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夜勤明けに引継ぎの為に殿下の執務室へ行くと、そこにはいつもの仕着せを着た格好では無いフロース様が居た。どうやら王宮に用事があったらしく、ついでに寄ったらしい。
「イグニス、丁度いい所に来た」
パライバ殿下がちょっと来いと手招きをする。
「今からフロースの買い物に付き合ってくれぬか?」
「ちょっと!! いいって言っているでしょう?」
二人して朝から何を揉めているのか。
話を聞けばフロース様はこの後注文をしていた靴を開店前の店に引き取りに行く予定だったが、誰も供の者を連れて来なかったという。フロース様の言い分では、公爵家には目に見えないように行動をする護衛が付いていて、危険に晒されることは無いから護衛は不要だと。逆にパライバ殿下は女性の一人歩きはあまりいいものとは思えない。親衛隊の者を一人連れて行け、との事。
こうして都合よく現れた俺にフロース様の護衛という素晴らしい名誉が言い渡された。しかしフロース様もそんなものは不要だと引かない。…殿下の言う通り女性が、というかフロース様みたいな方が一人で歩くのは目立ってしまうし、もしも何かが起こってしまった時に、付いて行けば良かったと悔やむかもしれない。
「姫、よろしかったらご同行を許して頂けませんか?」
「……別にどうしてもっていうのなら、構わないけど」
フロース様は案外あっさりと承諾してくれた。他にもあれこれ考えていたが、言わなくて済んだようだ。
やっと雪が解け終わり、これから暖かくなると思っていたのに、今日は酷く冷たい風が吹いている。寒くないようにしっかりと外套と着こんで帽子を被り、同じくコートとつばの広い帽子を被ったフロース様がやって来た。コートの上にはモコモコとした白い毛皮の襟巻きを巻いており、とても暖かそうだ。
馬車に乗り込む時に手を貸そうと差し出したが、「結構よ!」と言って素気無く断られてしまう。思わず苦笑しながら自分も馬車に乗り込み、御者に合図を送ると馬の嘶きと共に走り出した。
腰に佩いていた剣を脇に抱えて腕を組み、外の景色を眺める。この辺は貴族御用達のお店が並ぶ場所で、立ち寄ったことは無い。ふと視線を感じてフロース様の方を見れば、思いっきり逸らされてしまった。この短い期間に嫌われたものだなと、少々落ち込んでしまう。出来れば職場の人間関係は円滑でありたい。そんな風に考え事をしていると、目的の場所へと到着をする。
フロース様が靴を注文したという店は、高級な商店街を通り抜け、鍛冶屋などがある無骨な店が並ぶ場所だった。周囲は開店前だからか、全く人の気配は無く、閑散としていた。フロース様は靴屋の扉についている来訪を知らせる為の輪形の金具で戸を叩く。
しばらく待つと店主と思われる男性が出て来て店の中へと招かれた。
「フロースお嬢様、お待ちしておりました」
「朝からごめんなさいね」
「とんでもないことでございます。本来ならばお屋敷にお持ちしたかったのですが…こんな汚い店に来てもらって申し訳無く思っています」
「よろしくってよ。…実はこの油っぽいお店が嫌いじゃないの」
「それはそれは、光栄に存じます」
店主はフロース様の言葉に恐縮しながら品物を持って来ると言い、奥に消えて行った。
フロース様はコートを着たままの状態で勧められた椅子に座る。この店には上着を掛けるような棚は無く、また部屋の中は何故か外よりも寒く感じたので、わざわざ脱ぐ必要もないだろうと判断した。
「お待たせいたしました、こちらが……」
店主は靴を持ったまま屈もうとして、唸り声をあげる。
「どうかなさったの?」
「いえ、先日から腰を悪くしていて」
辛そうな表情の店主から靴を受け取る。フロース様はしばらく休んだ方がいいと言って、店主の心配をしていた。
