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今日は午後から出かけるので、いつもの遠乗りはお休みだ。馬小屋の掃除と餌やりをして、パンと水という侘しい朝食を摂る。お茶位沸かせばいいのだが、一人しか居ないのにわざわざ火を起こしてお茶を淹れるのも面倒だと思ってしまう駄目人間だ。もしも自分の他に奥様でも居ればお茶でも何でも喜んで淹れるが、残念ながら四人掛けの机には自分一人しか座っていない。なんだか空しくなってきたので、残り半分となった黒いパンを口の中に全て放り込んで、生ぬるい水で無理矢理流し込んだ。
珍しく今日の予定はびっしりと埋まっている。今から散髪に行き、その後はマリンツさんの農園に馬の餌と藁を買いに出かけ、その後泉川の下見と釣りに行こうと思っている。床屋は朝早くからやっているので、今から行っても問題ないだろう。
起きた時に脱いだ寝巻きと朝から使ったタオルを外にある洗濯屋への依頼箱の中へ入れ、日差しを避けて商店街の方へと歩いていく。
商店街の端にある床屋は従騎士時代から通っている店だ。ここ数年で新しい店も何件か出来たが、なんとなく通い慣れたこの店に足が向いてしまう。
店内には髪を切る理容椅子が一個あるだけで、大きな鏡も無ければ髪の毛を洗う場所も無い。本当に髪を切るだけの場所だ。店主も商売っ気が無く、大抵客の座る待合室の長椅子で寝ているか、近所の本屋で立ち読みをしているかのどちらかだ。
店の扉を開けると、カランカランと出入り口に付けられた鐘の音が鳴り響くが、案の定、店主は長椅子の上で眠りこけている。そんな店主を叩き起こし、髪を切るようお願いをした。
来月はとうとう御前武道大会だ。参加者に配られた書類には当日は身奇麗な格好で来るようにと記されていた。服装はいつもの騎士服で参加するので身なりは問題ないと思っている。後は少しだけ伸びた髪でも切ろうかと、やる気の無い店主の居る床屋まで来た次第だ。
「いつも通りでいいの?」
「ああ、頼む」
体全体を覆う布を被せられ、散髪が始まる。親衛隊の連中は髪を伸ばしている奴が多い。結ぶ位まで長くなくても、肩に付くか付かないかの位置まで伸ばしていたり、長く伸ばしている者は三つ編みにしたり、一つに結んだりと女性に勝るとも劣らないお手入れをしているのだという。
遠征部隊に居た時の任務中などは、お風呂なんて入らない日が何日も続く事もあったし、髪まで泥だらけになる日もあったので、一度も伸ばそうと思ったことは無い。…伸ばしたとしても似合わないだろうという事実も重々承知だ。
チョキチョキと規則的な髪を切る音が眠気を誘う。店内は蒸し暑くて快適とは言えなかったが、今日も仕事がある日と同じ位の時間に目が覚めたので、満足な睡眠が取れていないのかもしれない。何度か睡眠欲に抗う事が出来ずに船を漕ぎかけていたが、その度に店主に頭を元の位置に戻されてしまう。
もうそろそろ終わりだろうかと店内の時計を見てみれば、三十分ほど経過していた。今日はエラい時間をかけるなと思い、前髪を切っていた店主の顔を見れば、即座に目を逸らされてしまった。
「どうした?」
「いや…」
気まずそうな表情の店主は、手鏡が無いか道具入れを探っている。一体何に気が付いたのだろうか?…まさか極端に髪の毛が薄くなっている箇所があったとか!?
ちなみに爺さんは頭のてっぺんから禿げ、親父は前髪から禿げ出したという。二人とも禿げ方が違うので、自分は一体どこから禿げるのだろうかと心配していた。
店主が差し出した手鏡で、念のため頭のてっぺんから確認する。…大丈夫、まだ禿げていない。頭の後ろを自分で見るにはどうすればいいのか。合わせ鏡にすれば見えるかと思いついたが、鏡は一枚しか無いと店主に言われてしまった。こうなれば、勇気を出して店主に「私の後頭部、禿げていませんかね?」と聞くしか無いのか!?
