【レイク・アンダーベルの日常】
訓練を終えた隊員達はパライバ殿下より執務室に呼ばれ、驚くべき報告が言い渡された。
遂に隊長が結婚をしたと!!
ああ、どうしようか、凄く嬉しい。話が終わるまでソワソワして落ち着かなかったが、パライバ殿下が数名の護衛を伴って退室をして行った後、隊長に駆け寄って皆で祝いの言葉を掛けた。
話を詳しく聞けば驚いた事に、隊長は公爵家の婿にはならず、フロース様と二人っきりで暮らしているらしい。
やはり、フロース様は一年もの間、隊長の為に庶民の暮らしを学ぶ為に頑張っていたのだろう。そうであれば前に彼女が一人で市場に居た訳が理解出来る。
なんて素晴らしい話なのだろうか。他の隊員達も同じ気持ちのようで、感極まっていた。
普段は言うことを聞かなかったり、からかったりしていたが、結局はみんな隊長の事を尊敬しているし、大好きなのだろう。
「隊長、お、おめでとうございます」
イリエ副長なんか今にも泣いてしまいそうだ。気持ちはよく分かる。オレたちは長い間隊長を見てきたし、影でこっそり応援もしてきたからだ。
しかしながら、結婚したからといって隊長が変わる事は無かった。
毎朝休憩所の掃除をして、勤務が始まってからは真面目に執務をこなし、終業後は訓練をするために隊員を集めて扱く。
皆、隊長は新婚だから早く帰りたいに違いない! と笑って話していたが、そんな様子は全く見せなかった。
隊長は職場に私情を持ち込まない。…以前、後頭部に禿げを作った時は、休憩時間に限定をして落ち込んでいたが。
唯一の変化といえば、隊長が毎日お弁当を持参して来ている点位だろうか。一度弁当の中身を覗いて見たが、とても美味しそうだったのを覚えている。庶民の間では奥方の作った持参させる昼食のことを愛妻弁当と呼ぶらしい。
愛妻弁当かあ…。なんとも魅惑的で愛情に溢れたものなのだろうか。貴族のお嬢様と結婚をするオレたちには無縁の代物だと、他の隊員と共に静かに涙した。
隊長の結婚から一ヶ月ほどが経ったとある終業後。訓練が終わった隊員達が集まって、話し合いを始めていた。
話し合いの議題とは、隊長の結婚祝いを考える、というものだ。
「ドエロい下着なんかどうだろうか?」
「敢えて隊長の?」
「ぶふっ!! 男の際どい下着なんてどこに売ってんだよ!! サイ、いい専門店を知ってるか?」
「男のいかがわしい下着の店なんか知る訳無いだろうが!」
真面目な意見を出す者は皆無で、ふざけた品物ばかり提案をしては笑い転げて話を終わらせる、というのを何回も繰り返していた。
しかし、そんなおふざけを許してくれない人が約一名紛れ込んでいた為に、長い時間は続かなかった。
「あなた達、いい加減真面目に考えて、話を進めて下さい。キリが無いですよ」
「…じゃあ副長、何かいいお祝いの品の例を出して下さい」
「……そうですね、例えば、揃いのカップとか」
「普通ですね。面白味も無いし」
「……」
揃いのカップ、悪く無いじゃないか! 隊長とフロース様が仲良く使ってくれている所を想像すれば、ほっこりするのに。むしろ良い考えではないかと、個人的に思っている。隊長が赤いカップでフロース様は銀色のカップを。……無いか、そんな奇抜な色のカップは。
「他に何か無いか?」
「超強力な精力剤とか?」
「次の日隊長が来なかったらどうするんだよ!」
「副長が二倍頑張るから」
「お前が頑張れよ」
「超強力な精力剤を飲んで?」
「馬鹿か!!」
イリエ副長は、意見を出しても話が下品な方向へと進むので、盛り上がる隊員達を無視して持ち込んでいた書類を読み始めてしまった。
「おい、レイク、さっきからずっと大人しいが、なにか意見でも出せよ」
「うーん」
