【イリエ・ロンバルトの気の休まらない日常】
「あーー、だるい」
「隊長何であんなに元気なんだろう……」
「はあ、今日も飲み会に行けなかった」
ぶつぶつと文句を言いながら歩いているのは、第七親衛隊の隊員達で、訓練の後らしく疲弊しきっていた。だらだらと休憩室に入ろうとしていると、後方から呼び止められる。
「待ちなさい」
「はい?」
「…あなた達、そんな汚い格好でうろついて」
だらしない格好の隊員達を注意するのは、第七親衛隊副隊長であるイリエ・ロンバルトだ。
生真面目という文字を体現したかのような性格の彼は、隊員達の気になった行動はその場で口うるさく注意をする。が、図太い神経の持ち主である若い騎士達は、イリエの言うことは聞かず、それどころか軽口でいなしてくる。
「休憩室に入るのは、着替えてからにしてください!」
「ええ!?」
「副長、休むのはちょっとだけですから」
「お願いします!」
「……」
隊員達は訓練を終えた姿なので泥や汗に塗れている。そんな状態で休憩室に入ればたちまち汚れてしまうことは一目瞭然だ。
イリエは休憩室の扉の前に回り込んで、隊員達が入れないようにする。
「馬鹿も休み休み言って下さい。そんな風に汚れた姿で休憩室を使えば…」
「大丈夫ですって」
「明日の朝隊長が綺麗に掃除してくれますから」
「副長も一緒に休みましょう。イライラしているのは疲れているからですよ」
「!!」
扉の前に佇み、呆気に取られているイリエの大きな体を三人の騎士の力でぎゅうぎゅうと休憩室に押し入れ、自由の身となった彼等は長椅子に寝そべったり、棚の中からお菓子を取り出して食べたりとやりたい放題になっていた。
「なんて愚かなことを…まっすぐ家に帰ればいいのに」
「明日の朝には魔法みたいに綺麗になってますよ」
「隊長掃除好きだから心配いりませんて」
「隊長呼んで来ましょうか?」
「……」
夜勤だろうが日勤だろうが、隊長であるイグニス・パルウァエはメイドが来る前に休憩室の掃除を毎朝行う。これはイリエも承知の事実だ。
一時期は全員で掃除をするように決めていたが、下働きの者に止められてから絶対にしなければいけないという強制力は無くなってしまった。
イリエも暇を見つけては掃除をするように努力をしていたが、所詮は貴族の子息。完璧な掃除など不可能で、何も知らないイグニスが掃除をし直している所にも何度か遭遇していた。どうすれば上手く掃除が出来るようになるのか、というのはイリエの数ある悩みの一つである。
だらだら過ごすのを止めた騎士三名は、今度は仕事の愚痴を語り始める。
彼等の不満は終業後の訓練のせいで、同期の騎士との飲み会に行けないというものだった。
その飲み会には城で働く女性も来るらしく、出合いの場にもなっていた。
「副長~女の子紹介して下さいよ~」
「あ、俺も」
「出来れば大人しくて遊んでない感じの娘がいいです」
「……どうして私に頼むのですか」
「隊の中で一番モテるし」
「隊の中で一番顔綺麗だし」
「隊の中で一番お金沢山持ってそうだし」
「……」
どうしてこう、不真面目な者ばかり集まったものだとイリエは眉間に皺を寄せる。
だがしかし、悲しいかな、ここは第七親衛隊だ。
かの七番目の王子様を守護する第七親衛隊は、いつの間にか各部隊に居た問題児を送りつける部隊と化していた。
何故このような集まりになったかといえば、パライバ王子の母親の身分低いことから、人事部に繋がりのある一部の人間により存在を軽んじられており、本人も来るもの拒まずという他人に関心を示さない性格ということもあって、騎士隊問題児の最果ての部隊となってしまったのだ。
かくいうイリエも大雑把に言えば、扱いに困る問題児の仲間かもしれない。
イリエ・ロンバルト。
