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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第七章【番外編】
52/60

【新米奥様の甘い誘惑】

本日三度目の更新になります。【休日の過ごし方】のフロース視点です。

「おやすみなさい」

「……ええ、また明日」

「……はい」


 夕食を終え、しばらくお話をした後に連れて来られるのはいつも同じお部屋だったわ。イグニスは私が寝台に寝転がるのを確認すると、気まずそうに部屋から出て行くの。おやすみの口付けさえも無い、淡白な夜は結婚してから数日間は続いたわ。


◇◇◇


 イグニスの家に押しかけた日に私たちは夫婦になった筈なのに、夜になって案内されたのは一人用の寝台のあるお部屋だったの。

 最初はここでイグニスと眠るものだと思い込んでいて、小さな寝台だけれど庶民のお家ではコレが普通なのね、と思い込んでいたわ。けれど、イグニスがおやすみなさいとぎこちなく言ってから、部屋から退室して行ったのを見て、新婚一日目から一人寝をしなければいけないという事実に愕然としたのよ。


 私もね、ラウルスから貰った本を読んで、自分がいかに夜の夫婦の営みについて何も理解をしていなかったと反省をして、沢山勉強をしてきたのよ? なのに、イグニスはそれをしないなんてどういう事なのかしら?


 それにイグニスったら敬語で喋り続けるし、私の名前は敬称で呼ぶし、これではお城で働いていた時と何も変わらないわ。


 でも、よくよく考えてみれば、他人行儀なのはまだお互いの理解が足りていない証拠だし、これから頑張って親しくなればいい話よね。

 いきなり押しかけたにも関わらず、結婚を了承してくれたことは嬉しかったし、今日のところは色々と考えないで、眠る事にしたわ。


◇◇◇


「おはよう」

「――!! お、おはよう、ございま、す」


 朝、厨房に顔を出したイグニスは茶色いまなこを瞬かせながら、台所に立つ私を見て驚いていたわ。他人が家に居る事に慣れていないのでしょうね。


「朝食は食べられる?」

「……はい。ありがとうございます」

「……」


 イライラしては駄目なのに、イグニスがあんまりにもよそよそしく振舞うものだから、ついツンケンとした態度で接してしまったわ。二人きりで過ごす初めての朝なのに、お弁当は渡しそびれてしまったし、バタバタしていてゆっくりお見送りも出来なかったの。


 午前中は部屋の掃除をして、昼食はイグニスに渡す筈だったお弁当を食べるという空しい時間を過ごして、夕食の仕込みとフロイラインとお散歩をして気分を紛らわしていたら、一日なんてあっという間に過ぎていくのね。


 日も沈みきった時間帯に洗濯物を畳んでいたら、イグニスが帰って来たの。


「お帰りなさい」

「ただいま…帰りました」


 そういえば、選良奥様の本にお出迎えの際に言わなければならない言葉があったわね。一日目はすっかり忘れていたけれど、今日はきっちり言わなければ。もしかして、昨日はこれを聞かなかったから、一人で眠る事になったのかもしれないわ。

 

「――イグニス」

「はい?」

「お風呂にする? お食事にする?」

「……」

「それとも、わ…」

「お風呂で!!」

「……」


 ……おかしいわね。最後は「それとも私?」で締め括る新婚さんの常套句なのに。そんなにお風呂に入りたかったのかしら?


 その後は昨日と変わらない夕食風景に、いつも以上に丁寧に話すイグニス。


 自分が作った食事を美味しいと言って食べてくれるのは嬉しいし、こうして一緒に居る事自体が素敵なことだと分かっているのだけれど、今まで想像をしていた新婚夫婦像と大きくかけ離れているから、私はこんなにも一人で困惑をしているのでしょうね。


 どうすれば物語に出てくる恋人同士のように触れ合えるのか、と考えていたら、私たちは恋人期間が無い事に気がついたの。


 そうだわ。普通は相手を意識するようになって、気持ちを確認し合い、恋人としてお付き合いを始める。それからだんだんと親しくなって結婚をするのが普通なのよね。私ったらイグニスとひと時でも一緒に居たいからって、焦って結婚を迫ってしまったのよ。