手持ち無沙汰になった俺は店主の代わりに片膝をついて、フロース様の動きを待つ。実は以前靴の収集が趣味の姫(六歳)の親衛隊員が足りないからと仕えていた時期があり、彼女の熱心な指導もあって靴を履かせるという行為は経験があったのだ。
「ーーえ?」
店主の代わりに膝を付いた俺をフロース様は不思議な顔で見つめていた。「姫君は自分で靴を履かないのよ!!」…というのが幼い姫君の教えだったが、何か至らない点があるのだろうか。ちょっと自分では分からないので、いつもの様にはっきりと指摘して欲しいと思った。
が、いつまで経ってもフロース様の罵倒は飛んで来ない。代わりに地面についていた足が僅かにあがり、前に差し出される。本日お召しになっていたのは服に合わせたであろう、白い靴だった。手に嵌めていた黒革の手袋を外してから、つまさきがふっくらと盛り上がった造形の靴の紐を解き、踵部分を丁寧に引く。ふんわりとした白いレースがあしらわれた靴下を履いた足に、店主から預かった靴を両手で持って前に出すと、フロース様は足先を靴に入れるが、真新しく固い革の靴なので簡単に履けるものでは無かった。
一声断りを入れてから片手は靴の踵部分を持ち、もう片方はフロース様の足首を持って、踵から滑らせるように足を動かす。全ての足が靴の中に納まったら靴底を手で押し上げ、完全に履いた状態である事を確認した後に、留め金具を締めた。
「騎士様、申し訳がありません」
「いいえ、以前仕えていた方が靴の収集人でして、このようなことは慣れております故」
落ち着いた様子で「慣れております故」と格好つけて言ったが、内心は穏やかでは無かった。幼い少女の靴を履くお手伝いをするのと、若いお嬢さんの靴を履かせるお手伝いは訳が違う。細い足首を掴んだ途端怒られるのでは?とか、妙に緊張してしまったのは、普段近づかないような距離に居るからか、とにかく、無事に履かせることが出来て一安心する。
そしてもう片方も何とか履いて貰い、フロース様は立ち上がって履き心地を確かめる為に歩き回っていた。今まで履いていた靴と同じ白い革で作られた品は、手触りの良い滑らかな素材が使われている。一つ一つ客に合わせて手作りしているという靴はフロース様の足元を一層美しいものにしていた。
「フロースお嬢様、履いた感じは如何でしょうか?」
「え? ええ、そうね。足を入れた時に履き難さは感じたけれど、窮屈な感じはしないし、履き心地はとってもいいわ」
「左様でしたか、革製品なので何回かは履き難さ感じるかもしれませんね。他に気になる点はありますでしょうか?」
「いいえ、大丈夫よ」
フロース様は新しく出来た靴を履いて帰ると言い、今まで履いていた靴は定期点検をお願いしていた。
店を後にする前にフロース様は馬車の前で家は何処にあるのかと訊ねる。
「ここから西の方角にある住宅街です」
「そう」
公爵家までは近くに居る護衛を呼び寄せるので不要らしく、先に家まで送るからと言ってくれた。
「この後市場に寄ろうと思っていたのでここで大丈夫です」
市場はここから歩いて十分ほどの場所にある。散歩がてらに移動するのも悪くないだろう。
「そう、市場…何を買うの?」
「朝食を」
「…そう。あなた、きいていて?」
フロース様は何故か御者に市場に行くよう命じ、軽やかな動きで馬車に乗り込んだ。
「ーー何をしているの? 早くお乗りなさいな」
…優しい姫君は市場まで送るから馬車に乗れと言ってくれた。その申し出をありがたく受け取り、馬車へと乗り込む。
市場に到着すると窓の外からでも人で溢れているのが分かる。昨日帝国からの船が到着したからだろうか、いつもより混み合っているように見えた。
お礼を言って馬車から降りて振り返ると、何故かフロース様がすぐ傍に居た。わざわざ降りて見送りをしてくれるのか?そんな風に考えていると、フロース様から衝撃の発表が言い渡される。
「私も市場を見て帰るわ」
な 、 な ん だ っ て ?