二十九歳、独身。ロンバルト侯爵家の長子であり、将来爵位を相続することが約束された男である。
大貴族であるイリエが騎士団に所属する理由は世の中の見識を広げる為であり、生涯の伴侶を見つける為でもあった。ロンバルト侯爵家では自らの妻は自力で見つけなければならないという変わった慣例がある。
そんなイリエの問題行動とは彼の生真面目で正直な性格が災いした事件でもあった。
幼少期より剣の才能があったイリエは、家柄の力と相俟って騎士団の中でどんどん出世をしていった。
そして、十六歳という若さで王族の親衛隊に入隊し、二十三歳の時に副隊長に任命される。
イリエが仕えていたのは年若い姫だった。
天真爛漫を絵に描いたような無邪気な姫君は、週に何回も供も付けずに城を抜け出して親衛隊員達を困らせたり、ドレスを着ないで騎士がするような格好をしたりと、変わり者だったのだ。
結婚適齢期だった姫君は、お見合いも数回に渡って行ったが全て破談。
どうしてお断りされてしまうのかと首を傾げるお姫様にイリエが言った言葉は誰もが思っているものだったが、言ってはいけないものでもあった。
「は~あ。またお断りか。どうしてかな~? イリエ、どうしてだと思う~?」
「……もう少し普通になさればよろしいのでは? ルビー様は少々子供っぽい、といいますか、色気が……いえ、強いて言えば女性らしい優美さに欠けている、と表現するのが正しいのか」
「……え?」
「ですから、普通の姫君らしくドレスを着て、化粧をして、髪の毛を長く伸ばして、話し方も上品にするように心掛けて、それから……」
「!!」
姫君の不興を買ってしまったイリエはその後、遠征部隊に送られる事となった。
数年を泥と埃に塗れながら耐え忍んだイリエは、父親が病気になったことをきっかけに、王都での勤務の希望を出した。
そんなイリエを発掘したのがパライバ王子だったという。
「副長、なんでそんなダサい色つきの眼鏡しているのですか?」
「……」
「裏社会の頭脳役みたいですよ」
「……」
「眼鏡なかったら今の倍モテますって」
「……」
色つきの眼鏡を掛けている理由は、遠征部隊で青い瞳や整った容姿がまるで王子のようだとからかわれたからだが、そんな事実を説明してあげるほどの親切心は無かった。
「無視だー!!」
「隊長に言いつけてやろう!!」
「隊長まだ居たよね~? 誰か報告しに行ってよ~」
「……」
イリエは大きく息を吸い込んで、生意気な口ばかり聞く部下達を怒鳴り付けようとしたが、言っても無駄かと思い、吸い込んだ空気はため息にして吐き出した。
しかしこのまま引き下がるイリエではない。上着のポケットに仕舞っていた小さな手帳を取り出して、目の前の騎士三名の名前を記入し、赤文字で【来月夜勤多め】と書いて、再び仕舞う。
毎月の勤務を決める仕事を任されたイリエの、些細な仕返しだった。
◇◇◇
イリエは執務室でまだ残って仕事をしているイグニスに引継ぎは無いか聞こうと思いながら向かっていると、扉の前に待ち構える少女が目に入る。
アンリエット・マシュリア。
マシュリア子爵家の一人娘で、十七歳となる彼女もイリエの頭痛の種となる人物だった。
アンリエットは第七親衛隊の隊長であるイグニス・パルウァエに一目惚れをしたようである事は、本人を除いて隊の全員が知っている。そしてイグニスが既婚者となった今もこうして付き纏おうとしているのだ。
「ーー何をしているのですか?」
「きゃあ!!」
イリエが後ろから声を掛け、驚いたアンリエットは背中に隠し持っていた包みを地面に落とす。
「ああっ…!! い、嫌ですわ。貴方がいきなり声を掛けるから落としてしまったではありませんか!!」
「……」
「イグニス様への差し入れでしたのに」