 そう思えば、あまり知らない人と突然馴れ馴れしくなれる訳はないし、戸籍上夫婦になったからといって、よく知りもしない人と安心して眠れる訳もないわ。


 黙りこんでしまった私をイグニスは心配そうに見ていたようで、何でもないと安心をさせるように微笑みかけたら、勢いよく顔を逸らされてしまったわ。


 …自分の微笑みが子供も泣く程の可愛くないものだっていうのを、すっかり忘れていたと思い出した瞬間だったわね。


 それからの日々は少しでも早くイグニスが私に心を開いてくれるように、背中を流しに行ってみたり、イグニスの寝室に行って本で読んだ筋肉を揉み解すという、指圧療治を試してみたりしたけれど、どれも不発で返って迷惑だったみたい。


「あ、あの、フロース…様は俺の使用人じゃないので、こんなことまでしなくても、大丈夫、です」

「……」


 指圧療治はとっても気持ちが良くって旦那様も大喜び、と本に書いてあったから試したのに。

 勿論イグニスにする前に勉強をしたから、方法なんかは間違いないと思うし、練習台になったラウルスも体が楽になったと言ってくれたから問題ないと勝手に判断をしていたのだけれど。

 使用人の仕事のようだと言われてしまうなんて思いもしなかったわ。


「ごめんなさい、気が利かなくって…」

「い、いや、別に責めている訳じゃ」

「……」


 寝台の上で向かい合って座り、気まずい時間を過ごしていたわ。

 このまま押し倒してくれないかしら、とイグニスの目を見つめたけれど、やっぱり光の速さで視線を逸らされてしまったの。


 今、ここで抱いてくれたら、どんなに幸せだろうかと思っていたけれど、無理強いをさせるのは可哀想だから言葉にするのは止めたわ。


「イグニス、明日の予定は?」

「……えっ!? あ、明日? …明日の予定は、朝から馬の遠乗りに出掛けて、帰って来たら朝市で買い物、その後は庭弄り、とか……です」


 だんだんと声が小さくなっていくイグニスの予定を聞きながら、私も自分の予定を頭の中で立て始めていたの。


「――そう。遠乗りは私も行くわ」

「…それは、あまりオススメ出来ませんが。今の季節は特に寒いですし」

「大丈夫よ」

「しかし…」

「私の予定は私が決めるわ。あなたは口出ししないで」

「……」


 私の言葉を聞いて、イグニスは口を噤む。


 ……そんなに迷惑そうな顔をしなくてもいいのに。


 けれど、こんな事位で気にする私では無いのよ。明日はイグニスが結婚をしてから初めての休日だから、一日掛けて誘惑してやるんだから。心して覚悟をしておきなさい、って睨みつけてやったの。


◇◇◇


 翌日、籠の中に朝食を詰め込んで準備を終えたあと、着替えをしに自室へと戻って、用意していた服に着替えたわ。

 乗馬用のズボンに、動き易い綿入りのぶ厚いコート。髪の毛は邪魔にならないように三つ編みにして、後頭部でくるりと巻いてピンで留めた。

 こんな男のような格好で誘惑が成功をするかは謎だけれど、化粧だけはいつも以上に時間を掛けて丁寧に施したわ。まあ、私の化粧をしていない顔をイグニスは知っているので無駄な抵抗だとは思うけれど。


 外は思った以上に冷たい風が吹いていて、無意識に歯がガタガタと震える程の寒さだったわね。イグニスは家に残るように言っていたけれど、それでも着いて行くと強い口調で意見を跳ね返してしまったわ。こんな態度を取りながら誘惑が成功するとは思えなかったけれど、他に着いて行く方法が思いつかなかったのよね。


 何とか寒さにも耐えつつ、草原に到着をしたわ。

 風が来ない岩の影に座り、何か話そうかとイグニスを見上げて、隣に来るように促したのに、随分と距離を置いた場所に腰を下ろしてくれたわ。


 それからここ数日の不満――敬語及び敬称を使用することを禁じるように伝えたけれど、躊躇った様子を見せて素直に了承するような態度は見せなかったので、近くに寄って行って耳元で助言の言葉を囁いたのに、無表情のままどこかへと行ってしまったわ。


 なるべく優しい声で言ったのに、全然響いていなかったわね。やはり小娘の付け焼刃の誘惑なんて大人の男の人には効かないのよ。……困ったわ、どうしようかしら?


