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 川音は草原の周りでささやくように聞こえてくる。

 まどろみは浅いと感じた。東から登った陽と共に意識が覚醒し、気持ちのいい朝を迎えられるはずだった。そのとき、近くで枯れ木を踏みしめる音が聞こえる。やがて川辺の静寂を破るように走る音は近づいてくる。それが自分の後ろから発せられたものだと気づいた。ゆっくりと振り返る。


 思考が止まった。


 必死で逃げようとする。伸びた腕に首を絞められ、呼吸が出来なくなる。視界もかすむ。逃れようと振り払うこともできないどころか、より一層力を入れられ、動けない。だんだん意識がなくなりぼーっとしていく感覚。


 何も聞こえない。思考も働かない。もがくこともできない。

 死ぬのか。ここで。

 大人しくされるがままになっていた。じたばたして苦しみが増すくらいなら楽な死に方を選びたかった。


 殺してくれ。そう思った。もう、死なせてくれ。

 腕をだらりと下げた。辺りがだんだんと無音になっていく。

 いいぞ。そのまま、そのまま。


 ――殺してやる。


 声が聞こえた。だが誰のものか判らない。


 ――殺してやる!


 声は絶叫に近くなる。

 閑寂の空間は破壊され、業火のような灼熱が体の内から湧き上がる。


 死にたくない。そう思った。まだ、死にたくない。

 しかし、身体は硬直したように動かなかった。

 息も絶え絶えの中で、助けてほしいと叫んだ。


 ……!!

 誰かの声が聞こえた気がする。


 ――やめなさい!


 咎めるような声が聞こえた直後、ようやく眼を開けることができた。

 

 小学生の子供と実の姉に身を寄せられたくらいで、眠れなくなることなんてあるもんか。自制心高く布団に潜り込んだものも、衣擦れの音や、どきっとするような寝息が聞こえ、その都度びくっとしてしまう。そんなことを繰り返しているうちに。うつらうつら寝入ろうかというところで、朝が来てしまった。


 朝陽が照りつけるように窓から射しこんでいた。どうやら時間的には朝らしい。時計を見ると九時過ぎだった。日曜日なので遅刻の心配はないが。


「ううん、くーちゃぁん……」


 右隣で寝ているかなみが悩ましげな声を漏らした。

 いつもそんな寝言を呟きながら寝てるのか。というかどんな夢を見ているのか。僕は寝返りを打った。


「ぐへへ。空ぁ」


 左隣で姉さんがしまりのない顔で寝言を言っていた。


「姉さん、くっつきすぎ」


「…………」


「早く起きてよ」


「え?……あ」


 声をかけてから、僕はゆさゆさと姉さんの肩を揺さぶる。姉さんは眼を開け、僕を見ると眼を赤くした。僕は逃げ出そうとしたが、両足でがっちり腰をホールドされているので、動けない。


「はわわ。空が眼の前にいるよお」


 うっとりと吐息を漏らす姉さんが、感歎の声をあげた。僕は姉さんを引き離しながら、「おはよ」と短く言った。


「かなみはまだ寝てる。やっぱり小学生だから朝は弱いんだね」


「どうでもいいわ、そんなこと。永眠してくれれば嬉しいけど」


 起き抜けに罵倒が飛び出し永眠してほしいとの発言が出てくる僕の姉さん。言い返すことも無駄だったので、そのままにしておいた。かなみには気の毒だが。


「おはよう、かなみ。よく寝られた?」


 やっとリビングに起き上がってきたかなみに僕は声をかけた。横で幸せそうに熟睡してたのを知ってのことだが。かなみは眠そうな眼をこすり言った。


「おはよ。くーちゃんが抱き枕になってくれたから、とっても気持ちよく寝れたー」


「そりゃあよかった」


 僕はコーヒーを一口飲んで答えた。


「ところで今日かなみはどうするんだ?」


「もうすぐ、草薙が迎えにくる。さっき電話したら迎えにきますって言ってた」


「ふうん、そっか」


 かなみはわずかだが、顔をしかめていた。ソファに座り、苛立ち気味に口をつぐむ。かなみは家族を嫌い、家族もまたかなみを愛してはいないという。家に帰るのが憂鬱なんだろうか。


「そんな顔しなくても大丈夫よ。別にいつ来ても、私達はあなたを追い出したりはしないから」


 三人分のスクランブルエッグ、サンドイッチ、野菜サラダ、かなみにはオレンジジュースを持って姉さんがキッチンから出てきた。かなみは見上げて「ありがとうございます」とだけ言った。久しぶりに姉さん以外の人を入れての朝食。僕らは姉さんの料理に舌鼓を打ちながら、雑話にいそしんだ。


 食後、かなみはオレンジジュースを飲みながら言った。


「ねえ、二人とも、うちに来てくれない? 泊めてくれたお礼がしたいし。ママもくーちゃんたちを連れてきなさいって言ってたから」


「拒否、却下、お断り。これから私と空は二人でにゃんにゃんするの」


 顔から火が出そうなことを姉さんが平然と言う。

 かなみは悲しそうに眼を細めた。


「そう言うと思ってたけどさ。でもママの考えとか聞きたいでしょ? どうしてあたしをくーちゃんの家に向かわせたのかとか、どうしてくーちゃんなのとか」


「あなたの家に行ったら、教えてくれるっていうの?」


 姉さんが嘲笑するような口ぶりで聞いた。姉さんは真剣な表情で「うん」と小首を振る。僕は身を乗り出して言った。


「僕は行くよ、姉さん。かなみにこんなことをさせてる親がどういう人か気になるし。どうせここまで巻き込まれたんだから、毒を食らわば皿までだよ」


「空……」


 一瞬の空白。そして、

「わかったわ。空が行くなら私も行く」

 と、了承してくれた。かなみはぱあっと顔を明るくした。


 そのとき、図ったようにインターフォンが鳴った。かなみの迎えであることは判っていたので、僕は特に疑いを持つことなく玄関に向かい、ドアを開ける。だが、そこには信じられない光景が待ち構えていた。


「お初にお目にかかります」


 家の前には四ドアのベンツ。そして僕の前には男が立っている。エレガントなダークスーツに身を包み、頬から顎にかけて髭が整えられている。直立不動のまま九十度のお辞儀をする様は、できる執事といった感じがした。


「あの、どちら様ですか? 来る家をお間違いではないでしょうか? うちは貧乏なんですけど」


 僕は慌てふためきながらそう言った。どうせどこかのお金持ちの車が、間違ってうちに来たのだろうと推し量っていたが、一瞬後には口から魂が抜け出るほどの衝撃を味わった。男は折り目正しく頭を上げながらこんなことを言ったのだ。


「これは申し遅れました。私は並河家の執事で、草薙といいます。日本有数の財閥、並河グループのご息女、かなみ様をお迎えにあがらせていただきました」

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