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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第一章【星を見つけた騎士】
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 ジャイヴァー隊長と別れた俺は、今度こそ帰ろうと馬の厩舎を目指して早足で王宮の中を歩いていく。

 それにしても、突然の食事の席で結婚の話が出るとは思わなかった。先日のパライバ殿下といい、過大評価も良い所だ。

 若い騎士達がチャラチャラして見えるのは仕方が無い事だ。俺も十代後半から二十代前半の頃は遊びまわっていたし、落ち着きも無かったと思う。それに王宮ここには三十代の騎士が少ないから、比べる対象が居ないので、普通にしていてもいいように写るのだろう。


 やはり王宮勤めは性に合っていないのだろうか。以前よりも剣術の腕は鈍った気がするし、実戦を行わないと色々な感覚を失っているように思えた。


 それはそうと、汗が乾いて今度は寒くなってきた。早く帰って風呂に入らないと風邪を引いてしまう。王宮内にも騎士専用の簡易的な風呂場はあるが、利用時には担当の侍女さんに声をかけてお湯を用意して貰わなければいけない。以前、わざわざ出向いてもらって準備をして貰うのが申し訳ないと思って、自分で水を張って魔術で温めた後、こっそり入浴をした事がある。さっぱりした状態で風呂から上がると、掃除に来ていた侍女頭と鉢合わせてしまい、こってりと一時間ほど怒られた事があったのだ。説教の内容を要約すると侍女の仕事を取るな!というお話で、すっかり湯冷めをしてしまった記憶がある。その日以来風呂は家で入るようにしていた。

 

 …一刻も早く家に帰って暖かい風呂に浸かろう。頭の中にあるのはその言葉だけだった。…が、またしても背後から誰かに引き止められてしまう。


「ちょっと待ちなさい!!」


 このドスの利いた声はフロース様だ。あと少しで角を曲がれたのに、何だか悔しい。即座に振り向かないと怒られそうな気がしたので、元気の良い返事と共に振り返った。


「はい、なんでしょうか?」


 フロース様は無言でズンズンと接近して近づいて来るが、あまりの迫力についつい後ずさってしまう。あとあんまり近づかれると汗臭いと思われるので、距離を詰めて欲しくなかった。


「どうして逃げるのよ!!」

「……すみません」


 素直に謝りつつも後退は止まらない。もう、いっその事「汗臭いわよ、この愚民が!! それ以上近づかないで頂戴!!」と非難をしてもらった方が楽になれるかもしれない。

 そうこうしている内に、あと五歩下がれば曲がり角を通り越して、通路の壁に激突してしまう。


「そこで止まりなさいッ!!」

「は、はい!!」


 壁に行き着く前にご命令が下った。フロース様は俺の訳が分からない行動にお怒りの様子だった。両手を腰に当て、瞼を極限まで細め、力いっぱい睨まれている状態だ。

 声を掛けて来たということは、何か俺に用事がある筈だ。この状況では聞きにくかったが、勇気をだして問いかけてみる。


「あの、何かご用件があったのは…?」

「え? ああ、そうだったわね。一昨日のことなんだけど」


 一昨日といえば、フロース様のお供として靴屋と市場に護衛として同行した日だ。何か知らないうちに粗相でもしたのだろうか?


「朝市楽しかったわ、ありがとう」「隊長ーー!! 隊長隊長隊長ーー!!」

「ん?」


 フロース様の言葉は右側通路から聞こえて来た叫びによってかき消されてしまった。

 空気を読まないでこちらに走って来たのは、先日朝市で接近しかけていた噂好きの騎士、レイク・アンダーベルだ。


「隊長、もう帰ったのかと思ってました」


 帰りたくても帰れなかったんだよ!!という言葉をフロース様が居る手前呑み込む。奴は少し離れた場所に居るフロース様には気付いていないようだ。


「…何か用か?」

「いやぁ、一昨日の事ですよ」

「なんの話だ」

「またまた!! 朝市に女性を連れていたでしょう?」

「……」


 よりによってフロース様が居る時に聞きに来るとは、こみ上げる怒りを抑えつつ、何とかはぐらかそうと努力をしようとしたが、またしてもレイクの言葉に遮られてしまった。


「そ」

「後ろ姿しか見えなかったんですけど、背が小さ……いえ、帽子から赤い髪が見えてましたし、右に剣を佩いている騎士なんてめったに居ないですから」

「……」


 ……変な所で鋭い。確かに王都の騎士隊で、赤髪に左利きの背の低い騎士なんて俺一人だろう。


「誰ですか? あの白いモコモコの恰好をした女性は。朝市じゃ見かけない身なりだったので遠目からでも目立ってましたよ」


 フロース様は髪の毛を三つ編みにして、後頭部辺りでくるりと巻いて何かで留めた髪型(?)をしていたので、目立つ銀色の髪は全て帽子の中にあった。加えて後ろ姿しか見ていないというので、フロース様だと気付いていないのだろう。