 戻ってきたイグニスは焚き火をする為の薪を取りに行ったようで、魔術を使って火をしてくれたの。

 パチパチと音を立てながら大きくなっていく火に手を翳していたら、ほっと安堵をしたような息が出てしまったわ。どうやら私は随分と緊張をしていたみたい。目の前の炎が私の心の中でまで温めてくれたわ。


 落ち着いた所で話題を元に戻そうと思ったけれど、困った表情を崩さないイグニスの顔を見て止めることにしたわ。私は彼と仲良くなりたいけれど、困らせたい訳じゃ無いから。


 そういう風に伝えたら、イグニスも少しだけ本心を語ってくれたの。

 私が色々世話をするのは嬉しいけれど、慣れないことなので、困惑をしてしまうと。お堅い性格だからすぐに受け入れることは難しいのですって。


 そんなイグニスの性格は予め把握をしていたのよ。


 そしてその対策の為に用意していた最終手段は、お祖母様に頂いた結婚祝いの口紅。


 【夜の唇】という名の口紅は、思わず口付けをしたくなるような呪いが掛けられているらしいわ。お祖母様が特別に帝国の赤い魔女から取り寄せた品で、効果は抜群だから堅物騎士様にお使いなさい、と言って手渡してくれたのよ。


 約束を守る為の口付けをして、と耳元で囁き、念のためにイグニスの気持ちを確認してから、唇に塗った紅が視界に入るように正面に回り込めば、即座に荒々しく肩を引き寄せられて、イグニスの方から口付けをしてくれたの。


 ――凄い、【夜の唇】効果は絶大だわ。帝国の魔女にはお礼の手紙を書かなければ。そんな風に考え事をしていたのはひと時の事で、それからは頭がぼうっとして、イグニスに身を任せたまま、その行為に没頭していたの。


 それから帰宅をして、フロイラインを連れてお買い物に出掛けたわ。

 旦那様とお買い物をするのを密かに夢見ていたから、幸せな時間だったわね。


 市場から帰った後、乗馬服からブラウスとスカートに着替えて、エプロンを纏って昼食を作り、ついでに夕食の下ごしらえを済ませてから食事を摂ったわ。

 それから掃除をして、居間で本を読むイグニスの隣に座って編み物を始めたの。


 ーー攻めるならイグニスが暇な今しか無い。


 読書を邪魔するのは忍びなかったけれど、こんな機会はめったに無いから、勇気を出して誘惑をしてみることにしたわ。


 とりあえず、して欲しいことやお願いが無いか聞いてみたけれど、何も無いって言うの。男性は女性よりも性欲が強いって本で読んだ事があるから、何かしらそっちの方面でお願いがあると思ったのだけれど、空振りに終わってしまったわね。もしかしたら私は胸が小さい方なので、あまり食指が動かないのかもしれないわ。…本当に残念。


 こうなったらもう誘惑なんて無意味なので、はしたないと思いつつも、いつになれば抱いてくれるのかと聞いてみたら、結婚式の後だって言うのよ。それにまたイグニスったら敬語と敬称が復活しているし、どういう事なのかしらね!?

 結婚式なんて半年後にあるのに、それまでモヤモヤするのは嫌だから、イグニスの膝の上に馬乗りになって本気で脅そうと思ったわ。


 けれど、またもや【夜の唇】の魅了の魔術に掛かったのか、今度はイグニスに抱きかかえられて、二階の寝台に丁寧に運んでくれたの。


「――ありがとう、お祖母様…本当に、ありがとう…」


 寝台の上に押し倒されて、思わず出てしまったのはお祖母様へのお礼の言葉だったわ。まさかお祝いで頂いた口紅がこんなにも効果があるなんて思いもしていなかったから。


 時刻は夕暮れの時間帯だったけれど、カーテンを閉めたら部屋の中は真っ暗になってしまったわ。

 イグニスは膝をついて私を跨いだ状態で、ブラウスのリボンを解き、ボタンを一つ一つ丁寧に外してくれたの。ブラウスの下に着用をしていたのは腹部まできっちりと覆った肌着で、胸を支える下着と一緒になったそれはお腹から胸元に沿って編み上げられたリボンを解けば脱げるという、可愛いけれど少々面倒なものだったわ。


