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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第三章【星から目を逸らした騎士】
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 休憩所の掃除を終え、壁に掛けられた時計を見れば就業時間まであと一時間もあった。どうやら早く出勤し過ぎていたらしい。掃除以外に特にする事が無いので暇だ。

 夜勤だったレイクは皆より一時間早く出勤していた為、早く勤務時間が終わったと自慢をしていた。が、掃除の邪魔だったので早く帰れと追い出してしまったのだ。こちらが早く来ていただけなのに、知らずに悪いことをしてしまったのかもしれない。居れば話し相手位になってくれたかもしれないのに、惜しい人をなくしたと後悔する。


 こうして手持ち無沙汰となってしまったので、時間潰しに王宮内にある書物室へ行くことにした。王族も利用するというこの場所は早朝にも関わらず、沢山の利用者が居る。制服を見る限り、そのほとんどが魔術師団の面々だという事が窺えた。

 とりあえず川魚の本でも見てみようと、生物の本が並ぶ棚へと歩いていった。


 本棚の中で見つけた書物は【楽しい川遊び】【ルティーナ大国に生息する魚】【食べてはいけない水棲生物】の三冊だ。ついでに御前武道会の歴史が書かれた本も借りる。休憩室で読みながら暇を潰すかと、本を脇に抱え歩いて行った。


「――だから、王族としての自覚がなっていないと言っていますのよ!」

「…自覚? 私は今侍女としてここで働いているの。王族としての自覚も何も無いに決まっているじゃない」

「その事自体も問題ですわ! 王族が王族に仕えるなんて」

「必要だと言われたから来ただけよ。別に他意は無いわ」


 曲がり角の先に姿は見えないが、初めて聞く女性の声とよく知っている女性の声が聞こえた。片方は、フロース様だ、間違いない。もう片方は誰だろうか。声からして若い少女だろうが。二人の声色からして不穏な雰囲気が漂っている。出来れば先の道は曲がらずに、このまま誰とも会わずに帰りたい。だがしかし、パライバ殿下の執務室や休憩室にはこの道を曲がらないとたどり着けないのだ。

 イヤな予感をビシビシと肌で覚えながら、通路を曲がる。すると対面上に居たフロース様と目が合い、「あ!」と指差された。

 フロース様に背後を指を差されて振り返った少女は、明るい金髪をくるくると縦に巻いた髪型をした十代半ば位の少女だ。…そのキツそうな外見の少女をどこかで見たことがある気がするが、思い出せない。


「そちらの御仁は一体誰ですの?」

「彼よ、さっき言った」

「さ、先ほどのお話は本当でしたの!?」


 フロース様がこちらに駆け寄り、本を持っていない方の腕にピタリとくっついて来た。突然の事で何が何やら、といった感じだが、何か事情があるようでフロース様は俺の背中に指先で素早く文字のようなものを書いて、何かを伝えようとしているが、残念ながら全く理解出来なかった。小さく首を振って背中に書かれた文字の内容が分からなかった旨をお伝えすると、フロース様は無言でにっこりと微笑む。沈黙の笑顔が怖いと思ったのは人生で初めてだった。


「…その人が、まさかフロースお姉さまの親衛隊長ですの?」

「そうよ、シトリン」

「……」


 何か今、凄い嘘が聞こえたような気がした。多分、多分だが、先ほど背中に書かれた文字は適当に話を合わせろ、とかそんな感じだろう。

 しかしながら親衛隊は仕える王族によって制服の色や形が違う。今着ている緑色の騎士服はパライバ殿下の親衛隊員という証だ。この場では誤魔化す事が出来ても、後々バレてしまうのではないのか?そもそも何故そのような嘘をつかなければいけなくなったのか。フロース様は体を密着させたまま腕を絡ませ、動揺をすることなく悠然とした様子でいる。視線の先の、フロース様が【シトリン】と呼んでいた少女は呆然としていた。どこかで見たことがあると思っていたこの御方は第十七王女様だった。確か年齢は十五歳位だろうか。十歳も年上のフロース様に喧嘩を売るとは度胸の据わっている姫君だ。


「フロースお姉さま、どうして常に護衛を付けていらっしゃらないの?」

「あら、私は護衛騎士を犬のように連れまわす趣味は無いのよ」

「な、なんですって!?」

「姫様、もう止めましょう、完全な負けですよ」

「!?」


 後ろで控えていた騎士が幼子を諭す様な口調でシトリン様に話しかける。山吹色の制服を着た騎士の年は、主人である姫君とそう変わらない位の少年だ。こちらに向かって会釈をすると、シトリン様の手を取ってこの場から去って行った。