 これ以上レイクが要らん事を言い出さないよう左右の頬を握り潰すように片手で押さえ、とりあえずうるさい口を封じた。


「…姫様、申し訳ありません、レイクが話したいことがあるみたいなので、また明日にでも」


 両頬を潰され、鳥のような口になったレイクがムームー言っていたが無視だ。フロース様に会釈をすると、レイクの体を引きずるようにしてその場から退散をする。


 今の時間は誰も居ない休憩室にレイクの体を突き飛ばすと、一丁前に文句を言ってきた。


「ーーぶっ、何するんですか!! 暴力反対!! 人事部に言いつけますよ!!」

「特別にお前の質問に答えてやろうと思って連れて来たのにな」

「はあ?」

「先日朝市に居たのは極秘任務の為だ」

「極秘任務?」

「ああ。とある【やんごと無い御方】が朝市を見たいと仰ったので同行していた」

「どうして声をかけたら逃げたんですか?」

「極秘任務だからだ。誰にもバレてはいけないと命令されていたからな」

「…そっすか」

「それに夜勤明けに女性と会う元気があると思うか?」

「…無いっすね」


 嘘をつく時はほんのちょっとだけ真実を混ぜれば信憑性が増す、というのは誰が言っていた言葉だっただろうか。フロース様の名誉を守る為とはいえ、嘘を堂々と言うのは気が引けたが、良からぬ噂が出回るよりはいいだろう。レイクには誰にも情報を漏らさないよう重ねて注意をする。


「お前は他人の事情に首を突っ込むのも大概にしておけよ」

「すいません、枯れているって思ってた隊長が女性を連れていたので気になってしまって」

「……」


 俺も好きで地味な生活を送っている訳では無い。親衛隊長ともなれば私生活すら他の騎士の模範となるよう心がけなくてはいけない。なので下手に外に遊びに行ったりなどが出来ないのだ。


「お前、この事を誰にも言っていないよな?」

「……昨日隊長休みだったから、誰か知ってるかなって思って」

「……」

「ジャックとイルデとサーシャとルークとエキドルに言いました」


 ーー昨日の日勤の奴ら全員じゃねえか。指の関節をポキポキ鳴らしていると慌てた声でレイクが「明日別人だったと訂正しますから!!」と言い出した。隠さなければいけない情報に対して一人一人訂正して回るのは当たり前の行動だ。こちらが聞くまでしないつもりだったのか。これだから貴族の坊ちゃんは困るんだ。


「で、でも、隊長はフロース様狙いですもんね」

「は? なんでそうなる」

「だって姫呼びしているじゃありませんか」

「はあ?」

「いいですよねえ、公爵家の婿になれたら」


 レイクは確か子爵家の五男で、本人が言うには財産などはほとんど貰えないと言う。しかしながらアンダーベル家は国内でも有名な名家なので、貴族の名前が欲しい金持ちの家の令嬢との見合い話がひっきりなしに来るらしい。


「俺たちみたいな下っ端が公爵家のお姫様と結婚できる訳がないだろう」

「いやいや、そう言いますがね、噂があるんですよ。フロース様は結婚相手を探しに王宮ここに来ていると」


 行儀見習いに来ている貴族のお嬢様は、結婚相手を見繕う為に王宮に来ている者も多い。なのでフロース様が結婚相手を探しているという話は不思議なものでも何でも無かった。


「なので今が絶好の好機ですよ、隊長!! 公爵家の婿になれば将来も安泰です」

「……俺は貴族の家に婿入りするつもりは無い」

「どうしてですか!?」

「今住んでいる家を終の住み家にと思っているからだ」

「終の住み家って、あの呪われた【離婚御殿】ですか?」

「……」


 俺が買った家は、近所の人達や騎士団の隊員達に【離婚御殿】と呼ばれている。今まで三組の騎士と貴族の娘が結婚をして住み始めたが、三組共離婚をしてしまったという、まさに呪われた物件だったのだ。

