27
休憩室で一人になると、後悔が押し寄せてくる。魔術を使った事はやはりズルをして勝ったみたいであまり気分は良くない。しかもその魔術も自分だけの力で発動したものでは無く、魔剣の力が大半だ。あの剣で放つ魔術は炎の先天属性と多少の魔力を持つ者なら誰にでも使える代物だ。本来ならば俺のような庶民が持てる物では無く、製作者であるラウルスの叔父が手の開いている時間の暇つぶしに作った品で、使える人が居ないからと譲ってくれたのだとラウルスは話していた。
前に一度礼を言いにその叔父さん、キリッシュ・ハリエーシュ殿とも会ったことがあるが、ラウルス同様にかなりのド天然の変わり者だった。あそこの家はそういう血筋なのかもしれない。
いつまでも落ち込んでいては次の試合に集中出来ないと心を入れ替える。
汗をかいていたので戦闘衣の下に着ていたシャツを脱ぎ、軽く体を拭いていると、勢い良く休憩室の扉が開かれた。
「失礼。ちょっといいかし、きゃあ!」
「どうした、フロース!! ん? どうしたのだ、フロース?」
「……」
訪問を知らせる合図も無く現れたのは、フロース様とその番犬だ。フロース様の悲鳴を聞いて部屋の入ってきたラウルスは、異変が無いかキョロキョロと周囲を見渡しているが、叫び声をあげた原因が分からないようで首を傾げている。
とりあえず急いで新しいシャツを着て上着を羽織ると、フロース様に椅子を勧めた。
「……よろしければそちらの椅子に座ってください」
「あ、ありがとう」
「……」
「……」
このお方は一体何をしに来たのか。そもそも貴賓席から離れても大丈夫なのか?
「今はあなた達が抉った地面を綺麗にしているの。だから試合は行っていないわ」
心の声が聞こえてしまったのかと驚いてしまった。フロース様が現状を話し始めたのは、偶然だろうが。
「それで…」
珍しく煮え切らない態度のフロース様を不思議に思う。聞きたいことがあれば何でも答えるのだが。
「イグニス、君は開会式や試合が終わった後、誰に手を振っていたのだ?」
「!」
「はあ?」
「待ってラウルス!」
「フロース、もじもじしていたら次の試合が始まってしまうぞ」
「……ええ、でも」
「時間が無い!! もう一度聞こう、にやにやしながら誰に手を振っていた?」
「にやにやとは失礼な。…手を振っていたのは隣の家の子にだが」
「隣の家の娘にですって!?」
フロース様は机を叩いて立ち上がり、こちらに迫って来る。
「あなた、私が手を振ったのは無視した癖に、隣の娘には手を振っていたって言うの!?」
「お、王族の方が公の場で個人に対して手を振るのはどうかと…」
「なんですって!?」
「いえ、なんでも…」
やはりフロース様はこちらに向かって手を振っていたのだ。で、無視した形になってしまったから、あのように怒った表情になったと。
「その娘とはどういう関係なのよ」
「どういうって…」
某八歳児はお友達なのだろうか。休日は八歳の男の子に遊んでもらう三十代とか少し恥ずかしいような気がする。
「言えないような関係なのかしら?」
「いえ、休みの日に庭弄りを手伝って貰ったり、遠乗りに出かけたり、たまに食事を持ってきてくれたり、何というか、家族ぐるみのお付き合いを」
「お付き合い!?」
先ほどからフロース様の顔がどんどん引きつっているように見えるのだが、一体どうしたものか。そもそもこの質問をする為にわざわざ短い時間を使って来た事も謎だ。
「お、落ち着け、フロース!! イグニス、君の想い人はフロースよりも美人なのか!?」
「お前は何を言っているんだ。想い人とか意味が分からん。それに八歳の子供に美人も何も無い」
「は?」
「え?」
フロース様の背中を撫でていたラウルスの動きがピタリと止まる。その表情は驚愕に染まり、信じられないものを見たかのような視線を向けられる。
「…なんだ、君は、近所の子供に手を振っていたのか?」
「そうだと言っている」
「女子か?」
「男だよ」
「…だそうだ、フロース」
「……そ、そうなの」
