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成就する生涯の半分も生きていないであろう僕は、人を愛することが良くも悪くも人生だという境地に達した。いや、そう思わざるを得ない事件が起きてしまったのだ。少し長くなるが、聞いてもらえるだろうか?
そう、まずは発端から話すとしよう。
――亘理家――
ダンボールの中身を整理し、いらないもの、よくわからないものを適当に詰め込む。ふと見ると窓は冷気で霜がついていた。
親父の部屋にあるのは長らく使って変色した机と、仕事で使ってたファイルなどが収められた本棚。そして押入れに入ってるものは、今ダンボールに詰めている最中だった。
親父が事故で亡くなったとはいえ、特別悲しみが押し寄せてくるわけでもない。かといって喜ぶほど親子仲が剣呑としていたわけではない。ただ人間が一人死に、部屋が一つ空いた。それだけのことだ。
ストーブもなく、障子からはびゅうびゅうと隙間風が吹き抜けるので、僕は身震いした。後で温かいお茶でも入れなければ。
「ん……? なんだ? これ」
タンスをあちこち開けると、乱雑に置かれたゴミの中から、綺麗なオルゴールが見つかった。年頃の女の子が喜びそうなものだが、姉さんが小さいころにプレゼントしそびれたものだろうか。埃一つなく手入れされているということは、おそらく思い入れのある品物なのだろう。親父は何を思い、このオルゴールを手にしていたのだろうか。
生前大事にしていた物は、その人の魂が宿るというが。
そんなオカルトじみた話は、僕のもっとも嫌うところだ。形のない「思い」や「霊魂」などは、その最たるものだろう。今はただ、今後の生活をどうしていくか。それだけを考えていればいい。そう、姉さんと二人で。
「空ー。どう、調子は? お茶入れたから少し休憩しよ? そしてイチャイチャしよ?」
ガラッと扉を開けて、姉さんが入ってきた。
亘理朱音。腰元まで靡く黒い髪。見るものを虜にする美麗な表情。世間一般でいう美人なのだろう。結構なことだ。姉が不細工だと僕も困ってしまう。しかし姉さんは、こんな端麗な顔をしてるくせに、いつまでも弟離れができないでいる、困った人だ。
「ああ姉さん。丁度聞きたいことがあったんだ。これ、何か分かる?」
僕は手にしたオルゴールを見せた。
「んー? 何これ」
「わからないから聞いてるんだけど」
「ぶー。いじわるなこと言うと、お姉ちゃんキスしちゃうぞ☆」
「何言ってるの? 僕たち姉弟でしょ?」
「お姉ちゃんの中では空は一人の男性です。なので結婚してもOKなのです」
「発想が突飛すぎてわけわからないよ」
言い忘れたが、僕の名は亘理空。姉に比べて安直なネーミングから、両親の期待度の薄さが分かる。全国にいる数多の空君には申し訳ないが。
「ところでこれは何なの? 引き出しからみつけたんだけど」
「うーん。お父さんがオルゴールなんて聞いてるの、見たことないよ」
「だよね。親父あんまり音楽聞かない方だったし」
「ねえ、そんなことより、ずっと作業してて体冷えちゃったでしょ? お姉ちゃんが温めてあげるからリビングにおいで♪」
「……断ると言ったら?」
「そのときはおっぱいで窒息させて、無理やり連れていくから大丈夫よ☆」
「わかったよ。行けばいいんだろ行けば」
結局正体が分からなかったオルゴールを引き出しの中に戻して、部屋を出た。悪い人ではないが、日中つきまとってくる姉さんはどうも苦手だ。僕が消極的なのか、姉さんが積極的すぎるのか。まあその両方なんだろうけど。
リビングに足を運ぶと、姉さんはいきなり僕の首本に手を回し抱きついてきた。フローラルな香りが鼻を刺激する。
「空ぁ。お姉ちゃん寂しかったよぅ。空と一時間も離れて」
一時間「も」離れた、か。僕は親父の部屋を整理して、姉さんは市役所に電話をしていただけではないか。
と、心の中では冷静に突っ込みを入れているのだが、たった一人の姉だ。突き放すのは忍びないので頭をなでなでしてあげた。
「えへへ。空エネルギー充電☆ これがないと、お姉ちゃん死んじゃうんだあ」
ぬわにが空エネルギー充電だ。そんなもので動けるならもはや人間ではない。
「ああ、うん。ごめんね。次から気をつけるよ」
「空は優しいね。お姉ちゃんのこと思ってくれて。結婚式はいつにする?」
「百年後の明日」
「いやん。今すぐがいいよぉ」
くねくねと腰を躍らせながら言う。他の女がしたら虫唾が走るようなことだが、姉がやる分にはよく似合っていた。それはそれで気に入らないのだけど。
「あ! そうだ。今日の晩御飯の買出しに行かないと」
姉さんが急に叫び声をあげた。
「ああ、そろそろ行った方がいいんじゃない。夕方から本格的に吹雪くらしいし。僕は作業の続きしておくから」
「ごめんねー。帰ったら思う存分イチャイチャしてあげるから」
「そんなことを望んでるなんて誰も言ってないよ。さあ、行った行った」
「あん♪ そんな……。空のイケズぅ」
首をうりんうりんする姉さんに無理やりコートを着せ、玄関から送り出す。この人がいると、終わるものも終わらないどころか、日が暮れてしまう。
「空ー! 帰ったら美味しい手料理作ってあげるから、楽しみに待っててねー!」
「期待してるよ」
叫ぶ姉に手を振り、僕は部屋へと戻った。
ふと目をやると、隅に置いてある新聞が目に入り、手に取る。
二週間前の親父が死んだ記事だ。
交差点を渡ろうとした親父に信号無視のトラックが突っ込み即死。本当にあっさりとした簡単な記事だ。享年四八歳。
彼は姉と僕だけを残してこの世を去った。
たまたま近くのコンビニに行こうとした最中だった。見通しの悪い交差点で不慣れな運転手の車に、出会い頭にはねられてしまった。もし、その日を止めて明日にしておけば――もしくは、スピードのない軽自動車であったなら――親父は今もこの場にいたのだろう。
そんなことを考えていると、玄関のチャイムが鳴らされた。
はっと気づいてソファから立ち上がり、玄関へと向かう。
覗き穴から来客者を覗こうとするが、あいにく誰もいなかった。なんだ。悪戯か。そう思い引き返そうとすると、またもやチャイムが鳴らされた。
「なんだよ。まったく」
僕は不審に思いながらも、扉を半分ほど開けた。
「あ」
「え」
その時の気持ちをどう表現していいのか、今をもって分からない。尋ねてきた来訪者はどう見ても中学生、いや小学生ぐらいの子供だったのだから。