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「うっ、うっ、辛い…」
「もう! いい大人がめそめそするなんて恥ずかしいでしょう?」
「で、でも、フロース、は、い、いつも綺麗で、輝いていたのに…」
「……」
輝いていた、ね。
…何だか、星占研究所の所長が新たに発表をした報告書に書かれていた話を思い出してしまったわね。
空の上で輝くお星様は二種類あることが発見されたらしいと。
自らの力を爆発させて輝く星に、周囲の光を取り込んで輝く星。
そんな話を思い出してみれば、今までの私は周囲の光を取り込んで輝いていた星に過ぎなかったのね、と納得がいったの。
庶民御用達の服や化粧品を着てみたり、使ってみたりすると、自分の力だけで美しく輝くなんてとても難しいということが分かったわ。
「フロース、こんな、ことは、も、もう止めよう。君の、こ、ここ、こんな姿は、見た、くはな、い」
「はあ!? いきなり何を言っているの!?」
「い、一緒に、お花畑に、か、帰ろう」
「お花畑って何よ!!」
私だって生半可な気持ちで庶民の暮らしを始めた訳ではないの。本気でイグニスのお嫁さんになりたいから頑張ろうって決めたのに、ラウルスは突然何を言っているのかしらね。
それにしても【お花畑】って何かしら?
…もしかして、私のイグニスについてしか考えていなかった頭の中の事を言っているの?
ルンタルンタと花冠を作りながら王子様のお迎えを待つ私。…言われてみれば確かに今まではお花畑の中で夢見ていたのかもしれないわね。
でも、お姫様は卒業したのよ。
今までの優雅な暮らしにも戻らないの。
私は必ず一人前の主婦になって、イグニスの家に押しかけてやるのだから。
「ラウルス。反対をするのなら、もう協力はいらない。私は一人で頑張るから」
「フ、フロース!!」
「私は本気なのよ? 転んで体を擦り剥いたことよりも、イグニスに拒否された時の方がずっと辛かったんだから。…それに、薄汚れていても、私は私なの」
「……フロース」
「あなたは私のことを思って言ってくれているのは分かっているわ。けれど、やるって決めたから、後には引き返さないの」
「……」
ラウルスは私を見つめた状態で黙り込んでいたの。正直一人で頑張れるかは微妙な線だと思っているわ。だってこの短い間でラウルスの存在に何回助けられたか分からないもの。
けれどやるしかないの。私が地上に落ちてしまった周囲の光がないと輝けない星でも、どうにかして自分の力で輝けるような術を探さなければ、イグニスに見つけてもらえないから。
「…君の気持ちはよく分かった」
「ええ。今までありがとう、ラウルス」
「…いや、これからも協力をさせて貰う」
「え?」
「君が輝けるように、私も力になろう」
「本当に?」
「ああ、嘘は言わない」
「ありがとう、ラウルス」
ラウルスは私の服に付いていた汚れを叩いて落としてくれて、それからぎゅっと力強く抱きしめてくれたの。
人肌の温もりを感じて、やっと落ち着くことが出来たわ。
…まあ、何と言うか、ラウルスといい雰囲気になっている場合じゃないのだけどね!
◇◇◇
それから私は市場へはズボンと皮の上着で行くようになったの。それに馬車の時間に合わせていたら閉店間際の売り出しに巻き込まれるから、公爵家の馬を借りて出掛けるようになったわ。
まさか馬に乗れることが役立つなんて思いもしなかったわね。イグニスには感謝をしなくては。
でも馬で行った場合は中央にある厩舎に預けなければならないの。一回預かって貰うのに銅貨三枚。毎日払うってなったら出費が嵩むから、お買い物は二日に一度にして、買出しに行かない日はお料理に力を入れていたわ。
…でも、そのお料理が問題だったのよね。
油を敷き忘れた状態で目玉焼きを作り、焦げてくっ付いた白身を剥がそうとしていたら、黄身が崩壊したり、野菜スープを作ったら、煮込みすぎて中の具が溶けてしまったり、砂糖と塩を間違えて大変な仕上がりになったり。
本を見ながらやっているのに、どうして失敗をするのかしらね?
