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今日はドミナと二人で市場に来ているの。何故かと言えば、お買物についての極意を学ぶ為。
前に高い魚を買ってしまった失敗の原因を追究すれば、私がお買い物の仕方を間違っているというのが分かったの。
…実を言うとね、お買い物だけはラウルスから貰った本の項目を読んでいなかったのよ。
だってお買い物って商品を選んでお金を払って終わりでしょう? わざわざ勉強をすることは無いと思い込んでいたのよね。
けれどね、ドミナ曰く、買い物を極めてこその選良奥様なのですって。
でも、それってどういう意味なのかしらね。
本当ならもっと早く学ぶべきだったのだけれど、お買い物に関しては予算である、一食につき一レアと決めていた金額を超えていなかったし、色々と予定が詰まっていたから急がなくってもいいと思っていたの。
でもその考えはすぐに間違っていると気付いたわ。
お買い物を極めることの凄さを、この時の私は全然分かっていなかったのよ。
「フロースちゃん、今日の夕食の献立は考えた?」
「ええ。バジール豆のスープに、白身魚のパイと肉団子のクリーム煮、それにサラダにしようかと思っているわ」
「まあ! 美味しそうね」
最近は料理のコツが分かって来たから、料理の本を読んで作ってみたり、献立を考えたりしているのよ。
最初に作ったものに比べれば物凄く成長したと思っているわ。
「じゃあ、私が材料を買うからフロースちゃんは見ていてね」
「ええ、お勉強をさせて頂くわ」
「そんな風に言われるとちょっと緊張するわね…そういえば!」
「?」
ドミナが教えてくれたのは、可能ならばお買い物の回数は少ない方がいいという事。理想は七日間に一度なのですって。今までは三日に一度だったから、何とか持ち歩けたけれど、七日分なんて量が多すぎるし、馬は食品街に入れないから無理だと言えば、荷物は旦那様を連れて来て、全て持って貰えばいいという、素敵な助言を頂いたわ。
でもこのやり方だとお肉や魚などの生の食材が腐ってしまうのでは? と意見してみれば、安く大量に買った食材は家で加工をして保存が可能な状態にしておくのですって。
例えばお魚は開いて干物に、お肉は燻製にしたり、数種類の香草や塩を擦り込んでお肉を漬けたものも長期保存が可能らしいわ。
ちなみに塩に漬けたお肉は、野菜と一緒に煮込むだけでスープが出来るのですって。しかもお肉に味が付いているので、味付けも不要だとか。
食品加工のやり方についても教えてくれたけれど、なかなか時間が掛かったり、下ごしらえをしなくてはいけなかったりと手が掛かる作業をしなければならないみたいね。
けれど話を詳しく聞いてみれば面白そうだから、色々と試してみようかしら。幸い時間は沢山あるし。七日分の食料の荷物の持ち手はラウルスにお願いしましょう。
今までラウルスは市場について来ると言って聞かなかったのだけれど、庶民修行一日目に私を助けそうになったという事件があったものだから、同行をきつくお断りしていたのよね。今更付いて来てと言っても嫌がるかしら?
「ドミナ、そういえばって言っていたけれど、どうかしたの?」
「ええ、まあ、言いにくいお話なんだけどね、家にある食材は何があるか覚えているかな~って」
「…野菜と何があったかしら。…覚えていないわ」
「細かい所を突いてごめんなさいね」
「いいえ、それが何か?」
「今まで食材を余らせたり、駄目にしてしまったことは?」
「沢山あるわ」
「そう。…フロースちゃん。献立はね、まず家にある食材を見て、何が作れるかを考えるの。料理を決めてからお買い物に行くのはいいことだけど、家にある食材を見てから決めたらかなりの節約になるわ」
――それは気付かなかったし、知らなかったことだわ。
今まで余っていた野菜などは、細かく刻んでスープにしたりして食べていたけれど、あまり美味しいものではなかったし、量も多くなるものだから食べきるのも大変だったのよね。
「…朝、貯蔵庫を見て来たけど、鶏肉にキノコと燻製肉が半分、チーズに卵があったわね。この材料だったら、チーズとキノコのパイ、燻製肉と野菜のスープ、鶏肉のクリーム煮が出来るわ。それだったら足りない材料はミルクだけになるわね」
確かに。言われてみれば、そうよね。一日に使っていいお金のことだけを考えて日々お買い物に出掛けていたから、余った食材を翌日に使い回すなんて思いつきもしなかったわ。
「余談が長くなってしまったわね。今日はとりあえずお買い物の極意だから、さっきフロースちゃんが言った料理にしましょうね」
まずは野菜屋から攻略。
ここで買うのはスープに使うバジール豆とパイと肉団子に刻んで入れる白葱に、サラダに使う玉菜と赤茄子。
バジール豆は莢の中に五つから八つほど豆の入った野菜で、煮込み料理に適したものなの。今が旬で、お手ごろな価格で購入出来るわ。
それとは逆に一番高いのは玉菜ね。サラダには不可欠な葉っぱものの野菜なのだけれど、この所日光が酷く照り付けていたから、葉が駄目になって今季は不作だとお店の人が言っていたわ。
ドミナは一通り野菜屋の商品を眺めてから、店主を呼んで目的の物を購入しようとしていたの。
「いらっしゃい! 何にしますか?」
「こんにちは! そうね…玉菜が欲しいんだけど」
このお店では玉菜は一つ銅貨二枚。旬の一番安い時は銅貨一枚以下で買える事があるから、今は二倍以上の値段が付いていることになるわね。
「玉菜お一つでよろしいでしょうか?」
「ええ…でも、随分と高いわ」
「そうですね~。この最近の暑さのお陰で葉が駄目になって出荷出来ないものが大半だったらしいですよ」
「まあ、大変だったのね」
「こっちも頑張って仕入れたのですけどね~」
玉菜はこのお店が一番安い。その他の野菜も安いような気もするけれど、ドミナは見向きもしないわね。どういうつもりかしら?
