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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第四章【流れ星は地上で輝けるか?】
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 御前武道会前日。

 お祖母様は仕事から帰ってきたお兄様を居間に呼び出して、話があるからと目の前に座るように言っていたわ。


「おかえりなさい、レグルス。疲れていないかしら?」


 お兄様はお祖母様のお言葉に頷いて、疲労感は無いと反応を返す。


 居間の机の上には執事が淹れた紅茶があるけれど、用意された数は二つだけ。お兄様は人前では飲食をしないので、事情を把握している執事は私とお祖母様の分しか用意しなかったわ。


 それからお祖母様が言ったことは、お兄様にとって衝撃的な話だったの。


「レグルス、あなた、明日から御前武道会に参加するようになったから、頑張ってきなさいね」

「!!??」


 お兄様は目を見開いて、信じられない、と言わんばかりの表情で、長椅子から立ち上がったお祖母様を見上げていたわ。それから口元に手を当てていたけれど、みるみるうちに顔色が悪くなっていったわね。

 お祖母様ったらお兄様に御前武道会について言ってなかったみたい。陛下から直々に届いていた参加証を見て、ふらふらとした足取りで、お祖母様同様に退室して行ったわ。


 極度の対人恐怖症のお兄様は、今まで一度も夜会などに出た事が無いの。だから明日が初めての公の場に出る機会になってしまうわね。

 でも何だか可哀想だから、ランドマルクから持って来た荷物の中に、丁度良い物が紛れ込んでいたことを思い出して、お兄様に貸して差し上げるようにしたの。


 自室に引きこもっていたお兄様は予想通り、寝台の上に布団を被って丸まっていたわ。

…それにしても、どうしてこんなに心が弱いのかしら? もうお兄様も三十になるのだし、もう少し大人になって欲しい所だわ。


「お兄様、ちょっとよろしいかしら?」

「……」


 被り布団の中からゆるゆると顔を出したお兄様の顔は酷いものだったわ。まるで世界の終わりが来たかのような絶望の色に染まっているのですもの。


「明日はこれを付けて参加なさったら?」

「……?」


 お兄様に差し出したのは顔を半分隠すことが出来る仮面で、勿論私の私物な訳は無くって、以前ランドマルク領に居た時に、お父様が潜入調査を行う際に、姿を偽る為に使った仮面だったの。ちなみにラウルスは残念な女装姿だったわね。男性の格好も女性の格好も似合う人なんて存在しない、って事が分かった日の悲しい話でもあったわ。


「これはお父様とラウルスが…」

「!!??」


 仮面を手にしたまま首を傾げるお兄様に説明をしようとしたけれど、長くなるから止めたわ。お兄様はお話を聞きたそうな顔をしていたけれど、今から仕事を片付けなければいけないのよね。詳しいお話はまた今度ね、とはぐらかして部屋を後にしたわ。


 翌日から開催が始まった予選を、お兄様は仮面を装着して参加したらしいの。


 でも、よーーく考えてみたら、あの紫色の派手な色合いをした仮面を付けて出るなんて、ただの変態よね。お兄様はそれを付けて出る事に対して、何も思わなかったのかしら?


 素直に仮面を付けて出場したってことは、思わなかったのでしょうね。


 ……お兄様って本当に残念な人だわ。


◇◇◇


 御前武道会でのイグニスだけどね、なんと予選を通過したみたいなの。だから明日からの本戦も参加が決まったという報告を聞いて、本当に嬉しかったわ。


 そう思っていたのにも関わらず、いざ戦っている姿を見るのはハラハラして気が気じゃなかったの。陛下の隣で観戦をしている手前、大声で応援をする訳にもいかないし、イグニスも余裕が無い状態から巻き返して勝つものだから、安心して見ていられなかったわ。


 それからイグニスは準決勝まで勝ち進んだの。本当に凄いと思ったわ。


 でもね、準決勝戦の相手は、お兄様だったのよ。


 今日のイグニスの勢いを見ていたら、お兄様にも勝てるのでは?という期待もあったわ。お兄様も一週間にも及ぶ衆目の面前での戦いで、体・精神共に疲弊をしていて弱っていたし、お父様とお祖母様が見に来ている、という精神的な重圧からか、呆れるほどに小さな失敗ばかり繰り返しているの。それでも勝ち進んでいるのは流石だわ、って思うけれど。


 試合の開始を告げる轟音が空に向かって放たれ、イグニスとお兄様は同時に走り出したわ。

 剣と剣の戦いについては、あまり詳しくはないけれど、打ち合いをしている様子は互角に見えたわ。途中でお兄様がイグニスに力負けをしているような場面もあったのよ。

 