「何でもいいから言ってみろよ」
「日記帳、とかどうですか?」
「は? なんだそれ」
「交換日記をするんです」
「隊長とフロース様が? 夫婦なのに交換日記?」
「はい」
隊長は夜勤もあれば、数日掛けて他の街へ行って家を空けたりとフロース様とすれ違いになる日もあるかもしれない。
でも、日記に書く事によって、互いの一日を確認しあったり、理解を深める事にだって繋がれば最高だと思っている。
そういった目的で日記帳を贈るのはどうだろうかと、提案をしたが、隊長達の反応はイマイチだった。
やっぱり駄目か。いいと思ったんだけれど。
「ーーいいですね」
「え!? で、ですよね!?」
「はい。よく思い付きましたね。印刷所に頼んで、隊長とフロース様の名前の入った日記帳を贈りましょう」
「ありがとうございます!」
イリエ副長が日記帳を贈るという着想を気に入ってくれたので、そのまま採用される事となった。
数日後、出来上がった日記帳を隊長に渡すと、嬉しそうに受け取ってくれた。
更に数日後、思いがけないお誘いを受ける事となる。
「ーーえ? 俺が隊長の家に?」
「ああ、フロースが連れて来てくれって」
「!!」
フロース、フロースですって!!
初めて隊長がフロース様を呼び捨てで呼んでいるのを聞いてしまった。奥さまだから当たり前だけれど。
隊長の家へ訪問は今回で二回目だった。
美しき人妻であるフロース様が、極上の笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい。突然招待なんかしてごめんなさいね」
「い、いいえ!! とても光栄に思っています」
「ありがとう。中に入って」
「は、はい」
どこか寂しい雰囲気だった隊長の家は様変わりしていた。暖かな色合いの敷物や花瓶に生けられた花などはフロース様の趣味だろう。
居間に案内され、隊長は制服から着替えて馬小屋掃除をして来ると言って、部屋に一人ぼっちになった。
相変わらず綺麗な部屋だと思っていたら、フロース様が紅茶を持って入って来る。
「あ、ありがとうございます」
こちらの礼に対してフロース様は微笑みを浮かべる。
しかし、先程のような暖かな雰囲気は無くなっていた。フロース様は隊長と一緒に居る時だけ、柔かな感じになるのかもしれない。
「私……あなたにね、お礼を言いたくて」
「へ?」
「前に市場で偶然に会ったでしょう? その時に、あなたがイグニスの事を守ってくれるって聞いて、凄く安心出来たの」
隊長はさり気にモテるから、フロース様に安心するように伝えた事があった。そのお礼をしたかったから、今日は呼んでくれたのか。
「イグニスって一人で色々と背負い込んで、無理しながら仕事をしているように見えたから、気に掛けてくれる存在が居るって聞いて、すごく……」
「!!」
フロース様の声は震えていて、最後は言葉になっていなかった。
こちらは別の存在から守ると言っていたのに、フロース様は別の意味で受け取っていたみたいだ。
けれど、フロース様の解釈通りに隊長の事は守りたいと思っている。
騎士の仕事とは命を懸けてするものだ。本人は勿論の事、家で待つしか出来ない家族も辛い思いをしているのかもしれない。
「フロース様、安心して下さい。隊長の事は第七親衛隊の隊員達で支えていきますから、絶対に無理はさせません!!」
「……ありがとう」
その時に見せてくれたフロース様の微笑みは、先程隊長に向けた暖かなものと同じように思えたのは、自惚れだろうか。
◇◇◇
「ええ、そうなのっ!?」
「それで隊長がーー」
あの後、隊長の話を始めたらフロース様と盛り上がり、一気に意気投合してしまった。
