13
「やったぁ、またまたあがり!」
かなみが大喜びで声を上げる。姉さんは対照的で、実に面白くなさそうな顔をしていた。それもそのはず、これでいったい何度目のあがりだ? 僕もとっくに飽き飽きとしていた。
「ばば抜きで勝ったところで、だから何? としか言い用がないわ」
トランプを床に投げ捨てながら、子供相手にズケズケという姉さん。
かなみは「ははあ」と薄笑いを浮かべた。
「これで八連敗だからってさ、ちょっと根気が足りないよね。やっぱり結婚生活を持続させる秘訣は、忍耐が大事だと思うんだけどなあ。そんなことじゃ朱音さん、今から行かず後家になっちゃうよ?」
「私は空と結婚するもん!」
「くーちゃんはあたしと結婚するからだめですよーだ」
「ぼ、僕の意思は?」
姉さんとは姉弟だし、かなみは年端もいかない幼女だ。結婚するなら普通の相手とそれなりの家庭を築きたいものだが、嫉妬深い姉と小生意気な小学生を天秤にかけなければいけないのか。悪夢であったら覚めてほしい。
「なら、くーちゃんを賭けて一対一で勝負よ!」
「望むところよ。さあ、やりましょう」
気合を入れて挑戦を受け取る姉さんに、僕は呆れて言った。
「八連敗中だってこと忘れたの、姉さん?」
「ご馳走様! おいしかった~。朱音さんって料理上手だね。今度あたしにも作り方教えてください」
「空専用のレシピだから教えるわけにはいかないわね。特別な隠し味を入れてあるし」
「普通の隠し味であってくれと、切に願うよ」
などと、食卓を囲んでの会話。
外はすっかり日が暮れていた。かなみは尚も教えを請おうと食い下がっていたが、姉さんは聞き入れなかった。かなみの我侭さに、当初は犬猿の仲と言っていいくらい敵対していたが、今はそこまでギスギスした雰囲気はない。
夕食が終わってからしばらくして、お湯を沸かしていた姉さんが風呂場から戻ってきた。シャワーで手早く済ませることも多いが、今日は客人がいる。風呂の準備ができたと告げると、かなみは「わーいお風呂だ」と嬉しそうに言った。
「汗かいて気持ち悪かったんだあ。ねえ、一緒にはいろ?」
「は、入る? 一緒に風呂に?」
予想外すぎる提案に、僕は驚嘆した。
逆に姉さんは落ち着き払った態度で、何を馬鹿なことをと声をあげた。
「空と一緒に入ろうだなんて、二百光年早いわ、糞餓鬼」
「愛に歳なんて関係ないよ。朱音さんこそ、たるんだ裸が見られるの恥ずかしいんでしょー」
「なんですって!」
「……今のうち、今のうち……」
僕は二人が言い争ってるうちに玄関の方へと移動した。
「待ちなさい!」
しかし姉さんにがっしりと肩をつかまれてしまった。
「空、私のパーフェクトボディを見たいでしょう? こういうのは高校を卒業してからと思ってたけど。お姉ちゃんの初めて、貰ってくれるわよね?」
「Oh……」
まるで外国人のようなリアクションをした僕を、姉さんは有無を言わさず風呂場へと引きずっていく。危ないことを言う姉さんに、僕はため息を漏らすしかできなかった。
「あたしも一緒に入る!」
かなみが僕らの前に立ちふさがる。
おいおいお前もか、と僕は頭を抱えた。
「せめて、タオルかなんか巻いてよ」
そう言うと、かなみは元気いっぱいに答えた。
「だいじょーぶっ。あたし、良い物持ってきてるからっ」
かなみは部屋の隅に置かれた、子供用のショルダーバッグを指差して言った。それからゴソゴソと手を入れ、あーでもない、こーでもない、と言うと、
「じゃーん、見て見て。こんなこともあろうかと思って、あたし水着持ってきたのー☆ しかもスクール水着なのだぁー♡」
「……やけに荷物が多いと思ったら、そんなもの持ってきたのか」
「まあ、これなら一緒に入れるわね。私の魅力をもってすれば、空なんてイチコロよ♪ そんなスク水なんかよりもっと際どい水着を着てくるわ。楽しみにしててね、空」
僕はもう何も言う気が起きずにうなだれていたが、最後の気力を振り絞って何とか答えた。
「せめて、普通のでお願いします」
お風呂も上がり、窓の外を見ると空は一層暗くなっていた。もう夜も遅い。道理で頭がぼんやりしてきたはずだ。
「あたしはどこで寝ればいいの?」