 お兄様に勝てるかもしれない!そんな希望に満ちた視線を送っていたら、突然雨が降り出したの。大会は雨天決行なので、試合が止められる事はなかったけれど、背後に控えていたラウルスが私の耳元で、ある一言を呟いたわ。


「残念だ、フロース。イグニスは負ける」

「!?」


 大きな声を上げなかったのが不思議な位に驚いたわ。

 だってラウルスの言葉を聞いた瞬間に、お兄様の踏み込んだ一撃を受けて、イグニスが後方へと飛ばされ、戦闘場を囲う壁に激突をして動かなくなってしまったのだもの。


 ラウルス曰く、イグニスは雨の日はいつも強烈な眠気を感じたり、倦怠感に襲われたりするみたいなの。だから外での活動が多い遠征部隊から、室内任務の多い親衛隊に志願をしたのですって。

 その体調不良についてはお医者様に診てもらっても原因不明と言われるだけで、改善策も無いと匙を投げられている状況だとか。


 でも、ランドマルクにも常に眠気と倦怠感ばかり訴えている、やる気の無い執事も居たわね。

 …確か、彼が頻繁に体調不良を常に訴える理由は、水の先天属性を持っているから、と言っていたような。

 なんでも自らの水の属性とは逆の火の属性に弱いみたいで、太陽の下とか暖炉や厨房の火の近くに寄るだけで、具合が悪くなってしまうらしいわ。まあ、その執事の場合は耐魔力がある程度備わっていたので、日常に支障は無かったと言っていたけれど。


 イグニスも火の魔術が使えて尚且つ、眠気やだるさを感じるのは、ランドマルクに居る執事と同じような理由ではないのかしら? 耐魔力が無いから、あのように糸が切れた人形のようになってしまったのでは?


 魔術のことはよく分からないから、今度詳しく聞いてみなきゃいけないわね。


 それにしても、イグニスは大丈夫なのかしら? 【聖剣の姫君】でなかったら、すぐにでも様子を見に行けるのに、決勝を見届けない限り動くわけにはいかないのよね。


 それから程なくして決勝が始まったわ。お兄様と近衛部隊の総隊長との対決。今回もお兄様の勝ちねって思っていたのだけれど。


 ……お兄様、何をやっているの?


 あろうことか、お兄様は仮面が落ちそうになって、手で押さえているうちに、あっさりと負けてしまったのよ。


 試合に負けるよりも、自分の素顔が見られることを恥ずかしがるなんて、変わり者でしかないわね。


 あと少しで優勝だったのに、お兄様は本当に何をしているのかしら。


 騎士団の関係者だけは面目が保たれたって喜んでいたけれど。


◇◇◇


 御前大会の閉会式が始める前に、私はパライバが座る席へ行ったの。目的はとあるお願いをする為だったわ。


「パライバ、お願いがあるのだけど」

「どうした?」

「今晩の夜会でイグニスを貸して欲しいのよ」

「…ならぬ」

「……」


 今宵、開催される夜会は一年に一度ある大きなものより、さらに規模の大きな会場で行われるの。参加者はそれに伴って多くなり、普段は夜会に来ない地方の貴族までもが訪れて交流を図るらしいわ。


 それで私は危機感を覚えていたの。


 もしかして、イグニスはどこかの家に目を付けられているのではないかって。


「お願いよ、今夜一晩だけ、別にちょうだいって言っている訳じゃあないでしょう?」

「…私とて自らの騎士を自慢したい日もある」

「自慢って…」


 無感情に見えるパライバにもそんな気持ちがあることに驚いてしまったわ。


 けれど結局はパライバが折れてくれて、イグニスと一緒に参加を出来ることになったの。


 医務室でイグニスに「また後でね」って言ってしまっていたので、このまま会えなかったらどうしようかと思っていたけれど、パライバのお陰でなんとかなって良かった。


◇◇◇


 それからのことはお祖母様に相談をして、どうすればいいのかを話し合ったわ。


「フロース。やるなら今日決めなさい」

「決めるって?」

「あの騎士をモノにする、という意味です」

「……」


 お祖母様の作戦では、夜会でイグニスに身を寄せ、他の者達を牽制し、ある程度時間が経てば密室に連れ込んで誘惑をする。

 イグニスは私と二人きりになりたがらない筈だから、部屋にラウルスを配置して油断させて招き入れ、透明で匂いは薄いが度数の高い酒を、水と偽って飲ませて前後不覚まで持ち込み、寝台へと誘う。


 あとは色々な責任を取って貰うだけ。

 

 …というかなり過激なものだったわ。


「お祖母様、もう少し控えめなものでは駄目なの? そのようなはしたない作戦、経験が無いから上手くいくとは思わないわ」

「何を言っているの? あなたもう二十五なのよ? 簡単な手口が三十代の男性に通用すると思って?」

「……」


 ドレスも胸の周辺が大きく開いたものが用意されていたわ。寄せて上げた胸を見せる衣装は恥ずかしいから止めてって言ったのに、お祖母様が勝負に勝つ為には絶対に必要な装いだって言うから、そのままの格好で出る事になったのよ。

