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お祖母様にパライバの元で侍女として働いてくれないかとお願いされたのは、ランドマルクから帰って来てすぐの話だった。
なんでもあの子が周りの騎士の言う事を聞かないで、休憩や昼食も摂らずに働いているらしいの。侍女をしていたミルティーウはお祖母様のお茶飲み友達で、彼女は今療養の為に入院をしていて、同じ職場で働く人からパライバの現状を聞いて驚き、お祖母様に相談をしたみたい。
ミルティーウからお願いされたお仕事は、パライバに規則正しい生活を送るように口うるさく指導をする事と、あの子や周りに居る騎士達にお茶を淹れたり、過ごし易い空間を作るというランドマルクでしていた仕事と同じようなものだったわ。
お祖母様の具合がよろしくないからと聞いて、ランドマルクから飛んで帰ってきたけれど案外元気で、手伝おうとしていたお仕事はそこまで量も多くなかったから大丈夫かしら、と思ってそのお話を受けたの。ランドマルクでもラウルスやその妹のユーリアのお世話を焼いていたから出来ると思ったのよね。
お祖母様に公爵家のお仕事を教えて貰ったり、侍女をする為の準備をしたりして忙しく過ごしていたら、ラウルスが怪我を負った状態でランドマルクの地からやって来た。
事情は何だかよく分からなかったけど、ラウルスは領主を辞めてここで暮らしていく事が決まって、喜んではいけないと思いつつも嬉しかったわ。だって王都にはお友達も居ないし、正直心細く思っていたの。
数日振りに会ったラウルスはやっぱり落ち込んでいて、負傷した姿と相俟って見ていて痛々しかったわ。だからあんまり会いに行けなかったの。王宮でパライバの侍女をすることになったという報告をすれば、自分のことを棚にあげて心配もしてくれたわ。
「フロース。本当に大丈夫なのか? そこは男しか居ないのではないのだろうか?」
「ええ、そうね。分かっているわ」
ラウルスの言う通りパライバの周りには親衛隊の騎士が護衛の為に沢山配置されている、という事はお祖母様から聞いていたから知っていた。
私は昔から大の男嫌いで、向こうから近付かれると何も出来なくなってしまって泣き出してしまう事もあるほど拒絶反応が出てしまう時もあった。
男なんて変態でいやらしいことばかり考えている気持ち悪い生き物なのよ?そんな者たちに憧れを抱く女性の気が知れないと、男の外面に騙されて恋心を抱く人達を気の毒に思っていたわ。
そんな私だったけれど、恥ずかしながら十代の少女が夢中になるような恋愛小説を読むのが趣味で、特にその中でも騎士とお姫様が出てくる物語を好み、本棚には同じような題名のものが沢山並んでいた。初恋相手のラウルスが騎士だったので私は騎士という、無私の勇気を持ち、紳士的で果敢な生き物が大好きだった。けれど普段から男嫌いを提言している事もあって、その趣味は秘密にしていたけれど、もう二十五にもなるし夢見る少女のような趣味は卒業しなければ、と決意して全て本を処分をしてから王都の自宅に帰って来た。
白馬に乗った王子様のような騎士なんて存在しない、物語の中に出てくるのは女性の理想を具現化しただけの都合のいい男性で、実際の男の人とは違う生き物。
そんな風に意固地になって考えていた時期もあったのよね。
…あの人に出逢うまでは。
大の男嫌いな私が男だらけの王宮に行く事をラウルスは酷く心配していたの。でも二十五にもなる嫁き遅れに近付いてくるモノ好きも居ないだろうと何とか説得して納得をしてもらったわ。
「君がそこまで言うのなら止めはしないよ。でも、困ったときがあったらイグニスを頼るんだ。…覚えているか? 一年前ランドマルクにパライバ殿下の護衛をしていた赤髪の騎士だ」
「ええ、覚えているわ。イグニス・パルウァエでしょう?」
「そうだ! 彼はとても真面目で模範的な騎士だ。間違ったことはしないし、安心して相談をするといい」
「……」
イグニス・パルウァエ。
ラウルスの従騎士時代からの親友で、ラウルスに騎士時代の話を強請ると必ず彼の名前が出てくるので、覚えていたの。ラウルスの騎士時代の話は、そのほとんどが無茶な内容ばかりだったけど、必ず最後には「その後はイグニスが何とかしてくれた!」で締め括られていて、仕様も無い事件に巻き込まれてなんて可哀想な人なのかしら?と思っていたわ。
だからイグニス・パルウァエっていう人はきっと幸薄そうな外見をしているのね、って勝手に想像をしていたのだけど、一年前、嵐に巻き込まれて偶然立ち寄ったパライバとその護衛を勤めていた彼を見てとても驚いたの。
燃えるような赤い髪に男らしく凛々しい外見。その人こそがイグニス・パルウァエと紹介された時はとても驚いたわ。その場では平静を装っていたけれど、想像とあまりにも違っていたから。
その時は特に会話を交わす事も無く、終わったわ。だって髪色のせいか軽薄そうに見えるし、ラウルスと仲良くしている姿を見て激しく嫉妬をしていたの。
その頃の私はラウルスが素敵な王子様に見えていたのよね。本当に恋は盲目になるっていう話を良く聞くけれどその通りだと思うわ。今、冷静になって良く見たらラウルスはきちんと女性に見えるし、世界で唯一人、どこかにいるかもしれない、私だけの王子様には見えないもの。
◇◇◇
そんなラウルスの心配を余所に、出勤日当日となり王宮に出かけた私は、侍女頭の説明を受けながらパライバの執務室へと案内される。
その場で待っていたのはパライバの親衛隊の騎士達で、その人数に圧倒されたわ。ここに居るのはほんの一部で、全員で十八名ほど在籍していて普段は七名ほどで護衛をしているらしいの。
騎士達は珍しい生き物でも見るように私のことを見ていたわ。全く礼儀がなってない。他人の顔をジロジロ見るのが失礼だと習わなかったのかしら?