一緒に食事を摂る隊長をそっちのけで、フロース様と二人で隊長との出来事について語る。
さっきから、隊長が凄い表情でこちらを睨んでいるが、別に嘘は言って無いし、フロース様も嬉しそうに話を聞いているので、問題点は無いように思っている。
しかし、そろそろ話題を逸らさないと明日怒られそうな気がしたので、隊長の話は止める事にした。
「それにしても、こんな美味しい料理を毎日作って羨ましいなあ」
「家に料理人が居るあなたの方が、いいものを食べているでしょう?」
「う……はい。ですが、やっぱりこうやって奧さんに毎日食事を作って貰って、一緒に食べるのっていいなあって思います」
貴族であるオレの家では絶対にあり得ない光景だけれど、こうして家族で食卓を囲むっていう庶民の暮らしが羨ましくなってしまった。
「そういえば、結婚祝いの日記帳、あなたの考えだったって聞いたのだけれど」
「あ、はい、そうです。すみません、もっと良いものをと思っていたのですが、思い付かなくて」
「いいえ、とっても嬉しかったわ。イグニスが夜勤の時とかはあまりお話も出来ないから、日記に話したい事を書いたりしているのよ」
「本当ですか? 良かった」
隊長とフロース様は自分達が贈った品で交換日記をしている事を聞いて、殊更嬉しくなった。
こうして食後のデザートまで頂き、帰宅をする事となった。
「今日はお招き頂いて、ありがとうございました!!」
「私もお話が出来て楽しかったわ。また来てね」
「ぜ、是非!!」
「……早く帰れ」
「隊長、酷い!!」
もしかして余りにもフロース様が楽しそうにしていたので、嫉妬をしているのだろうか。
もしも勘違いをしているのならば、正さなければと思って、ついでに婚約者との結婚の予定を報告させて貰った。
「あ、あの、オレ、来年結婚するんです」
「あら、そうなの?」
「はい。なので、隊長とフロース様のように仲の良い夫婦を目指したいと思っています」
「ありがとう」
結局、隊長は渋面を最後まで崩すことは無かったが、翌日怒られる事も無かった。
その日から、オレは朝早く出勤をして、休憩室の掃除を始めていた。
隊長の負担を少しでも減らしたいと思ったからだ。
いきなり掃除を始めた自分を、隊長は訝しげに見ていたが、掃除が終わった後に労うように肩を叩いてくれた。
「ご苦労だったな」
「はい!」
「……ご苦労だったが、全体的に掃除の仕方が甘い」
「え?」
「端に埃は残っているし、長椅子も拭いていないな。それにーー」
「た、隊長」
「なんだ?」
「まさかフロース様の家事にもこうやってケチ付けてるんじゃあ…?」
「は?」
「だって隊長、死ぬほど綺麗好きだから、フロース様の掃除にも物申しているんじゃあって」
「俺のどこが綺麗好きなんだよ!!」
「む、無意識だったんですか!? これは酷い!!」
「全く、何が酷いだ。ーー俺は綺麗好きでは無いし、奥さんの家事にも口出ししていない!!」
「……」
隊長の周囲が引く程の綺麗好きは無意識下での行動であった事が、もれなく発覚をしてしまった。
でも、まあ、何と言いますか。昨日の訪問では夫婦仲はかなり良好であることも間近で見れたし、フロース様とも隊長について熱く語れたし、こうして掃除を始めるきっかけにもなったので、良かったと思っている。
「隊長、何かお手伝い出来る事があれば言って下さいね」
「…どうしたんだ、いきなり。フロースが何か言ったのか?」
「違いますって! オレの愛を疑っているんですか!?」
「愛ってなんだよ、気持ち悪い!!」
こんな感じで第七親衛隊の日常は過ぎていく。
今日みたいな穏やかな毎日が続けばいいな、と思いながら指摘された場所の掃除を再開させた。
【レイク・アンダーベルの隊長観察日記帳Ⅱ】完。