「……いい加減隊長の事を名前で呼ぶのは止めて頂きたい。勘違いをする者も出て来るでしょう」
「勘違いって?」
「……」
騎士隊では女性を敬って名前で呼ぶ事もあるが、逆はよほど親しい関係でないとありえない、というのは誰もが知っている暗黙の決まりだ。それを無視してアンリエットはイグニスのことを名前で呼んでいるのをイリエは何度か注意をしたことがあった。勿論この高慢なお嬢様は聞く耳を持たない。
「分かったわ! 貴方はわたくしの事が好きですのね」
「は?」
「イグニス様に想いを寄せている姿を見て、嫉妬をしているのでしょう?」
「違います」
「……だったら、子爵家の財産目当てで近づいているの?」
「……はあ」
アンリエットの実家は事業をいくつもしており、国内でも十本指に入る大金持ちだ。それを狙って近づいて来る男も多いのだろうとイリエは思う。
「貴方、三男でしょう? そんな顔をしていますわ」
「……長男です、残念ながら」
「え…そうですの? そういえば貴方の家名はなんでしたっけ?」
家名どころか名前も知らないだろうと呆れつつ、話を逸らそうと地面に落ちていたお菓子を拾い上げ、差し出して渡す。
「地面に落ちた物は要りませんわ。それよりももう少しで貴方の名前が思い出せそうでーーあ! ロンバルト! そう、イリエ・ロンバルトですわ! 合っていますよね?」
「そうですね」
「ロンバルト……どこかで聞いた事が」
「もう帰りましょう。家の方が心配をしていますよ」
「お待ちになって。ロンバルト……あ! もしかして侯爵家の!?」
「……」
「う、嘘ですわよね? 侯爵家の跡取りが騎士なんていう危険な仕事をしている訳がありませんもの」
「ーー私は侯爵家の人間で間違いありません」
「どうして、騎士になんか…?」
「別にいいでしょう」
「……」
ロンバルト侯爵家は、国内一の財産を持つユースティティア公爵家に次ぐ資産家ということは広く知られていた。
アンリエットは差し出された包みを無視したまま、呆然とイリエを見上げる。
早く引き継ぎをしてイグニスに帰宅をして欲しかったイリエはイライラを隠せずにいた。
「へ、変態……」
「は?」
「お金も地位もあるのに、しなくてもいい仕事をして、人の下に嬉しそうに就いているなんて変態よ」
「何を…?」
「嫌っ、近づかないで、この変態色眼鏡!!」
「はあ!?」
アンリエットはそのまま脇目も振らずに駆け出してしまった。
残されたイリエは開いた口が塞がらずにいる。
「ーーおい、何事だ!?」
「!!」
アンリエットの叫び声を聞いて出て来たのは、執務室に居たイグニスだった。
しかし、現場にはイリエしか居らず、疑問符を頭に浮かべる。
「ーー? イリエだけか? 今、変態エロ眼鏡っていう悲鳴を聞いたんだが?」
「……変態色眼鏡です」
「え?」
「いえ、聞き違いです。アンリエット様とお話をしていて、少し言い合いをしてしまっただけですから」
「そ、そうか」
「……」
珍しく不機嫌顔で返事をするイリエの顔色を窺いながら、イグニスは話しかける。
「その、イリエはアンリエット様と仲良しだな」
「ーー!! 仲良くありませんッ!!」
「いや、最近よく一緒に話しているところを目撃したものだから。勘違いだったみたいだな。すまない」
「い、いえ、こちらこそ、大きな声を出して申し訳ありませんでした」
「いやいや、今のは俺が悪かったよ」
「気にしないで下さい」
「あ、ああ。分かった」
「隊長、引継ぎは?」
「今日は何もないよ」
「了解です」
「じゃあ…また明日」
「はい。お疲れ様でした」
妙な雰囲気になったままイグニスとは別れた。
このようにしてイリエの気の休まらない一日は過ぎていく。
【イリエ・ロンバルトの気の休まらない日常】完