 胸を出しているのが恥ずかしいのならば、イグニスの腕に押し当てておけばいいわっていうけれど、作った谷間だからあんまり圧力をかけると大変なことになるのよね。


 そんなお祖母様の作戦は途中までは完璧だったの。あと少しで、って所でね、イグニス、窓から飛び出して行ってしまったわ。


 慌てて窓の下を見たら、イグニスが地面に落ちた瞬間だったの。でも綺麗に受身を取ったようで、大事には至らなかったように見えたわ。


 それからイグニスはこちらを振り返ることもなく、走り去ってしまったのよね。


 胸の中に感じていた怒りと悲しみを鎮め、解けていた髪の毛をくるりと巻いて、長椅子の上に置き去りにされていた櫛で固定し、部屋の鍵を開けて、ラウルスの居る部屋へと移動したわ。


「ラウルス! 開けて」


 部屋の中から顔を出したのは、お父様だったの。


「ラウルスは?」

「…中に居る」

「なあに? お楽しみだった訳?」

「何を言っているんだ。母上も一緒に決まっているだろう」

「……」


 部屋の中に居たのはラウルスとお祖母様、お父様の三人だったわ。机の上には食事が運ばれていて、三人で宴会を楽しんでいたみたいね。


「フロース、失敗しちゃったのね」

「……」

「所詮は生娘の誘惑。経験豊富な男性は騙せなかったようね」

「経験豊富ですって!?」

「どうせあなたがいくら近寄っても顔色一つ変えなかったのでしょう?」

「……」


 確かに、病み上がりで隙だらけのイグニスの頬に口付けをしたけれど、顔色一つ変えなかったわね。私にしては最大の攻撃だったのに、効かなかったのは慣れているからだったのかしら? 


「綺麗な女の子に迫られるのは慣れているのよ。きっとね」

「……そんなの、嘘よ」

「この前遊びに行った時も紳士的に付き添ってくれたわ」


 何故かお祖母様はラウルスの口を扇子でポンポンと叩きながら、私が聞きたくも無い言葉を次から次へと話してくれたわ。


「フロース、あなたは何が失敗原因だと思う?」

「途中まではいい雰囲気だったの。でも、肩を掴まれてからどうすればいいのか分からなくなって、イグニスに男性経験が無いって言ってしまったの。それが原因かしら?」

「それは…可哀想に」


 やっぱり経験不足の女性は面倒だったのかしら?でも窓から逃げることもないのに、って思うわ。折角内からも外からも鍵が無いと開かない扉のある部屋を用意して貰ったのも関わらず、不甲斐無い結果に終わってしまったわね。残念だわ。


「…そういえば、胸も偽者だと言ってしまったわ」

「ーー!! それは駄目よ、フロース。折角頑張って偽装をしたのにどうして?」

「だって服を脱いでから小さかったらがっかりするでしょう?」

「そんなこと無いわよ! ねえ、アルゲオ?」

「…生々しい話は振らないで下さい。そもそも、このような話題は家族でするものではないと思います」

「やあねえ、二回も結婚を失敗していて、二人も子供が居る中年が紳士ぶるなんて」

「……」


 …お父様も、お祖母様には勝てないのね。ラウルスはお祖母様に口を押さえつけられているわ。一体どうしたのかしら?


「そもそも、お前はイグニス・パルウァエに好意を伝えたのか?」

「……いいえ」

「それが原因だろう」

「そ、そうなの?」

「そうに決まっている」

「……」


 お父様の言う事も一理あるかもしれないわ。私の好意は伝わっていないのかもしれないし、試してみる価値はありそうね。


「――明日、またイグニスを誘ってみるわ。今度は家に呼んで、薔薇園でも見ながら機会を狙うから」

「……」

「……むが、んん!!」

「あら、素敵!! 私、フロースのそういう行動が早い所と転んでも諦めない所、大好きよ」


 お祖母様は喜んでいたけれど、お父様は呆れていたわね。ラウルスは相変わらず口を塞がれていたわ。口から何か言葉が漏れているけれど、何か言いたいのかしら?


 もしかして行動が早すぎるって言いたいの?


 …でも悔しいのよ。このまま終わりになるなんて。


 折角家族も応援してくれているのに。それに早急に手を打たないと、誰かに取られてしまうわ。


 そんな風に燃えていたけれど、お祖母様に釘を打たれてしまったのよね。


「でもね、フロース。男の人は追われると逃げたくなるのよ? だからあんまり追い詰めちゃあ駄目」

「分かったわ」


 返事は急かさないようにすれば良いのよね?


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