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 恭子の言葉を、僕はすぐに受け入れることが出来なかった。

 あまりにも突飛すぎるし、与太話だと断じてしまえばそれまでだ。

 だが。


「姉さん」


 僕は呆然と立ち尽くしている姉さんに尋ねた。


「どういうことなの? 僕と、姉さんが本当の姉弟じゃないって」


「空……」


 姉さんは僕をじっと見つめたまま動かなかった。まるで悪ふざけを咎められた子供のように。こんな表情は初めて見る。姉さんにそんな顔をさせてしまうことに自己嫌悪を覚えたが、今はそんな気持ちなどどうでもよかった。


「……無駄だ」


 恭子が痛みに顔をしかめながら言った。


「教えられるものなら、ずっと前から教えている。朱音先輩は蛇蝎のような女だ。だが、私は違う。空、私を信じろ」


「それは……まだわからない」


 僕は覚悟を決めて言った。


「話を訊いてから判断するよ」


「もちろんだ」


 恭子は頷いた。


「ただの姉弟にしてはどうも親密すぎると、お前と朱音先輩の関係が気になってな。そこで空と朱音先輩の周辺、身元を探偵に調査させていた。万が一と思っていたが、やはり亘理家に長男はいなかった。戸籍標本や出生届まで確認したのだ。間違いは無い。腹違いという可能性も0だ。お前は亘理家の人間ではない。言い方を悪くすれば、お前はどこからか貰われてきた子供だということだ」


「……うそだ」


 僕は呟いた。

 うそだ。


 でなければ、悪い夢だ。ずっと暮らしてきた父さんや母さん、それに姉さんまでが赤の他人だったなんて、そんなことあるわけがない。


「姉さん、違うよね」


「……………」


 姉さんは、口をつぐんでいた。


「どうして、何も言ってくれないの?」


「言えるはずがなかろう。恩義を売るだけ売って、空を強引に我が物にしようとしていたのだから。そしてその計画が全て崩れ去ったのだからな」


 恭子は腹を抑えながらほくそ笑んだ。


「ずっと騙されていたのだよ、空」


「違うわ!」


 姉さんは叫んだ。そして僕に向き直る。


「聞いて、空。あなたと最初に会ったのは、私がまだ五歳の頃だったわ。お父さんが急に家に連れてきたの。理由を聞いても教えてくれなかったわ。ただ知り合いの子供だって、誤魔化すばかりだった。大きくなって事実を受け入れるようになるまで、黙っていてほしいって、そう言われたの。だから……みんな、あなたのためなの。わざと教えなかったわけじゃない。私は……けして……」


 姉さんの声は、涙混じりになり、段々途切れていった。

 僕はそんな姉を、何とも言えず見つめていた。

 実の姉だと思い込んでいた女性を前に、何とも言えない不快な気持ちが沸いてくる。しかし、それと同時にあるのは、心の中に住み着いているのは、諦めに近い感情だった。


「もう、いいよ」


 僕は言った。


「空?」


「疲れた。もう帰りたい」


「うん……もう帰ろ。帰ろ、空」


 腕を絡ませながら、姉さんが言う。

 そしてそのまま恭子に背を向け歩き出した。


「忘れるな、空。朱音先輩のしたことを。私はお前に迷惑をかけたかもしれない。傷つけたかもしれない。しかし、その女は事実を隠してお前を弄んでいたことを……」


 去り行く僕らの後姿に、恭子は声をかけた。


「お前を真に愛しているのは、この私なのだ」


「…………」


 僕は何も言うことが出来ず、ゆっくりと扉を閉めた。

 屋敷を出ると、陰鬱な空気が僕と姉さんの間に漂った。いや、陰鬱にしていたのは僕の方かもしれない。


「空……」


 気遣うように声をかける姉さんに、僕は言った。


「やめて」


「え?」


「今は、何も聞きたくない。何も聞きたくないんだ。姉さん」


「うん……わかった」

 

 自宅に戻るなり、僕はベッドの上で横になっていた。

 時計を見ると、既に夜の十時を回っている。

 家に帰ってからも姉さんとの会話はなかった。

 理由はこれ以上ないほど明白だ。


 “本当の姉弟ではない"


 まったく、ドラマチックな事実だ。この間見た昼ドラを連想させる。「実はドッキリでした」なんていってくれたら、僕は心の底から安堵しただろう。


 なんてことを考えていたら、携帯の着信音が鳴り出した。

 切ってしまえばいいと思ったが、ディスプレイを見て気が変わった。

 僕は通話ボタンを押した。


――もしもし、くーちゃん?