白いモコモコな格好をした妖精さんは俺に付いて行くと言っている。ここは何も面白いものは無い。ただ食材や食事が安価で買えるだけの、人ごみが煩わしい場所だと思っている。フロース様みたいなお嬢様が興味を引く品などは置いて無いし、こんな綺麗な人が歩いていたら不躾な視線にも晒されてしまうだろう。そういう理由もあって同行を拒否させて貰った。
「申し訳ありません、ここは治安も良くない場所ですし、ご同行はご遠慮いただけますか?」
「なんですって?」
「その…若い女性が見て面白いものは、何も」
「あなた護衛でしょ? 私の事を護れないって言うのかしら?」
「いえ、そういう問題ではなくて」
「ラウルスが前に市場は面白いって言っていたの。一度でいいから来てみたいって思っていたのよね」
ラ ウ ル ス 、 お 前 か ! !
フロース様に要らぬことを友人は吹き込んでいたらしい。
新人時代、食堂の食事だけでは足りなかった育ち盛りの俺とラウルスは、夜勤明けの日は市場に繰り出して食べ歩きをしていた。その思い出をフロース様に面白おかしく語ったのだろう。全く余計な話をしてくれたものだ。
「……」
「さあ、行くわよ」
「!!」
スタスタと前を通り過ぎて行ったフロースの後を、慌てて追いかけることとなった。
王都の朝市は早朝から昼過ぎまで行なわれている。給料日の後や輸入品の乗った船などが着いた次の日などはいつもより賑わいを見せ、沢山の人でごった返す。
隣にいるフロース様は布を売る商店を珍しそうに眺め、時より前を見ないで歩く人を迷惑そうに避けながら歩いていた。
大通りには食品を売る商店が並んでいる。今まで歩いていた雑貨類を扱う商店よりもさらに多い人達が行き交っている。本当に行くのかとフロース様を見れば「何呆っとしているのよ!」と怒られてしまった。
人を掻き分けるように食品が並ぶ道へと入り、先へ進む。後ろにいるフロース様は大丈夫だろうかと振り返れば、麗しの姫君の姿は無かった。焦った俺は周囲を見渡すが、人込みの中に白いモコモコ姿は見当たらない。さらに遠くを見れば、あっさりと見つけることが出来た。フロース様はまだ食品街へ入っておらず、雑貨街との境目でどうやって入ればいいのかと首を傾げている所だった。
急いでフロース様の元まで戻った俺は、無事な姿を近くで確認出来て安堵する。
「…やっぱり、帰りましょう」
「どうして?」
「このような人込みを見て、先に進みたいと思いますか?」
「勿論よ! こんな人だかり程度で逃げ出す訳が無いわ」
「いえ、しかし……!! 危ない!!」
フロース様の真後ろから前が見えないほどに荷物を積んだ押し車が迫ってきていた。急いでフロース様の肩を自分の方へと引き寄せ、回避させる。被っていた帽子がふわりと宙を舞い、地面へと落ちて行った。
いきなり現れた荷車に驚いたのか、フロース様は肩を震わせ、息を呑んでいた。帽子を拾って安全な路地の隙間にフロース様の体を押し込み、怪我が無いか確認を取る。
「ーー姫?」
「!!」
フロース様は荷台を押していた男への怒りなのか、はたまた突如降りかかってきた厄災に驚いていたのか、頬を真っ赤に染めたまま俯いていた。姫、と呼んで帽子を差し出すとハッと我に返ったように顔を上げるが、フロース様は目が合うと首を全力で横に向ける。
「帰りましょう。ここは危険です」
「…嫌」
…嫌じゃなくて。どうしてこう意地っ張りなのか、このお姫様は。恐らくどれだけ止めても先へ進むと言って聞かないのだろう。ここで俺は一つの妥協案を出す。
「では、私の服か腕に掴まっていただけますか? 先ほどのようにはぐれてしまってはお守りすることが出来ませんので」
「!!」
「無理だというのなら、私はこのまま帰らせていただきます」
「……」
気位の高いお姫様が、普段部下に舐められている騎士にしがみ付くのは屈辱だろう。さあ、帰ろうかフロース様!!…と踵を返して雑貨街へ出ようとすれば、背後に居たフロース様が俺の外套を軽く掴んでいた。
「……先に進みましょう」