もしかしてフロース様が手を振ったのは無視をしたのに、他の女性には手を振る軽薄男に思われていたのだろうか。だとすれば、この機会に弁解出来て良かったと思う。俺はフロース様一筋だ。他の女性になど目が移る訳が無い。
「あの、ごめんなさいね、変なことを聞いて」
「別に構いませんよ」
「本当にごめんなさい。でも、良かったわ」
「ああ、そうだな! イグニスも寂しい独り身だという訳だ。これで安心だな、フロース!」
「ラウルス、お前も寂しい独り身だろうが」
「ん? 何か余計なお世話的な突っ込みが聞こえたが、気のせいだろうな。――さあ、席に戻ろうか!」
「そうね。それではごきげんよう」
「ごきげんようだ、イグニス!!」
「……」
嵐が過ぎ去ったとはこういう現象を言うのだろう。静かになった部屋の中で、軽食を食べながら次の出番を待った。
◇◇◇
一時間ほど待機した後に次の試合だからと案内人に呼ばれる。本選のみ対戦相手は事前まで隠されていた。次の相手は誰だろうか。出来れば知り合いじゃない方がいい。
戦闘場へ繋がる出入り口付近に置かれた椅子に座りながら、神経を集中させる。
「パルウァエ卿、出番ですよ」
集中する時間もあまり無いまま呼ばれてしまう。結局頭の中を真っ白には出来なかった。そんな中で脳裏に浮かぶのは、珍しくもじもじしていたフロース様の表情だ。いつもは不機嫌な表情を崩さないのに、照れているような、何かに遠慮をしているような顔はとても可愛かった。
…いやいや。可愛かった、じゃねえよ。駄目だ。頭の中は雑念だらけで、集中の欠片も出来ていない。こんなんじゃ果敢無い結果に終わってしまう。集中だ、集中!!
「第七親衛隊所属、イグニス・パルウァエ」
「はい!!」
集中出来ていないが、せめて元気良く出てみる事にした。歓声で消し飛んでしまったけれど。
「対するは第一親衛隊所属、アンストレア・ジャイヴァー」
どこからか年嵩の女性達の黄色い声援が聞こえる。
「よろしくね、イグニス君」
…対戦相手はまたもや知り合いだった。
アンストレア・ジャイヴァー。セレスタイト王太子様の親衛隊長で、前王様の近衛軍にも所属していた事のある実力者だ。
数ヶ月前にジャイヴァー隊長の娘の婿にならないかと話を聞かされ、考えておきますと適当に話を濁したままになっていたのを思い出す。
「しばらく見ないうちに痩せたねえ、きちんと食べている?」
「大丈夫です」
しばらく、と言っても半月まえには定例会議で顔を合わせていたので、そこからさらに痩せたとでも言うのだろうか。この日の為に走りこみをしたり、素振りをしたりなどをしていたので、もしかしたら体重も減ってしまったのかもしれない。
「それはそうとリリシアナとの結婚の話考えてくれた?」
「いえ、その…」
「じゃあ、こうしよう。僕が勝ったらリリシアナと結婚して欲しい」
「は? なんですか、それ」
暢気に会話をしていると、試合開始を告げる爆音が会場に響き渡っていた。
「つべこべ言わずに婿に来い~~!!」
「え、待っ、ちょ」
慌てて剣を抜くも、ジャイヴァー隊長は既に眼前に居る。他の人と違って始めからあまり距離を取っていなかったのが裏目に出た。
――このオッサン、めちゃくちゃ強い。
本選に残っている位だから当たり前だが、隙の無い防御と力強い攻撃のお陰でこちらが反撃をする機械を与えない。
「もう君しか居ないんだ~~!! 結婚してくれ~~」
「娘さんの名前が抜けています!!」
よほど娘の結婚について切羽詰まっているのか、いつもの紳士的な姿とは程遠い、我を失ったかのようにガンガン攻めてくる。いや、普段の戦闘の型を知らないだけで、これがジャイヴァー隊長の戦い方なのかもしれないが。
「リリシアナはいい子なんだよおおお」
「……」
ジャイヴァー隊長はついに泣き出してしまった。剣を掲げながら号泣しつつ迫って来る姿は恐怖だ。しかも泣いていても強さはそのままだった。
王太子様が今のジャイヴァー隊長を見たら嘆く事だろう。家族とか、それこそ大切なリリシアナちゃんも見に来ているのではないのか。