 電話の主はかなみだった。


「ああ、どうしたの?」


 僕はなるべく平静を装って言った。


――うちに来たとき、なんか気を悪くした感じだったから。


 まあたしかに、色々毒気に当てられたのは事実だ。

 姉さんとの関係を打ち明けられなければ、ここまでもやもやとして気持ちにはならなかったろうが。


「そんなことないよ。それより、そっちはどんな感じ?」


――うんとね。くーちゃんがうちに来てから、ママが機嫌よくなったの。


「玲子さんが? ふーん、そうなんだ」


 記憶している限り、玲子さんとは今日初めて会ったはずだ。やはり昔の恋人の息子となれば思うところも違ってくるのだろうか。いや、まさかな。


――くーちゃん、何か変。


 唐突にかなみが言った。


「え、そう?」


――うん、なんか泣きたいのを我慢してる感じ」


「……………」


 僕は答えなかった。姉さんのことを、かなみにする気にはなれなかった。子供に話すことではなかったし、彼女には関係ない話だ。


 僕は話を逸らした。


「本当に大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」


――くーちゃん、いつもそう言うよね。本当はつらくても、つらくないことにしてる。でも、本当は違うんでしょ?


「嘘つきみたいに言うのやめてよ。本当にそう思ってるんだから」


――…………。


 かなみが一瞬押し黙った。


「もしもし? かなみ」


 返事がないかなみに会話を促したときだった。


――うあぁあああああぁああああああん!


 電話口でかなみがいきなり泣き声を上げた。

 あまりのやかましさに、とっさに受話口から耳を離したほどだ。


「ちょ、ちょっとかなみ? どうしたの?」


――くーちゃんが泣かないから、あたしが代わりに泣いてあげたの。


 かなみはあっけらかんと言った。


 「はあ?」


――くーちゃんが笑わないときは、代わりにあたしが笑うから。


 なんてお粗末な励まし方だ。

 電話越しに胸を張って威張るかなみが眼に浮かぶようだった。


 でも、少しだけ心が暖まった。


「わかったよ。その気持ち、受け取っとくよ」


――うん! えへへ。


 かなみは笑った。


――何かあったら、連絡ちょうだいね。


「……何かあったらね」


 そう答えると、かなみはむくれたように言った。


――何にもなくてもするの!


「わかった、わかった」


 僕は笑いながら謝った。

 どうやらレディに対する気遣いがなってなかったようだ。


「じゃあ、またかけるから」


――うん。バイバイ!


 そう言うと、通話は切れた。


 廊下を出て、四畳半ほどの部屋に向かう。親父が使っていた部屋だ。

 僕は親父の位牌の前に座った。そして尋ねた。


「親父、俺本当の子供じゃないんだって?」


 ……返事はない。ただの屍のようだ。


 返ってくるのは子供の頃から何度も見た泣き笑いのような表情だけだった。思い返せば僕は親父に怒られた記憶がない。覚えてないだけかもしれないが。


 親父の遺影は、かなみのお母さんから聞いた過去の持ち主とは明らかにかけ離れていた。どこがどう違うのかと聞かれたら説明に困るが、そんな紆余曲折あった人には見えない。もっと地味な人生を送ってきた平凡な男といった見た目だ。


 だが、結局僕は親父のことは何も知らなかった。姉さんも僕に何も教えてくれなかったが、もし真実を明らかにされたところで、たやすく受け入れることなど出来なかっただろう。


 だって、結局他人なのだから。


「ごめん、親父。俺やっぱり学校やめるよ」


 僕は報告すると、立ち上がった。


 退学して一人暮らしして自分の力だけで生きよう。何もかもが偽りの中で翻弄される生活はもう沢山だ。誰からも干渉されない世界で孤独に過ごせば、これ以上傷つくこともないのだ。


 気がつくと、姉さんの部屋の前まできていた。

 僕はドア越しに小声でつぶやいた。


「姉さん、ごめん。僕、やっぱり学校辞めてこの家を出てくよ。さよなら」

 

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