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ラウルスが王都に来て数ヶ月が経ったけれど、まだ骨折していた腕の状態が万全では無いみたいで、大人しくしながら毎日を過ごしているみたい。
そんな彼女のお仕事といえば、お祖母様のお相手。
何をしているのかって聞けば、お祖母様がこの暑い中で編み物を教えたり、紅茶の淹れ方をご教授したり、ご婦人方のお茶会に連れて行っているらしいの。
お祖母様ったらラウルスを淑女にするつもりかしら?けれど数日もしない内に「あの子は死ぬほど女性らしさがないわね」って呆れ顔で話していたわ。
流石のお祖母様も、ラウルスにはお手上げ状態だったみたいね。結局諦めて、男性の格好をさせて連れ回して楽しんでいるらしいわ。
今日はヤリナタリアという侯爵領にある街で、新たな領主となる者の親任式と夜会にお祖母様とラウルスが参加をする予定だったの。体に負担が掛らないように客室付きの竜を手配していたのだけど、急にお祖母様の体の具合が悪くなって、私が代わりに行くことになってしまったわ。
急な決定だったから、あり合わせのドレスと宝飾類を用意して、竜が運んでくれる客室に乗り込んだの。
そんな中、不都合は重なるもので、上空はいつもより風が強く、親任式には間に合わないと竜を操縦する騎手が言っていたわ。王都からヤリナタリアまで一時間から二時間ほどで到着する予定が大幅に狂って、四時間も掛かってしまったのよ。
ヤリナタリアへ付いた頃には日も沈みきっていて、夜会も始まっているような時間だったの。大急ぎで支度を整えて、会場に向かったわ。
男性用の衣装に身を包んだラウルスは、今回は後ろに控えているだけのお飾りの護衛で、本物の護衛は会場に複数配備されているのですって。前日からお祖母様の身の周辺を守るために、現地で待機をしていたらしいわ。
それにしても、夜会への参加は一年ぶり位かしら。ランドマルクに居ても、一年に一度は王都に帰ってきて、お祖母様と二人で参加をしていたのよ。
勿論誰とも踊らなかったし、誘われてもお断りをしていたの。知り合いに挨拶が終わったら速攻で帰っていたわ。私にとって夜会とは人間関係の収穫を目的としないものだったから、お祖母様の付き添いとはいえ苦痛でならなかったのよね。
会場には着飾った女性や、野心を胸に忍ばせた男性が溢れていたわ。呆れる位のいつもの光景。
でもね、そんな大勢の参加客の中で、イグニスはすぐに見つかったの。赤い髪はどこに居ても目立つのね。
公爵家の代表として挨拶をしていたけれど、次から次に話しかけられてとても忙しかったわ。渡されたお酒にも口を付ける暇も無い位の怒涛の受け答えを作った笑顔で返し、周囲に出来た人込みを捌いていたのだけれど、集まった人達を眺めながらいつ終わるのかしら、と絶望するような時間でもあったわね。
そんな状況でも視界の端には赤髪の騎士を捉えていたし、あと少しで話しかけに行けるわ、って思えば頑張れたの。
でもね、イグニス、いつの間にか居なくなっていたわ。
もしかして誰か他の女性をダンスに誘って踊っているのではないのかと会場を見渡したけれど、踊りの輪の中に姿は確認出来なかったし、我慢できなくってパライバの所に行って何処に居るのかを確認したのよ。
聞けば、自室へ戻って行ったのですって。
もしかして誰か部屋に連れ込んだのかしら?
この私を差し置いて?
それとも具合が悪くなったの?
だったら心配だわ。
そんな風に気掛かりな感情はあったけれど、それ以上に少しだけお話をしたいという気持ちがわき上がっていたの。
それが自分勝手なワガママだというのも理解していたわ。
でも、一目会ったら、先ほど見知らぬ男性に口付けされた手先の不快感も拭えると思っていたの。それに今日のドレス、自分で言うのもなんだけど、とても似合っているのよ?