ーーどうやら意地でも市場を見て回りたいらしい。出掛かったため息を呑み込んで、先へと進むことにした。
野菜に魚介類、肉やパンに果物など様々な商店が軒を連ね、沢山の荷物を背負った商人や、山ほど買った品を持ち歩く買い物客に、先にある飲食街で買ったものを器用に食べながら歩く者など多様な人達が往来しており、フロース様が歩きやすいように人を避けつつ石畳の道を歩いていく。
綺麗に積み上げられた朝露のついた新鮮な野菜や、剥き出しの状態で並べられた血が付着したままの肉、焼きたてを店から持って来たパンは香ばしい香りを放ち、今朝獲れたばかりの魚はビチビチと動いている。そんないつもの市場の姿をフロースさまは面白そうに眺めている。彼女にとっては物珍しい光景なのだろう。
ズンズンと前方から突き進んで来るオッサンから護るようにフロース様を引き寄せ、その身を安全な場所へと移す。このような場面は何回も起こっていた。朝の忙しさは人を盲目にして狂われるのだろうなと考えながら先へと進む。
「ーーねえ、どうしてあなたはこんな大変な思いをしてまで、ここで食事を摂ろうと考えるのかしら?」
「それはここでの食事が安くて美味しいからですよ」
俺だっていつもは人通りが特に多い食品街は避けて通る。別の道から行けば直接飲食街へと行けるのだ。
「?? 前にラウルスは食事は外で食べるよりも自分で作った方が安いと言っていたんだけど?」
「そうですね、しかしそれは人数が多い場合の話です。あれを見てください」
俺は近くにあった野菜を売る商店に並んでいる野菜を指差した。商品の近くにある値段を書かれた看板には【一個:銅貨一枚 五個:銅貨四枚】と記されている。
「このように品物は単体で購入するよりも複数で購入する方が安いんです」
いくら安いからとまとめて食材を購入すれば腐らせてしまうのは目に見えている。例えばスープを鍋に作るのに野菜や肉、香辛料などを買い込む。勿論スープでは腹は満たされないのでパンを買い、ついでにつまみなんかも、と目に付いた食材を買えばあっという間に食堂で定食が三食以上頼める金額に達してしまう。なので俺は誘惑の多いこの食品街には週に一度位しか近づかないのだ。
「……ふうん。そうなの」
「……」
散々説明を終えてから、本心に返る。このような借金を抱えた男の節約話など面白い訳が無い。
「す、すみません、こんなつまらない話を……」
「いいえ、そんなことはないわ。以前ラウルスにね、どうして家で作った方が安いのって聞いたんだけど、『世界はそのように出来ている』って言って誤魔化されたのよ」
ラウルスらしい言い逃れだと思った。あいつは小難しい事を考えるのが苦手で、いつも本能の赴くままに生きているのだ。
その後もフロース様の質問に答えつつ、雑踏をかき分けながら歩み進めた。
ようやく飲食街へとたどり着く。
人通りは食品街ほどでは無いものの、沢山の客で賑わっている。食事をする机と椅子も設けられ、購入した物をそこで食べれるようにもなっていた。
大鍋で作られた猪肉と根菜のスープや、薄く焼いた皮に炙った肉とシャキシャキの野菜を巻いた食べ物、骨付きの肉に香辛料をかけて焼いたものに、串に刺さった団子は甘い蜜がたっぷりと塗られている状態で並べられ、砂糖と牛乳を染み込ませて焼いたパンは樹液を煮詰めて作った琥珀色の糖蜜をかけて売られている。
フロース様が普段口にしているようなお上品な料理は売っていない。どれを買えばいいのか迷ってしまう。近くで屋台のオッサンが「揚げたてだよおー!!」と大声をあげて、思わず注目してしまった。そこは揚げ菓子の店で、小麦粉に砂糖と牛乳を入れて練って揚げたものに白い粉砂糖をまぶしたお菓子が積み上がっている。
「あれが食べたいの?」
「え?」
俺の返事を聞く前にフロース様は財布を取り出して、店主に注文をしていた。
「二つで銅貨一枚だよ」
フロース様は財布から取り出したお金を店主へと差し出す。その行動を止めようと近づいたが、店主は驚いたような顔で首を振りはじめた。
「ーー?」