「……」

「??」


 やっと本当の夫婦になれるのね、って思っていたら、イグニスは突然ブラウスのボタンを開いたまま、動かなくなってしまったのよ。


「――イグニス? ……え?」


 彼の名前を呼んだ刹那、剥き出しとなった胸元に暖かい液体が落ちてきたの。

 指先で胸元を拭い、何かと思ってイグニスの股の間からすり抜けて、近くにあった灯りを点ければーー私の手先は赤く染まっていたわ。


「――や、やだ! どうしたの!? 一体」


 振り返って寝台の上に膝を付いたままのイグニスを見れば、鼻先を押さえる手は赤く染まっていて、シーツの上にまで鮮血がポツポツと水滴を垂らしたかのように広がっていたのよ。


「え!? もしかして鼻血なの!?」


 慌てて引き出しの中にあった果物ナイフを取り出して、机の上に置いてあった清潔な布巾を切り裂き、イグニスの顔に付いた血を拭ってから、小さく刻んだ布を丸めて鼻に詰めて、横になるように言って聞かせたの。


「――す、すみませんでした」

「……」

「本当に、不甲斐なくて、申し訳がないです」

「お気になさらないで」


 少し時間が経って落ち着きを取り戻したイグニスが謝って来たわ。また敬語に戻っているから、ついこちらも他人行儀な返事を返してしまったけれど、今回ばかりは許されると思っているの。

 

「具合が悪かったなら言って欲しかったわ」

「いや、具合が悪かった訳では…」

「じゃあ何だって言うのよ」

「……」

「不満があるのならばはっきり言って欲しいわ」

「……不満なんか、全然なくって、その、今回、鼻血を噴いてしまったのは、フロース、さん、の下着姿に、興奮…をしてしまったからで」

「はあ!?」

「……」


 そんな事であんなに大切な血を大量に失ってしまったって言うの!? し、信じられない。


「――ああ、嫌だ。心配をして損をしたわ」

「は、はい。……とても、元気なので…その、大丈夫、です」

「もう!! 敬語は止めてって言っているでしょう!?」

「……」


 こんな感じで初めての夜は過ぎていったわね。


 私たちは話し合いが足りないのだと痛感した瞬間でもあったわ。


 ◇◇◇


 翌日、お祖母様に口紅のお礼を手紙に認めて送ったら、お返事にとんでもない事が書かれていたのよ。


 フロースへ

 

 お手紙ありがとう。イグニスと上手くいっているようで嬉しかったわ。

 ところであなたに贈った【夜の唇】だけど、どうやら贈り間違っていたみたいで、本物が机の中から出てきたの。改めて贈ろうかと思ったのだけれど、必要は無いみたいね。


 それでは、また暇な時にでも近況を知らせてくれると嬉しいわ。

 あと、ひ孫を抱くのも楽しみにしているから。


 ――あなたのお祖母様より


「……な、なんですって!?」

 

 お祖母様が贈ってくれたのは普通の口紅で、魅了の力は無い品だったみたい。


 ……だったら、あの日の誘惑は私の実力ということになるわね。


 ちょっと気にしていたのよ。魔術の力を借りないと、イグニスを煽り立てる事が出来ないんじゃないかって。


 もしかしてイグニスは、私が生娘だから我慢をしてくれていたのかしら?


 だったら嬉しいのだけれど。

 今晩聞いてみなきゃいけないわね。

 

 だって私たちには話し合いが欠けている可能性があるから、本当の気持ちを互いに把握しなくてはいけないわ。


 せっかくの新婚だもの。甘い生活を楽しむのは今しか無いのよ。


 ーーその日から今まで以上に遠慮しない物言いをするようになった私だけれど、彼は一度も怒る事も無く、話を聞いてくれたわ。


 やっぱりイグニスは私だけの王子様だったのね、っていう自慢話をしてもお祖母様もラウルスも同意してくれないのよ。


 ……どうしてかしらね?


 【新米奥様の甘い誘惑】完。 


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