パライバに無理矢理イグニスの部屋の場所を聞き出して、とりあえずは残っていた挨拶を手早く済ませてから向かったの。
けれど、あっさり追い返されてしまったわ。
具合が悪い訳では無いと言っていたので安心は出来たけれど、どうしてなの?理由も言ってくれないなんて。
気が付いたらイグニスを怒鳴りつけて、開いてもくれなかった扉を蹴り上げていたわ。
「フロース!! 待ってくれ!!」
この場から一刻も早く居なくなりたくて、誰も居ない廊下を走って駆け抜けたの。背後からラウルスの焦ったような声が聞こえたけれど、振り返ることは無かったわ。
◇◇◇
一晩明かすために用意された部屋は、ラウルスと二人で泊まれるように寝台が二つあって、律儀にも机の上には軽食やお酒が用意されていたわ。
一日中バタバタしていたから食事をまともに摂っていない状態で、空腹は感じていたけれど、そんなことよりも苛立ちの方が勝ってしまって、ドレスも、首飾りも、体に身に着けていた煌びやかな装飾品全てを寝台の上に投げ打って憂さ晴らしをしていたのよ。
こんな小さな子供みたいな行動は慎むべきだと分かってはいるのだけれど、気持ちが静まらなくってどうしようも無かったのよね。
背後に居たラウルスがグラスに果実汁を注いでくれて差し出してくれたから、受け取って飲んだら、その時になって喉の渇きを思い出して一気に飲み干してしまったの。こんな体の渇きも忘れていたなんて、どうにかしているわ。
「君は…イグニスに何の用事があったんだ?」
「え?」
「どうしてそのように怒っている?」
「……」
だってあの人は私に見向きもしなかった。
イグニスに今日の姿を見てもらって、どうかと答えて欲しかったのよ、きっと。
彼は優しいから、そう思っていなくても、ドレスを見て綺麗だと微笑みながら言ってくれた筈だわ。
それだけ聞ければ私は満足だったの。…多分ね。
自分の思う通りに事が進まなくって、物に当たって怒りを抑えようとするなんて、とても恥ずかしい行為だというのは自覚をしているわ。
本当に私は子供のような考えしか持っていないのね、と呆れてしまう。
「フロース、答えてくれ。もしや君はイグニスの事を好いているのか?」
「!?」
――好き?イグニスのことが?
「どうして、そう、思うの?」
「気付いていなかったのか? 君は会場でずっとイグニスの事を気にしていた。…それとフロースが男の後を追う姿は始めて見た。だからだ」
「……」
「君がイグニスの部屋の前で言ったことは、着飾った綺麗な姿を見ないなど許さない、ダンスも誘って欲しかった、という熱烈な好意にしか聞こえなかった」
「……てことなの?」
「え?」
ーーなんてことなの?
まさか、あの鈍感なラウルスに言われて気が付くなんて。
嫌だわ、どうしてかしら。
…私は、どうしようもなく、イグニスのことが好きなのね。
「馬鹿馬鹿しいこと!」
「…違ったのか!? イグニスは嫌いか? 少しだけ硬くて、綺麗好き過ぎる所もあるが、いい奴だ。私が保証する。だ、だから…」
「ーーいいえ。私、あの人のことが大好きよ」
「ほ、本当か!?」
「ええ。嘘は言わないわ」
「フロース!!」
感極まったように見えたラウルスは、突然私に抱きついてきたの。
あんまりにも勢い良くぶつかって来たから後ろにあった寝台に倒れそうになってしまったのよ。私はか弱い女性なのだから、少しは手加減をして欲しいと抗議したわ。
それからふと気が付いたの。ラウルスの押し付けられた体や、回された腕は柔らかくって、この人は本当に女性だったのね、男の人の体とは全然違うわ、と。
ラウルスは私がイグニスを好きだという事を喜んでくれたわ。私が一生誰も愛さないと心配していたみたい。
もしかして、お父様やお祖母様にも心配をかけているのかしら?好きな人が出来たって報告をしたら、ラウルスみたいに喜んで貰えるといいのだけれど。
そのような事を家族に言うのは、少しだけ恥ずかしいわね。
でも、そんな風に悩むのは初めてだから、なんだか不思議な気分だわ。
それからラウルスが教えてくれたの。イグニスはお酒が入っているだろうから、それで会わなかったのだと。
ラウルス曰く、この国の騎士はお酒が入ったら、馬にも乗れないし、騎士としての職務にも就いてはいけない決まりがあるのですって。