つい、一番前に居た男を睨み付ければ、あっさりと謝罪の言葉が返って来た。
「――失礼しました。あまりにもお綺麗だったので、つい見蕩れてしまって」
まあ、分かっているじゃない。美しいモノの前では見蕩れてしまうのも仕方がないわよね。特別に今回だけは許してあげる。そう言おうとすれば、その騎士が知った者だという事に今更ながらに気が付いたの。
自らの行動を反省し、会釈をする騎士は赤い髪を持っていて、そんな鮮やかな髪色を持つ者は一人しか記憶に残っていなかったわ。
イグニス・パルウァエ。
ラウルスが頼るように言っていた人物が居た事をすっかり忘れていた私が口から出てきた言葉は「はじめまして、パルウァエ卿」という斜め上に間違ったものだった。
私たちが会ったのは二回目なので、はじめましてはおかしい。目の前のイグニス・パルウァエも不思議そうな顔をしている。
けれどこちらの間違いを指摘する立場ではないと思ったからか、彼もはじめましてと返してくれたわ。変な雰囲気にならなくって良かった、と一安心していた所に後から現れたパライバによって、ほっとしていた気分も壊されてしまったのよ。
あの子はイグニス・パルウァエに一年前に会った話を掘り返して紹介しだしたの。もうそうなれば知らない振りは出来ないかと思い、観念して知っていると白状したわ。
その時のあの人の顔ったらおかしいものだったわ。驚いていたからか、目を見開いて今にも叫びだしそうな表情を浮かべていたんだもの。あとで謝らなければいけないわね、とその時は考えながらその場を後にしたわ。
昼食前、食堂に顔を出せば、そこで働く方々から泣き付かれた。なんでもパライバは一ヶ月近くお昼を抜いているという状況だと説明される。
これが私の仕事なのね、と思いながら執務室に居たパライバを引っ張って食堂まで連れて行き、食事を摂らせる事に成功したわ。騎士達はどうしてこんなに簡単なことも出来ないのかしら?
周囲を見渡せばイグニス・パルウァエが居ない事に気が付く。近くに居た騎士に聞いたら、あの人は休憩時間をずらして食事に行くと教えてくれた。
イグニス・パルウァエが現在一人で部屋の番をしていると聞き、執務室に他人の目が無いのでいい機会だと考え、朝の事を謝ろうと後の給仕は食堂に居たメイドも任せ、厨房にあった料理を貰い籠に詰めるとそのまま執務室に戻る。
でも部屋で仕事をしているイグニス・パルウァエの顔を見た途端に感じたのは、何も考えずに男の人と二人っきりになってしまったという緊張感で、それを隠す為に出てきた言葉といったら朝の行為を責めるものだったのよ。
「ちょっとあなた! よくもじろじろと見た挙句、他人の振りをしてくれたわね!」
私ったら何を言っているのかしら?そんな風に自らの言動に心の中で呆れつつも、一度発してしまった言葉の勢いは止まらないのね。本当に私ってば何をしているのかしら?
イグニス・パルウァエは一度謝罪もしてくれたし、こちらが先に知らない振りをしたから合わせてくれただけで、何も悪くないのに申し訳無さそうに頭を下げてくれる。こんな事を言いに来たのではないのにどうしてこうなってしまったのかしら?
更に驚いた事に彼は私を「姫様」と呼んで謝ってきたの。
「姫様ですって!?」
この国で二十歳以上の王族の女性を姫と呼んでいいのは、親衛隊の隊長と婚約者だけ。多分だけどイグニス・パルウァエはその決まりについて知らないのね。だってあんなに必死の形相で謝っているんだもの。
「…まあ、いいわ」
私の口から出てきた言葉は姫呼びを許すという尊大な言葉だったわ。だって十四歳の頃から十年間ランドマルク領に居て、誰もお姫様扱いしてくれなかったし、呼ばれて悪い気はしなかったんだもの。少し位ならいいじゃない、と思ってその時は注意をしなかったのよ。
こうしてパライバ付きの侍女としての生活が始まったのだけれど、数ヵ月後にはまさか自分があんな事になっているとは考えもしていなかったの。
本当に人生って何が起こるのか分からないものよね。