「ジャイヴァー隊長、ご家族は、いらっしゃっているのですか?」
「誰一人来ていない」
「……」
どうやら間違って聞いてはいけない事を聞いてしまったようだ。剣を振る力が今まで以上に重くなる。続け様に打たれる剣を受けつつ、どこかにある筈の隙を探す。そういえば、さっきメイリーと戦った時に、地面が凹んでいる所があった事を思い出す。そこは泥に埋まっているので、一見変わっているようには見えない。
ジャイヴァー隊長と剣を交わしながら、その場所へ誘導する。
「ジャイヴァー隊長」
「……」
「……です」
「え? 聞こえなかっ……!!」
何とかその付近までの誘導に成功し、残っている力を振り絞ってジャイヴァー隊長の剣を払い、間合いを詰めて剣を振り上げる。隊長は何かこちらに策があると思い込んで、一歩下がり防御の格好を取ろうとしたが、足を引いた先の地面が凹んでいて、一気に体勢を崩す。
泥濘に足元を取られ、後方へと重心が移ったのでそのまま押し倒し、馬乗りになって剣を喉元突きつけた。
「そこまで!」
一回目に続き、二回目もなんだかセコイ勝ち方をしてしまった。どこからか女性からの罵声が聞こえる。ジャイヴァー隊長の個人的な親衛隊だろうか。泥の上に寝そべったままになっている隊長に手を貸して引っ張り上げ、泥だらけにしてしまったことを謝罪するも、抜け殻状態で会話にならなかった。
会場を後にしようと振り返ると、貴賓席に居るフロース様と目が合ってしまった。
ラウルスがフロース様の後ろで何かをしている。両手を振ってこちらを指差し、また手を振る。…もしかして、フロース様に手を振れと言いたいのか?そんな恥ずかしいことを、と思ったが、今度は頭を下げだしたので、仕方がないとヤケクソ気味にぶんぶんと手を振る。
するとフロース様は膝に重ねていた手を少しあげて振り返してくれた。やはり手を振り合うという行為は死ぬほど恥ずかしい。でも、フロース様が笑ってくれたような気がして、やって良かったと考えを改めた。
ここでアセスに手を振るとまた怒られてしまいそうなので、そのまま走って出入り口へと帰った。
次の戦いは準決勝だと案内のお姉さんが教えてくれた。あまりにも早くないかと思っていたら、次に戦う予定だった一人が体調不良で棄権をしたらしい。
次は知り合いじゃない方がいい。初めましての人と戦いたい。そう祈りを込めたのに、神様は願いを叶えてくれなかった。
「第七親衛隊所属、イグニス・パルウァエ!」
準決勝は二時間ほど待機をした後に始まった。勿論対戦相手は知らされていない。
出入り口から現れたのは、なんと仮面の兄ちゃんだった。向こうも気が付いたようで、どうも、どうもと軽く会釈すれば、兄ちゃんも深々と頭を下げてくれた。そんなに丁寧にお辞儀をしてくれるとは思わずに、適当に挨拶をしてしまった自分を恥ずかしく思う。
兄ちゃんが出てくると、今までの中で一番の声援が上がる。人気者で羨ましい限りだ。彼はどこの騎士団の所属なのだろうか?そういう風に考えていた刹那、精霊教会の司祭によって相手方の名前が読み上げられる。
「特別参加枠、レグルス・ユースティティア公爵!!」
「は!?」
――公爵様!?あの、仮面の大人しいお兄ちゃんが、フロース様の兄君!?アルゲオ様の息子!?フェーミナ様の…ってもういいか。
『思わず引いてしまう位の根暗で、口下手で、友達が居なくて…』
フロース様のレグルス様がどんな方かを語った言葉が蘇る。…失礼だが、何となく仮面の兄ちゃんにも当て嵌まるように感じた。
対戦の開始を知らせる空砲が空に向かって撃たれた。剣を鞘から引き、前方の仮面の兄ちゃん改め、公爵様を見据えて構えたが、残念なことに、そこから先の記憶は抜け落ちて無くなっていた。
◇◇◇
瞼を開くとそこは先ほどまで居た青空の下では無く、白い天井が広がっていた。先刻まで剣を握って構えていたのに、何故寝台の上に居るのか。
「!?」
状況を確認する為に起き上がり、周囲を見渡すと、寝台のすぐ隣には銀の髪を持つ美女が座っていた。彼女は天使なのか!?だとすればここは天国なのかもしれない。