だったら拒否されたことにも納得がいくけれど、あの場で理由を言ってくれても良かったのにね。人の言いたいことや気持ちを察するのが苦手だから、きちんと説明をして欲しかったわ。
まあ、でもイグニスと会えなかったお陰で自分の気持ちに気がつけたし、悪い事ばかりではなかったわね。
◇◇◇
それから季節は変わり、ついに御前武道会の開催の日が近付いてきたわ。
お城や王宮内は、忙しそうに走り回る文官や、騎士達の姿が目立ち、街の中もそわそわと落ち着かないような雰囲気に包まれているの。
そんな中で伯父様…陛下から驚くべき使命を言い渡されたわ。
【聖剣の姫君】
御前武道会で優勝した者に聖剣を手渡し、祝福を贈る巫女的な役割をする王族の役割の一つなのだけど。それをね、私にして欲しいって言うのよ。
でも今までの大会では十代の若くて綺麗なお姫様の役割だったから、私はもう二十五だし、薹が立っているから一度はお断りをしたのよ。この年で【聖剣の姫君】になって、大勢の前で見せしめになるのは嫌。あの姫君は親衛隊も存在しないし、おまけに独身の嫁き遅れだって噂されるもの癪だわって思っていたの。
でもね、どうしても私にして欲しいって聞かなかったわ。その訳は優勝の品である剣のせいでもあったのよ。
【炎撃の剣】
それはラウルスの叔父であるキリッシュ・ハリエーシュが五年かけて製作をした剣で、白い柄に、白い鞘、剣身は白銀の素材で、表面には薔薇のような花模様が彫られているという、美しい剣だったわ。
六年以上前の話かしら? 御前武道会の優勝者に贈られる剣の製作を国から依頼されたってキリッシュ・ハリエーシュが言いに来て、私にその剣の対象になって欲しいとお願いされたのは。
陛下は【炎撃の剣】は私を象って作った品だという話を聞いて、【聖剣の姫君】をするように言ってきたみたい。
で、結局その話は受ける事になってしまったのよ。
キリッシュ・ハリエーシュ。余計な話をして許さないんだから! と思っていた所に丁度渦中の人物が居たものだから、取っ捕まえてやったのよ。
「わあ、フロース殿下、今日もお綺麗ですね」
「あなた! ちょっといいかしら?」
キリッシュ・ハリエーシュの奥方と共にお茶をさせて頂いたわ。勿論文句を言う為にね。
ラウルスの叔父であるキリッシュ・ハリエーシュはお父様と同じ位の年齢だと前に聞いていたわ。職人としての腕は一流だと言われているけれど、性格はのんびりしていて、自分勝手って言えば言い過ぎかもしれないけれど、いつも一言も二言も多かったり、足りなかったりな、残念な人であることは確かね。
「私、あなたのせいで【聖剣の姫君】をすることになったのよ」
「おめでとうございます!」
「めでたくなんかないわ! この年で務めるなんて晒されているのと同じなんだから」
「ははは」
「……」
先ほどから奥方であるミハナが申し訳なさそうにしているものだから、これ以上責めるのは止めにしたの。
「そういえば、どうしてあの剣は【炎撃の剣】というの?」
あの白い剣に炎の要素は全く無い。それ所か私の花という名前が使われていないなんてどういうことなのかしら?
「それはね、あの剣は二本で一組の夫婦剣なんだけど、剣って二本一緒に所有されることってないでしょう? そうなれば夫婦剣の意味が無いなって思って名前を逆にしたんだよ。そういう風にすればいつも一緒でしょう?」
「そうなの?」
「そう」
「変な理屈ね」
「でしょう?」
「……」
話によればどこかに【花守りの剣】という【炎撃の剣】の対となる剣があるんですって。どうせなら二本まとめて贈れば良かったのに、って言えば、もう片割れは相応しい人が居たから渡してしまったと言っていたわ。
私の剣の旦那様は今、何処にいるのかしらね?
「あ、そうだ」
「?」
「その炎撃の剣ね、薔薇の花が彫られていたでしょう? 見てくれた?」
「ええ。とても綺麗な花だったわ」
「シンシア・アモルという【誠実な愛】という意味の蔓薔薇なんだけどね」
「そうなの? 素敵ね」
「そうでしょ? それから獲物を斬りつけると、花の彫刻の部分に血が流れ込んで、赤い薔薇が咲いたようになって綺麗になる筈なんだよね。是非とも見てみたいと思わない? 試す機会が無くってさ」
「……」
――何だか、聞かなくてもいい、余計な情報まで聞いてしまったわ。