庶民生活を始めてから二週間経過したけれど、上手く出来るようになったのはお買い物位かしら。
正直お掃除もあまり得意ではないわね。これについてはラウルスが騎士時代に極めたと言っていて、得意だった様で、ちょっとずつコツを教えてもらいながらしているのよ。
他にも洗濯や馬のお世話、花壇のお手入れに、繕い物など主婦のお仕事って沢山あるのね。
慣れない生活は辛かったけれど、ラウルスと一緒だったからなんとか耐えることが出来たの。
でもね、貧相な食生活のお陰でラウルスが物凄く痩せてしまって、何故か精悍さが増してしまったのよ。
せっかく最近はお祖母様が色々と食べさせて太らせることに成功をしていたのに、これでは怒られてしまうわ。見た目も女性から遠ざかっている気がするし、何とかしなければって思って食事について話し合うことにしたのよ。
こうして毎日の食事について、ラウルスと真面目に話し合った結果、私達が毎日自炊をしている料理は、人間の食べ物の水準には至っておらず、例えるならば動物の餌と同等だ、という答えを導き出したの。
調理経験が全くない、素人のすることなので仕方がないと判断をして、料理をおしえてくれる先生が来るまでは朝食のみを作るようにして、昼食は市場で買い、夜食は街に行って食堂で摂るようにしようと決めたわ。
さっそくその日の夜から街へ行き、食堂で夕食を食べに行ったわ。
夜間の辻馬車なんて無いから馬を駆って出掛けたけれど、また厩舎に預けなくてはいけないから、ラウルスの馬と二頭分なので銅貨六枚も支払わなければいけなかったのよ。
王都は馬を乗り入れ出来る場所が決まっていて、石畳の道だけ入っていいことになっているの。市場も乗り入れ可能だけれど、食品街と飲食街は馬を連れ入ることは禁止されているわね。
それからラウルスが案内をしてくれたのは、騎士時代に通っていたというこじんまりとした食堂で、中には騎士達が沢山居たわ。女性客はほとんど居なくって、入った瞬間にチラチラとこちらを窺う視線を感じたわね。
店内には四人掛けから六人掛けの机が十ほどあって、席に座ると店員がお水を出してくれたわ。
こんなに近くに他人が居る中で食事をするのは始めてだったから、どうにも落ち着かない気分になっていたの。けれど、聞けば庶民の食べ物屋では普通のことみたいね。
「フロース、何を食べたい?」
「…イグニスの好きなもの」
「え? 君の好物ではなくていいのかい?」
「ええ。折角だから彼の好みを知っておきたいのよ」
「分かった。では注文は私に任せてくれ」
「お願いね」
ラウルスは店員を呼んで慣れた様子で注文をしていたわ。
相変わらず周囲からの視線は感じていて、居心地は悪かったけれど、空腹感もあって時間が経つにつれ気にならなくなったわね。
「お待たせしました!!」
運ばれて来たのは、籠の中に入った四つの丸いパンと大皿に盛られた料理の数々。
大きな魚をそのままの状態で粉揚げた、上から野菜の入った餡をかけたものに、炙った肉を厚く切って香辛料をかけたもの、キノコの傘の部分に細かく切った野菜と燻製肉を詰めて焼いたものなどがあったわね。
運ばれて来たナイフとフォークも一対だけで、全ての料理に使い回すみたい。
お肉はナイフで切れなくって、齧りつかなければいけないよ、とラウルスから助言を受けてしまったし、大きなお魚は骨が多くって食べにくかったわ。でも最後に食べたキノコの焼き物は美味しかったわね。魚も肉も味が濃くって脂っぽいし、喉が渇いてしまうような料理だったのだけれど、キノコだけは丁度良い味付けだったの。
「これ、美味しかったわ。お酒に合いそう」
「ああ、それはイグニスのお気に入りの一品だ。懐かしくなって注文をしてしまった」
「そうだったのね」
「当時騎士服を着ている状態で食堂に来ていたからお酒は飲めなかったが、家で作って出せばイグニスも喜ぶだろうね」
「!!」
私の分は全て食べてしまったので、ラウルスのお皿に残っているキノコを見て、材料をしっかり記憶をして、帰ってから料理日記に記したわ。
ちなみに毎日作ったり、食べてたりしていた料理は全て記録をしているの。
同じ失敗を繰り返さない対策としてなのだけれど。でも、いくら書き記して、二度と繰り返さないと心の中で誓っても、料理の失敗例なんて無限に存在するのよね。