが伝わってくる気がする。姉さんと別々に家を出るのは滅多にないことだったが、この気づかいはありがたかった。

 今は、姉さんの顔を見たくない。


 たった一人の食事を終えると、制服に着替え、鞄の中に教科書をぞんざいに詰め込む。今時の若者と比べれば僕は勉強熱心だと思う。真面目に取り組んだ努力は成績にも反映されている。といっても姉さんには到底及ばないが。クラスで上位に食い込む程度には、真面目に学習している自負はあった。


 

 それなのに、今日はまるで授業に集中できていない。

 僕は黒板を見つめ、ため息をついた。

 教師の声は右から左に流れ、話が入ってこない。シャープペンを動かすのも億劫だ。諦めて僕は隣の席に眼をやった。


 昨日姉さんから受けた怪我が大きかったのか、恭子は欠席していた。僕にとっては都合がいい。ストーカー行為を受けていたことはショックだったし、恭子の内に秘められた思慕の情も畏怖の対象でしかない。しかし、そうさせてしまったのは僕のせいだ。彼女の気持ちに早く気づいてあげれば、あんなことにはならなかったかもしれない。


 放課後になっても、姉さんは姿を見せなかった。僕と顔を合わせることに抵抗を感じているのだろう。それはそうだ、姉さんはずっと嘘をついていたんだ。居心地も悪くなるだろう。僕は支度を整えると教室を後にした。


 やる気は萎れたようになかったが、部活に出ることにした。姉さんと会うのが怖い。出来るだけ時間をかけてゆっくり帰宅したかった。

 気の向かないまま、新聞部の部室に足を運んだ。

 緒方先生が、机の前で資料を読んでいる。

 僕の顔を見ると嬉しげに顔を上げた。


「空か。きてくれたんだな」


「はい。他の部員はどうしたんですか?」


 部室には僕と緒方先生の二人しかいなかった。幽霊部員が多いのは知っていたが、三年生が参加しないどころか部長すら来ていないとは、呆れてものも言えなくなる。


「まあ、皆他に用があるらしくてな。最近はモンスターペアレンツも増えているから無理強いも出来ん」


「モ、モンペアですか……」


 緒方先生でも恐れるものはあるんだな、と僕は本気で感心した。


「まあ、部活には参加しますよ。いいですか?」


「いいも悪いも、ようやく復帰してくれる気になったんだな」


「とりあえずですけど」


「ふふん、これも私の熱情が伝わったからだな」


「ええ、まあ」


 僕は曖昧に言った。

 とりあえず何をしようか。取材して回る元気はなかったので、学年誌の中から特筆すべきイベントを抜き出し、記事にしてみよう。面白みは欠けるが、他にやることもない。


 メモを用意し、大衆の興味を掻き立てそうな内容だけを選定する。さらに本文を推敲し、読者になりきって読み直す。ここまでが中々労力のいる作業なのだ。

 しかし文章に集中して閲覧することができなかった。字が頭の中に入ってこない。文面を追おうとすればするほど、字面の上っ面をすり抜けていく。


「ふぅ……今日はこれぐらいにしとくかな……」


 結局半分も仕上がらないまま、時間だけが過ぎていき、記事を書き上げることは諦めることにした。学年誌を戸棚に戻し、緒方先生に会釈だけして部室を去ろうとする。


 ドアの入り口に手をかけると、

「空、少し待て」


 緒方先生が声をかけてきた。

 僕は後ろを振り返って言った。


「なんでしょうか?」


「いや、これといって大したことではないのだが」

 緒方先生はバツが悪そうに、

「学校……やめるつもりか?」

 と、訊いてきた。


「やめます」


 自分でも驚くぐらいあっさりと言葉が出た。


「もう、在学する理由もないですから」


「なぜだ? お前を慕ってる者もいるというのに」


「姉さんのことですか」


「朱音だけではない。お前は自分で思うより沢山の人から好かれているのだぞ」

 緒方先生はやけに食い下がった。


「悪いことは言わない。考え直してみろ」


「考え直すって、何のために?」


「それは、お前自身が一番よく判っているはずだ」


「姉さんのことを言ってるなら、僕は――」


「朱音は、お前を辞めさせぬよう学園側に手を回している」


「姉さんが?」


 僕は訊き返した。


「手を回すって、どういうことです?」


「お前から受け取った退学願い、校長に提出する約束だったな。朱音が生徒会の権力を総動員し、署名まで集めて、受理させないようにと願い出てきた。流石に無下にはできず、検討した末、とりあえずは様子見という形になったのだ」


「姉さんが……生徒会を動かして? でも、どうして? 姉さんには退学するってことは言ってな……」


 そこまで言いかけて、はっとした。

 昨日、姉さんの寝室の前で呟いたこと。あれが訊かれていたとしたら? 

 とすれば、今朝から姿を見かけなかったのは……。


「姉さん……」


「それでも辞めたいというなら好きにすればいい。人が進みたいと思う道に異議は挟めない。だが、お前がいなくなれば、悲しむ人間もいる。私とてそうだ。それだけは、忘れないでほしい」


「先生……」


「それに、やめてほしくないと思ってるのは、朱音や私だけではないぞ?」


「え? 誰のことですか?」


 僕が尋ねると、緒方先生は肩をすくめて笑った。


「さあな。そのうち自分から言い出すだろうから、私からは言わない」


「そうですか」


 先生の言葉に引っかかりを感じた。

 まるで、そうなることを予期しているような――


「話はおしまいだ。今日はもういい。気をつけて帰るんだぞ」


「はい……」


 僕はもう一度頭を下げると、部室を後にした。

 緒方先生はもう呼び止めることはしなかった。

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