僕の心を読み取ったように、かなみは訊いてきた。とりあえず空いてる部屋はいくつかあるから、その一つでも提供してやればいいだろう、と軽く考える。
「そうだなあ。えっと……」
「あたし、くーちゃんと一緒に寝たい」
かなみは真面目な顔をして言った。
いつものはしゃいだ様子はない。
「あたし、家にいても家族が一緒に寝てくれたことなんてなかったから、どんな感じか知りたい。今日だけはくーちゃんに甘えさせて」
「えっでも……」
あまりにも真剣なかなみの表情に、僕は一瞬固まった。
姉さんはしれっと言った。
「いいわよ。ただし私も一緒ね。別々に寝るっていうのも落ち着かないし。客用布団を引っ張ってみんなで空の部屋で寝ましょ?」
「ね、姉さんまで……」
「別にいいじゃない。心配しなくても空の寝込みを襲うような真似はしないわ。寝顔をカメラで撮るぐらいね。どうせ襲えないなら、空の写真で手を打つわ」
仕方ないからそれで満足してやるか、と言わんばかりに姉さんはうんうん頷いた。今夜は寝られるだろうか、僕は気が気じゃなかった。
「姉さんたちはよくても、こっちだって健全な男子高校生なんだから、そ、そういうのはちょっと刺激が強すぎるよ――」
「空、期待してくれるのは嬉しいけどもね。もし私以外の女に手を出したら、包丁で切り刻んでやるからね」
「手なんて出さないよ! 小学生相手に!」
「ひっどーい。くーちゃん。婚約者を捨てるの?」
「誰が婚約者よ、誰が! 空の妻は私よ!」
「冗談きついよ二人とも……」
コントみたいなやり取りに、頭痛を覚えた。僕の心境を知ってか知らずか、姉さんは「布団をもってくる」とリビングを出て行った。残された僕は、少し気恥ずかしいがかなみと一緒に部屋に向かった。
「あれ、これ……」
テーブルに置かれたオルゴールを見て、かなみは言った。
「このオルゴールは?」
「ああ、親父の残したものだよ。といっても、何の曲だかチンプンカンプンだけどね」
「ちょっと、聴いてみてもいいかな」
「かまわないよ」
かなみはオルゴールを回した。
相変わらず何の曲かは判らなかったが、きれいな音だった。
何フレーズか聴いたあとだった。僕はかなみの顔を見てはっとした。
「かなみ……?」
かなみは両手で顔を覆っていた。隙間から涙がとめどなくあふれる。
「この、曲……」
ぽたりと水滴が、床に染みを作った。
「かなみ……」
僕は声をかけようとはせず、かなみが泣き止むのを待った。
「ごめんね、くーちゃん。でもこの曲はね」
彼女は指で涙を拭いながら言った。それと同時にオルゴールが止まった。
「これ、『トロイメライ』だよ。ドイツの作曲家が作った曲だね」
「ああ、そうなのか。でもよく知ってたね?」
「ママがね。悲しそうな顔で歌ってたの」
「悲しそうに? どうして?」
「わかんない。訊いても、教えてくれないだろうし」
「そうか」
「あたしがうんと小さいころ、ママがこのオルゴールと同じ歌を歌ってる姿を見たの。そのときのママは少し震えてて、どうしたんだろうって。パパといるときはそんな様子見せたこともないのに」
かなみは俯きながら言った。
「ママの部屋にね。これとよく似たオルゴールがあるの。大事そうに持っていて、触らせてもらえないんだけど。でも一度だけ、鳴っているのを聞いたことがあってね。『トロイメライ』とは違う曲なんだけど。たぶん、ママにとってすごく大切な人からもらったオルゴールなんだろうね。きっと、苦しい思い出もあったんじゃないかな……。だからあんなに悲しそうだったんだと思う。そう考えたら、なんか涙出てきちゃって」
「そっか」
短くそれだけ返事をした。
何もかける声が見つからなかったから。
その後、「私がいない間に何かしてないでしょうね」とシーツや布団や枕を持って姉さんが部屋に入ってきた。電気を消して「お休みなさい」と三人仲良く川の字になる。
「くーちゃん、家族ってこういうものなのかなあ?」
横になると、かなみが小声で訊いて来た。
「ん?」
「ご、ごめんね。変なこと聞いて。でも、教えてほしいんだ」
かなみの声は消え入りそうなほど小さかった。だがその言葉の内側には、確かな答えが知りたいと心の底から願っているように感じた。
だから、僕は深く考えずに思った通りのことを答えた。
「ああ、こういうもんだと思うよ」