 その噂があまりにも出回りすぎて買い手が五年ほど付かなかったらしい。高級な家具付きという条件の元、大幅に値下げされた所を購入した訳だ。


「…隊長って変わってますよね」

「……」


 ーー変わってなどいない。貴族と庶民の育ちの差だ。…そう、思いたい。


 ここでレイクと別れ、漸く自宅に帰る事が出来た。

 そういえばフロース様の話は何だったのだろう?勝手にこちらから話を切ってしまったが、怒っていないだろうか。

 風呂に入って温まった状態で布団に潜り込むと、待ってましたとばかりに睡魔が襲って来る。

 明日、きちんと謝ろう。そう思いながら深い眠りの中へと落ちてしまった。


◇◇◇


 翌日、昼休憩で皆が出払った部屋の中でフロース様と二人っきりになった。昨日の事を謝ろうと声をかける。


「ーーあの、昨日の話ですが、途中で帰ってしまって申し訳ありませんでした」

「いいのよ。話を誤魔化すの大変だったでしょう?」

「いえ…」


 フロース様はなんとも寛大だった。怒られると思って少々ビビリながら話しかけたが、こちらの事情を察してくれていたみたいで安堵する。


「そういえば靴はどうなりましたか?」

「ええ、心配しないで。綺麗になったから大丈夫よ」

「そうでしたか、良かった…」


 仕上がったばかりの靴を汚してしまったことは本当に申し訳なく思っていた。無事に綺麗になったと知り、一安心する。


「昨日の話だけど、お礼を言いたくて」「隊長ーー!!」


 …またしても、部屋に乱入して来たレイクによってフロース様の言葉は遮られる。注意散漫なのか、フロース様の存在には気付いていない。


「隊長、昨日の話ですが」


 なんの話だ!?極秘任務(嘘)の事か?ジャイヴァー隊長の婿入りの話か?フロース様の旦那さん探しの話か?

 いずれにせよ、フロース様に聞かれたらよろしくない内容の物が含まれている為、レイクを外へ追い出そうと肩を掴む。


「ち、ちょっと待て、話は外で」

「ーー!?」

「へ?」

「ん?」

 

 フロース様がいきなり俺たちの前に立ちはだかり、行く手を阻んでいた。


「待つのはあなたよ、イグニス・パルウァエ!!」

「!?」

「うわ、フロース様、居たんですか」

「居たんですか、じゃないわよ!! あなた、昨日も話をするのを邪魔をしてくれたわね!!」

「え? 昨日?」

 

 レイクは最後まで廊下に居たフロース様に気が付いていなかったようだ。それよりも、目の前に居るフロース様が、怖い。


「レイク・アンダーベル、下がりなさい!!」

「え? 何で?」

「下がりなさいと言っているわ!!」

「レイク、いいから下がれ」

「へ? へーい」


 上司でも無いフロース様の命令に腑に落ちない顔を見せながらも、レイクは執務室から退室して行った。というか、レイク、お前フロース様が王族だということを忘れているだろう?…後で注意をしなければ。


「あなたね」

「はい?」

「どういうつもりなのよ!!」

「??」


 ーー今度は俺が怒られる番になっていた。ぎゅっと眉間に皺を寄せ、怒りの形相で睨み付けて来る。


「どうしてこの私が話しかけているのに、あの子の相手をするのかしら!? 先に話しかけて来た方の対応を優先するのが普通じゃなくて!?」

「は、はい。仰る通りです」


 ぐうの音も出ないほどの正論だった。レイクを押さえ込もうとする余り、フロース様の話を聞くことを疎かにしてしまった。…しかも二度に渡って。


「申し訳ありませんでした」

「……」


 それで何の話だったのでしょうか?と聞ける雰囲気では無い。どうすれば許して貰えるのか。無い頭を最大限に使っても思いつかない。

 このまま沈黙を続けているのも気まずいので、勇気を出してどうすれば許して貰えるかを聞いてみた。するとフロース様は、まことにもって驚き入るお言葉を命令された。


「ーーそうね、私の言葉は何があっても聞いていただこうかしら。あなた、最初に言ったものね、【お手伝い出来ることがあったら、何でも全力で叶えます】って」


 そんなことを言っただろうか?もっとやんわりとした、「お手伝いする事があったらお気軽に仰ってください」みたいな事なら言った覚えはあるが。


「嫌なの?」

「い、いいえ」

「だったらここで誓って」

「え? は、はあ…エー、わたくし、イグルス・パルウァエは…」

「騎士の誓いは棒立ちで行うのかしら?」

「……」


 俺の主人はパライバ様一人だ。騎士がそんな簡単に膝を折る訳には行かない!…と思ったが、一回靴屋で跪いているので、今更な言い分だろう。それに俺の誓いなんかでフロース様の気持ちが治まるのなら、いくらでも平伏して見せようとも思った。

 腰に佩いていた剣を外して地面に置くと、片膝を付いて、即興で思いついた誓いの言葉を口にする。


わたくし、イグルス・パルウァエは、姫の言葉を一番とし、いかなる状況の中でも、その願いを叶えることを誓います」


 ーーこんな感じでいいのだろうか。


 本来ならこのような事はするべきでは無いのかもしれない。ただ一人の主君たるパライバ様への裏切りにもなるだろう。

 しかしながら、フロース様の言葉に疑問を持たずに、こうして従ってしまう自分の姿がある。古い伝承に王族の血は無条件に民を魅了し、従わせる力があるという話を聞いた事があった。俺はその血に酔っているのだと、自分の不可解な行動に理由を付けて、無理矢理にでも納得させた。


「ーー許す。おもてを上げなさい」


 フロース様の声が聞こえたとき、やっとこの場から解放されると思ったが、それは間違いだったと、のちに思い至ることになる。


 見上げたフロース様の表情は、蕩ける様な、艶やかな微笑みを浮かべていた。  

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