「少し安くならないわよね?」
「いえ~それは…ここだけの話ですけど、この店が玉菜の底値なんですよ。商店街に行けば、銅貨三枚の店もあります」
「ふーん」
「如何なさいますか?」
「じゃあこの白葱も一緒に買うから、玉菜を一つ銅貨一枚と鉄貨五枚に出来ない?」
「……う~ん。銅貨一枚に鉄貨五枚は難しいですね。鉄貨八枚ならなんとか」
「じゃあ赤茄子も買うわ」
「……」
「仕方がないわね、バジール豆も買うわよ! これでどう?」
「……他のお客様には内緒ですよ」
「本当!? ありがとう!!」
「……」
何だか凄いものを見てしまったわ。これがお買い物の極意…。
店主に交渉を持ちかけて値段を安くして貰うなんて知らなかったわ。
それにしても、最初から買うつもりの品を隠した状態で、値段交渉の材料に使うとは、さすが選良奥様。お買い物は商品をそのまま買う以外に出来る行為があったのね。
こうして目的の品を購入して馬車へと乗り込んで、自宅へと帰ったのだけれど、頭の中で今日買った物の計算をしていたら、なんと一レアを切っていたのよ!
合計で銅貨七枚と鉄貨六枚が本日のお買い物金額。小さなことからコツコツと、とは言うけれど、値切り効果は絶大だったわね。私にも出来るかしら?
それに買った品の中で余った食材を使い回す、という方法も教えてもらったから、早速明日から挑戦をしてみなくてはいけないわね。
◇◇◇
それから季節は過ぎて、あっという間に一年が経っていたわ。
「フロースちゃん、大変よ!」
「どうしたのかしら?」
「私、もうあなたに教える事が無いの」
「!!」
ラウルスと新婚さんごっこを始めてから一年、ドミナがここに来てから十一ヶ月、ついに私は【選良奥様】の称号を得る事が出来たの。
「実はね、フロースちゃん。ラウルス君と二人でこっそりお祝いのケーキを作ったのよ。今から三人で食べましょう」
「本当に? 嬉しいわ!」
「うふふ」
「…でもラウルスは何をしてくれたの?」
「…ん? ラウルス君はね、卵白を泡立ててくれたり、生クリームを泡立ててくれたりね」
「……」
不器用なラウルスがお菓子作りで役立つ筈が無いって思っていたけれど、いいお仕事があったのね。力仕事という…。
ラウルスを呼んで来て、ドミナと三人でささやかなお茶会が開かれたわ。
机の上には暇つぶしで作った薔薇の刺繍のあるテーブルクロスが敷かれていたのだけれど、ラウルスがうっかり紅茶を溢してしまって、お茶会が始まる前から大惨事になっていたの。
でも、紅茶の染み位すぐ洗えば落ちるから気にならなかったわ。これも今までドミナに教えてもらった主婦の知恵のお陰ね。
それから三十分遅れで始まったお茶会では、ドミナが作った生クリームたっぷりのケーキが振舞われたの。
スポンジが柔らかくて、外側を覆っているクリームは甘かったけれど、中に挟まれていた果物に酸味があったから丁度いい甘さになっていたわ。お店で買った綺麗な見た目のケーキには無い、素朴な味わいのお菓子ね。とっても美味しくって、二個も食べてしまったわ。
「――でも、驚いたわね、あのフロースちゃんが庶民のお家の奥様になりたいだなんて。辛かったでしょう?」
「いいえ。思っていたよりも、平気だったわ。…もちろん前の生活と比べてしまう時もあったけれど、なんとか耐えられたの。私って負けず嫌いだから」
「そうだな。私もフロース以上の負けず嫌いを知らないよ」
「……」
「…生まれ育った環境から抜け出して、新たに覚え直すのは大変なことだったと思うわ」
今までの道のりは大変だった。けれど、思い返してみれば面白かったり、楽しかったりというような記憶ばかり蘇ってくるの。だから最初にドミナが言ってくれたように、私には家事の才能があったのよ。本当に思い切ってやってみて正解だったわね。この溢れんばかりの庶民生活においての器量の素晴らしさを、無駄にしなくて良かったわ。
でも残念な事といえば、この一年で年を取ってしまったという事実と、外での長時間の活動で肌が日に焼けてしまったこと、腕に筋肉がついてしまったことね。それから体重も増えてしまったし、香油で毎日お手入れをしていた銀髪もくすんだ色になってしまったわ。
「――私の一番辛かったことといえば、イグニスに気持ちを受け入れて貰えなかったことだから、それに比べたら庶民の生活を送ることは、なんて事も無かったのよ」
「フロースちゃんの一番辛かった事ってそんなことなの?」
「そ、そんなことって…」
平然と私が振られたという心の傷を【そんなこと】で片付けてしまうドミナには驚いたわ。
…でもね、それにはきちんとした理由があったのよ、
「私もね、うちの人に結婚の一週間前にお断りをされた事があったのよ」
「ど、どうして!?」
「あの人ね、昔は騎士だったんだけど…」
ドミナの旦那様であるディエースは昔からランドマルク家で働く庭師だったけれど、ラウルスの剣の師匠でもあったわ。前にちらりと騎士をしていた話を聞いたことがあったけれど、一体何があって辞めたのかしら?