 廊下に残された自分とフロース様は黙ってその後姿を見送り、姿が見えなくなると隣から腕に巻きついていた温もりが消え、代わりにため息が聞こえた。


「ごめんなさいね」

「いえ、でも一体何が…?」

「あの子がね、王族なのにこうして一人で歩いているのがおかしいって噛み付いて来たのよ。でも私は侍女としてここに来ているから、他の侍女同様に一人で行動するわ、って言えば、王族としての自覚が無いって怒り始めて。若い子の考えている事なんて理解に苦しむ時があるわ」


 その気持ちは良く分かる。若者の考えていることが理解出来ないというのは、現在、というか、今の瞬間にも自分が抱えている問題の一つだ。…毎日のように銀髪の姫君の一挙一動に振り回され、勘違いしたり動揺したりと日々頭を悩ませている。どうすれば分かるようになるのか、相談をする相手も居ぬまま疑問は宙に浮いた状態になっていた。


「ーー確かに私だって常に傍に居てくれる人が必要だと思う時もあるわ。でも騎士を連れている侍女なんて居ないじゃない」

「そうですね。でもあんな嘘を付いて大丈夫なんですか?」

「ええ。滅多に会わない子だから問題ないわ」

「……」

「ああいう喧嘩は勢いで圧倒した方が勝ちなの、内容なんてあって無いようなものなのよ」


 王族の中で護衛騎士を付けて居ないのは、現在公爵家の面々だけだとフロース様は言う。アルゲオ様はランドマルクに腕利きの護衛が居るからと断り、現公爵であるフロース様の兄君のレグルス様は王族そのものの資格を返上しているらしい。前王様の側妃であるフェーミナ様も公爵家の護衛を常に傍に控えているので、騎士は不要だと断っているとか。


「ーーしかし、形だけでも騎士を決めていた方がいいと思います」


 周囲の男共は隙あればフロース様に近付こうとしている。以前公務を行ってから、ますます親衛隊長の座を狙った奴等が接近して来ることが多くなったとフロース様は悩んでいた。いっそのこと相応しいと思う人を選んで、寄ってくる野郎共を牽制してもらってはどうかと提案してみる。


「そうね。でも、前にね、お願いしたけど断られてしまったのよ」

「そ、そんな失礼な輩が!? …一体誰が」

「あなたよ」

「……」


 ――そうでした。フロース様の魅力的過ぎるお誘いを、血涙でも流さんばかりの勢いでお断りしたのは自分でした。すっかり忘れていた事を、信じられないとばかりに深い緑の瞳に睨まれ、言葉を失ってしまう。


「もう一回お願いしようかしら」

「ーーッ!! それは、勘弁してください」

「なんですって!?」

「……」


 もう一度フロース様の、あの背筋がゾッとするような視線で、甘ったるいけれど棘のある声で、再び命令なんかされたら、カクカクと馬鹿みたいに簡単に頷いてしまうだろう。個人的な感情に流されて、そのような危ない橋を渡りたくない。危険な種は芽吹く前に掘り起こして捨てなければそのうち身を滅ぼしてしまうだろう。それに主人を変えた騎士なんて聞いたことが無い。とんだ浮気者だと後ろ指を差される様子がありありと想像出来た。


「場所を移動しませんか? ここは人の目が…」

「…いいから、ちょっとそこに跪きなさいよ」

「!?」


 …フロース様、ここ、廊下。沢山の人、こっち見ている。恥ずかしい、とても。


 さっきから通行人がこちらを訝しげな表情で見ながら通過しているのが気になっていた。平伏なら嫌がらずにやるが、ここでは人の邪魔になるし、唯でさえ何もしていないのに周囲からの視線が突き刺さるように感じていたのだ。