「お嬢さん、そのお金ではおつりが出せないから中央にある両替する場所で細かくしてから来てくれるかい?」
「だったらおつりは要らな…」
「うわあ!」
あろうことか、フロース様は金貨を店主に差し出していた。しかも普通の金貨ではなく、価値が普通の金貨の三倍はある、あまり流通していない【アルレア金貨】だった。貨幣の収集家の間ではかなりの高値で取引されているという噂も聞いた事がある。そんな大金のおつりが要らないなんて大変なことだ。
「す、すみません!!」
俺はフロース様の差し出す金貨を奪い取り、自分の財布からお金を取り出して清算を済ませる。商品を受け取って外套のポケットに入れるとフロース様を連れてそそくさとその場から去った。
何か飲み物でも、と周囲を見渡して言うと背後から聞いた事のある声で呼びとめられた。
「あれ? 隊長じゃないですか?」
あの声は同じ親衛隊員のレイク・アンダーベルのものだ。あいつは三度の飯よりも噂話が大好きで、彼にかかればちょっとした出来事も、尾鰭をつけて盛大に行き渡るという話を聞いた事があった。
市場の近くには歓楽街と宿屋が並び、夜遊びをした騎士は朝市で食事を買ってから出勤する、という道筋が決まっていた。
このままではフロース様が危ない。レイクに発見されれば俺とフロース様が出来ているという噂が流れてしまうだろう。
「ーーすみません、走ります」
姫君の名誉を守る為にフロース様の手を握ってその場から逃走した。
「あれ? 隊長ー、隊長でしょー!?」
声の大きさから距離はそれなりに離れていたので、人込みに紛れて逃げ切ることに成功した。近くの公園の長椅子にフロース様を座らせて、とりあえずは安心をする。
「はあ、はあ…一体なんなのよ、急に、走ったりして」
「申し訳ありませんでした。騎士隊の知り合いが居まして、噂好きの者で誤解されてはと思い、このような行動を取ってしまいました」
「ど、どうして? 本当の事を、言えばいいじゃない」
「ですが、言ったとしても市場に姫と居たという事実は無粋な噂の種となるでしょう」
「そうなの?」
「はい。……足は痛くありませんか?」
買ったばかりの革の靴で走ったので怪我でもしてないものか心配になる。
「いいえ、大丈夫よ」
しゃがみ込んでフロース様の足元を見れば、新品の白い靴は煤のようなもので汚れていた。
「気になさらなくて結構よ。帰ったら使用人に磨いて貰うわ」
「申し訳ありません」
「あなたも座ったら?」
「いえ、それは」
「座りなさい」
「……はい」
命令口調で椅子を勧められ、仕方無しに隣に腰掛けた。そして手の中に握ったままになっていた金貨を返す。
「あの…これ」
「ああ、ごめんなさいね、金貨しか持っていなくて」
「いえ、その」
「何よ。もごもごしてないではっきり仰って」
「その金貨は…平均的な騎士一ヶ月の給料と同じ価値があります」
「え? 嘘でしょう?」
「本当です。それにその【アルレア金貨】は大変貴重な貨幣とされています。質に入れれば金貨の価値以上の大金が手に入るでしょう。……なので、あまりこのように持ち歩くのはよろしくない様に思います」
「……なんて、事なの」
「全て事実です」
騎士達が派手な生活をしているように見えるのは貴族だからで、騎士としての収入は高いものではない。勿論貴族の金銭感覚でのことだが。街で働く人達のほとんどの収入が、騎士の三分の一以下だと聞く。庶民感覚で普通に暮らしていけば十分過ぎる給金だ。
それにしてもフロース様とは住んでいる世界が違うという事を、まざまざと見せつけられてしまった。
公園の前に公爵家の馬車がやって来て、こちらの様子を窺っている。
「ーー迎えが来たようですね」
店で買ったお菓子は食べるかと聞けば首を振って断られた。
腑に落ちない様子のフロース様の手を取って馬車までお連れすると、別れの言葉を残して馬車は走り出す。
そこから徒歩で家まで帰り、従騎士の手によって先に家に着いていた馬のラウルスが勝ち誇ったように俺を見下ろしているのを、ため息をついてほどよくあしらい、馬小屋を綺麗にした後に部屋の中へと戻る事となった。