「……当時婚約者だったうちの人は、とある任務で酷い怪我を負って帰って来たの。幸い命に別状はなくって安心をしていたんだけどね。お医者様に怪我の完治後は騎士の仕事は出来ないだろう、ってはっきり言われたわ。でも私は生きてさえいれば、あの人がなんであろうと関係無かったのよ。でもね、本人は違ったみたいで、意識が戻った途端に私に結婚は出来ないって言い出したのよ。これが結婚式を挙げる一週間前のお話」
それからドミナは毎日お見舞いに行って、説得を続けたのだけれど、結婚はしないと言って聞かなかったらしいわ。
「…どうしてディエースは結婚出来ないって言ったのかしら?」
「それはあの人が騎士という職業を失ってしまったからよ」
「それだけ?」
「それだけよ。…男の人にはね、つまらない意地、というか矜持みたいなものがあって、夫はね、騎士以外の仕事で私を養えないって思い込んでいたみたいなの。もう結婚をして何年も経ってから聞いた話なんだけどね」
「…フロース、イグニスも同じだ」
「え?」
「イグニスも自分の力だけで幸せに出来る女性と一緒になりたいと言っていた。君が振られた理由とよく似ている」
「……」
「イグニスはきっと公爵家の支援の中で暮らしたくなかったんだ。それに、仮に結婚をしたとして、実家の援助で綺麗になったフロースを見ても嬉しくは無かっただろうね。…男の自尊心とはそういうものだ。実に単純明快な感情だよ」
女性であるラウルスが男性の矜持を語るのに、全く違和感を覚えないことについては気になったけれど、私が振られた理由については納得がいったわ。
…男の人って困った意地を持っているのね。
「…それでドミナはどうしたの?」
「…それがね、私はしつこく半年もの間、夫が入院している病院に通って、毎日のように結婚を迫ったんだけど、決して首を縦に振らなかったわ。でも私も気が短くって、最後は【あんたを殺して私も死ぬ!】って脅したのよ。勿論本気では無かったわ、でもね、本気じゃないっていうのがあの人にも分かっていたみたいで、いい加減にしろ、ふざけたことを言うのなら、ここには二度と来るな! って怒り出したのね。私もその態度にカチン、と来て、怪我で自由の利かない体に馬乗りになって、傍にあった果物ナイフを首の急所に当てて再び脅したの」
なんでもドミナは家族の代わりにお医者様から説明を受けていたらしいわ。肩の怪我の位置が少しズレて、首に当たっていたら命は無かったという、奇跡的に九死に一生を得ていたという話を。
お医者様が言うには、喉の軟骨の両側にある脈を切ると、数十秒の出血で死に至るのですって。
「首の急所をナイフの平の部分でペンペン叩いていたら、ものの数秒で結婚すると言ってくれたわ」
「……」
「……」
「フロースちゃん、最初ってね、物凄く肝心よ? 上下関係をきちんとしていたら、その後もずっと上手くいくから」
ドミナはその後ディエースとはほとんど喧嘩らしい喧嘩はしなかったらしいわ。ディエースは頑固そうな見た目だし、てっきり亭主関白だと思っていたから意外ね。
「ーードミナ、ありがとう、参考になったわ」
「!?」
「こちらこそおばさんの昔話に付き合ってくれてありがとうね」
「フ、フロース!! イグニスの所には私と一緒に行こう!! そ、それがいい!!」
「は?」
「ひ、一人で行ったら駄目だ!! 早まってはいけない!!」
「……」
――ラウルス、一応言っておくけれど、参考になったのは脅しの部分じゃないから。