「ま、待ってください」

「この、私の言うことが聞けないと言うのかしら? それにあなた、自分がした誓いを忘れたとでも言うつもりなの?」

「……」


 あの日誓った言葉は一語一句たがわずに覚えている。


【姫の言葉を一番とし、いかなる状況の中でも、その願いを叶えることを誓います】


 この誓いこそが間違いの一歩だったのかもしれない。


「ねえ、何を考えているの?」

「何も。…戻りましょう。もうすぐ朝礼の時間です」

「それもそうね」


 フロース様は驚くほどあっさりと引き下がり、スタスタと先を歩き出した。


「そういえば、髪を切ったのね」

「…はい」


 朝からレイクに大笑いされたことを思い出して、少しだけ落ち込む。


「どうかしたの?」

「朝からレイクに若返ったと言われてしまって…」

「気にすること無いわ。髪はすぐに長くなるのだから」

「…はい」

「それに長ったらしくしている人よりずっとマシよ」

「ありがとうございます。…こんな、小さなことでいちいち悩む自分が恥ずかしいです」

「…そうね。世の中、些細な出来事は気にしたら負けなのよ。覚えておいたらいいわ」

「…はい、胸の中に、そのお言葉を刻んでおきます」


 また、髪の毛の事でフロース様に励まされてしまった。


◇◇◇


 いつも通りに訓練を終え、食堂で夕食を食べてから帰宅をする。

 馬小屋にラウルスを入れ、フロイラインの馬房を覗き込むと銀色のお嬢様と目が合った。綺麗に切り揃えられた前髪を軽く撫でると、短くヒンと高い声で嘶いた。最近は慣れてくれたのか、噛み付かれる事も無く、それ所か甘えるように頭や鼻先をすり寄せてくることもある。仕事から帰ってきた時だけに限定するが。一人でのお留守番が寂しいのだろうか。ラウルスと一緒に連れて行っても大丈夫か今度厩舎担当に聞いてみよう。


 風呂に入ったあとは借りてきた本を読み始めた。


 【楽しい川遊び】

 楽しい楽しい川遊びの本だ。…なんで朝これを借りようと思ったのかは謎だ。葉っぱで作る船の作り方だったり、水切り(平らな石を水平方向に投げて、水の上を石が跳ねるのを楽しむ遊びだ)のコツだったり、石をひっくり返して生き物を探したりと様々な遊びが記されていた。どれも大人が一人でするには寂しいものだろう。というかこれは子供向けの本だ。


 【ルティーナ大国に生息する魚】

 本の中身はほとんどが海に生息する魚ばかりだった。残念ながら昨日食べた魚は入っていなかった。


【食べてはいけない水棲生物】

 ――あった。昨日食し、今日一日苦しめてくれた、あの憎き魚が。

 昨日釣った【エンタンチョウ】という名前の川魚は、毒性は無いが、人間には消化の出来ない物質が含まれているらしく、食すと胃もたれ・腹痛を引き起こす場合があると記されていた。初心者の釣り人は【ミレンケール】という川魚によく似ているので間違えて食べてしまうのでよく確認するようにと、赤文字で注意書きが書かれている。他にも食べるとたちまち笑いが止まらなくなる魚や、顎にある棘が刺さっただけで痒みが止まらなくなるが、食べれば美味しい魚など、数々の水棲生物の一覧が、毒々しく描かれた絵と共に解説されている。夢に出てきそうな怖ろしい生き物ばかりだった。


【御前武道会の歴史】

今日借りた本の中で一番ぶ厚いものだ。大会の始まりから歴代の聖剣の姫君の名前など、びっしりと文字だけが記されている。読み進めているとうっかり眠気をさそってしまうような内容だ。しかし途中にあった【聖剣の姫君】の話はなかなか興味深いものだった。

 【聖剣の姫君】とは、御前武道会の優勝した証である、魔技工士の作った剣を渡す役目を担う王族の姫の呼び名で、開催される年で一番美しい者に、その名誉たる役目が言い渡されるという。【聖剣の姫君】の選別方法は完全な国王陛下の趣味と独断によるものだとか。それに優勝すればその姫様から祝福の口付けが贈られるという素晴らしい特典もあると書かれている。ちなみに口付けする場所などは記載されていない。きちんと書いて欲しいものである。

他には過去の優勝者の絵姿が描かれた一覧があった。捲っても捲ってもオッサンしか居ない。たまに若い兄ちゃんも居るが、ほとんどがオッサンだ。三十頁にも及ぶオッサンの絵姿祭を耐え抜いた後は、どこぞの騎士のオッサンの剣を構えた姿が雄々しく描かれたものが何頁にも及び、途中で読み進めるのを投げ出した。何故このようなオッサン特化型の書物を作ったのか。歴代の聖剣の姫君を載せたほうが遥かに素晴らしいものとなるだろうに。

 …酒を飲みながら読んでいたのでまともに思考が働かず、いつの間にか目的も変わっていた。御前武道会の主役は出場するオッサン達だ。この本の作りに間違いは無い。


 そんな感じに訳が分からなくなりつつ、長椅子に横になって本を読んでいたら、いつの間にかその場所で眠りこけていた。硬い椅子の上での就寝が災いしてか体中が痛い。

 重たい体を引き摺りながら、掃除道具を持って馬小屋へと向かった。


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