「頭大丈夫?」
思考を読んだのか、天使様は俺の頭が正常か心配をしてくれた。こんなに美人なのに親身になって気遣いをしてくれるなんて優しい御方だ。
「あなた、お兄様の攻撃を受けて失神をしてしまったのよ」
「……」
そう言えば体の各部がジンジンと痛む気がする。麗しの天使ことフロース様曰く、レグルス様といい勝負をしていたらしいが、相手方の決めの一手でぶっ飛ばされ、ごろごろと泥だらけになりながら、最終的に戦闘場を囲う壁に激突してそのまま動かなくなったという無残な散り際だったとか。
「本当に覚えていないの?」
「はい、全く記憶にございません」
「そう」
そして決勝戦はレグルス様と近衛軍総隊長との戦いだった。始めはレグルス様が押していて、誰もがその勝利を予想していたが、途中で仮面がずり落ち、元の位置に戻そうとしていた隙を突かれて破れてしまったという悲しい結果を教えてくれた。
「もう少ししたら閉会式なのよ」
「そうなんですね」
そこでフロース様の衣装が変わっている事に気が付く。髪はいつものように高い位置で一つに纏められ、体の線にぴったりと沿った純白のドレスをお召しになっている。この白いドレスのお陰で天使様に錯覚したのかもしれない。
「――綺麗なドレスですね」
「……」
フロース様の表情が険しくなる。ドレスだけ褒めたのが駄目だったのかもしれない。今日のフロース様も世界一美しい、そう伝えようとしたのに、先に話しかけられてしまった。
「ねえ」
「はい」
「私ね、今回の御前武道会で陛下に【聖剣の姫君】をするように言われているの」
【聖剣の姫君】とはアレだ!御前武道会の優勝者に祝福の口付けをするという大役を命じられる乙女の仕事だ。…そうか、今からフロース様は近衛軍の厳つい顔をした総隊長に口付けをしに行くのか。
「それでね」
「はい」
「お願いがあるの。聞いてくれる?」
「はい?」
「ーー祝福の口付けの練習に付き合ってくれないかしら?」
「は?」
祝福の口付けの練習って何をするんですか!?内容を、内容だけでも聞かせて下さい!!
喉まで出掛かった、食い付き過ぎの言葉を飲み込む。
「駄目ですよ。口付けは優勝者だけが受け取れる名誉なんですか…」
ギシリ、という寝台の上にフロース様が手をかけて軋んだ音が聞こえたかと思いきや、突然頬に柔らかくて暖かいものが押付けられた。
「!!」
フロース様がこちらに何の断りも無く、口付けをしていた。いきなりの事で動揺してしまい、身動き一つ出来ないまま、その行為を大人しく受けていた。
一体何のご褒美だろうか。心臓はドクドクと高鳴り、もしかすればこのまま破裂をしてしまうかもしれない、そんな勢いで伸び縮みをしている。
それに長い。口付けを始めてからもう三十秒以上は経っていると思う。サラサラとした銀の髪が首筋を撫で、全身に鳥肌が立つ。腕に胸とか当たっている気もする。これ以上はいけない。そんな風に思うのに、声は出ないし、体も動かない。どうしてだろうか、不思議な現象も起こるものである。それに顔も燃えるように熱い。どうにかなってしまいそうだった。
それからしばらく経って、外からラウルスの声が聞こえ、フロース様は唇を離し、耳元で何かを囁いて行ったが、声が小さすぎて何を言ったのか分からなかった。
しばらく呆然としていると、部屋の戸が叩かれ、魔術師団の女性が入ってきた。彼女は治療部隊の隊長で、レグルス様に痛めつけられた体の手当てもしてくれたと言う。
「元気そうなら閉会式を特等席で見てくるといいわ」
そう言って手渡されたのは、騎士服だった。パライバ殿下の護衛任務に就けということらしい。
「鏡できちんと身なりを整えてから行くのよ」
「…?」
何当たり前の事を言っているのか?とそのときは思ったが、いざ準備を終えて全身鏡で自らの姿を確認すれば、彼女の言ったその意味を正しく理解することとなる。
――鏡に映った冴えない三十代男の頬には、くっきりと口紅の跡が付いていたのだ。