とりあえず後頭部は後回しにして、前の確認をした。
「……」
「今日のお代はイイヨ?」
「おい!」
「ん?」
すっ呆けた態度の店主に手鏡を押し付ける。
「不審な態度をしていたのはこういう事か!?」
「ごめ~ん」
店主が切りそろえてくれた髪型はいつも以上に短いものだった。今まで頼んでいた髪型は、眉に前髪が届くか届かないか位のものだったのに、鏡で確認した髪型は額が剥き出しになっている。全体的に見てもかなり短くなっていて、中指の第二関節と同じ位だった髪の長さが、その半分以下まで短くなっていた。相変わらず癖のある毛髪は、規模が少なくなっても跳ね広がっているが。
前髪を後ろに撫で付けておでこを剥き出しにしている紳士的な騎士は居るが、髪を短く切っておでこを剥き出しにしている騎士は親衛隊の中では自分一人だろう。これじゃまるで近所の悪ガキが母ちゃんに無理矢理切られた髪型と同じだ。全くどうしてくれるのか。
「来月御前武道会なのに…こんな恥ずかしい髪型にしやがって!!」
「ええ、出るの!?」
「……」
しつこく御前武道会について聞いてくる店主を無視して、出入り口にある台の上に散髪代を置いて、親衛隊の総隊長から貰った予選会の入場券を置いて帰った。
店から出ると店内から「やったー!!」という叫び声が聞こえた。よほど入場券が嬉しかったのか一人で大騒ぎをしている。そういえばレイクが今年も入場券は即日完売だと言っていた。もしかすれば、店主は入手に失敗をしたのかもしれない。本選ではなく、予選会の入場券なので早合点をさせてはいけないと思って、外から予選会の入場券だと教えてやる。それでも大騒ぎが収まることはなかった。
その後はマリンツさんの農園に行って藁と餌を購入する。なんでも間違って多く注文をしてしまい、山のようにあるから貰いに来てくれと言われたのだ。しかし流石にタダで貰うのは悪いと思ったので、お金を支払いたいと申し出たが、市場で買う半値ほどの金額しか受け取ってもらえなかった。
それでは申し訳ないと思い、農作業を少しだけ手伝って、本来の目的である釣りに使う虫を探すことにした。その辺の地面を少し掘るだけで、魚の餌となる虫を捕まえることが出来た。それを持って来ていた缶の中へ入れ、藁と餌を積んだマリンツさんに借りた馬車に乗って自宅へと戻る。馬車を引く馬もマリンツさんのものだ。荷車を引かない我が家の馬事情を知っていて貸してくれたのだ。
自宅へと荷物を運び込み、マリンツさんの家に馬と馬車を置きに行って、そのままラウルスを連れて泉川に出かける。出かけ際にフロイラインも行きたそうな様子を見せたので、馬で三時間掛かる川に行くのは今度にしようと決め、白銀のお馬さんも連れて行く事にした。
フロイラインの手綱も引いていたので、到着までに一時間も掛かってしまった。数年振りに来たが、風景などは何も変わっていない美しい場所だった。
川の水は澄んでいるが、前に飲んだときにお腹を壊してしまったので見て楽しむだけにしておく。
早速釣りの用意を始めるが、後ろに居た筈のお馬さん達はいつの間にか走ってどこかへと行ってしまったようだ。周囲は慣れない森の中なのでそう遠くへは行かないとは思うが、念のため指笛を吹いて呼び出す。すると森の奥から二頭の馬が出てきたので安心した。
川の中に釣り糸を垂らし、しばらく放置する。照りつける日差しは厳しいものだったが、川の流れる音と周囲の森の中から聞こえる小鳥の鳴き声が、気分を涼やかにしてくれた。
一時間ほどで釣果は三匹。とっても微妙だ。しかしながら、一匹当たりの大きさは結構なものなので多少だが腹は膨れると思っている。
持って来た短剣で魚の腹を切り開き、中の腸を取り出す。遠征部隊の先輩方はその苦い部分が美味いんだ!と言って豪快に食していたが、魚を食べなれない山育ちには、ただの生臭いものにしか感じられず、その素晴らしさを理解する事が出来なかった。
それにしても遠征部隊に居る騎士も元々は良家のお坊ちゃまなのに、どうしてこうも親衛隊と雰囲気が違うのか謎である。魔物の討伐で野宿をするので、その回数と共に野生化でもするのだろうか。遠征部隊には十年以上所属をしていたが、その謎は未だ解明されていない。
川で綺麗に洗った魚をその辺にあった枝に刺し、魔術で熾した火に当てる。数十分暑い火の前でじっと焼き具合を確認しつつ、完成を待つ。
焼き魚が出来上がった頃には軽く日が傾いていた。それに生焼けが怖かったので、じっくり焼いたので皮はほとんど焦げている。しかも中に刺していた木を持った時に折れてしまい、地面に魚を落してしまった。…奪った命を無駄にしてはいけないと思い、拾って砂を払って食べることにした。
「――生臭ッ…!!」
火の前で一生懸命面倒を見たお魚さんは非常に生臭かった。腸を取っただけでは駄目だったのか。もしかしたら血合いが付いたままになっていたのかもしれない。三匹の魚をなんとか食べ切り、家路へ着いた。
◇◇◇
果たして、あれは食べてもいい魚だったのか。数年前に川で釣って食べた魚に良く似ていたので、さほど気にせずに食べたが…。なんだかお腹の具合が昨日から怪しい。心持ち気合を入れて仕事場に来たのはいいが、気分は重い。
朝の日課である掃除をしようと休憩室に行けば、レイクが長椅子に寝そべっていた。
「おい、こんな所で寝るな」
「わあ!! 隊長、おはようござ、ぶっは!!」
「……」
レイクは人の顔を見るなり噴き出しやがった。そういえば昨日髪を切って物凄く短くなってしまった事を忘れていた。
「た、隊長、若返りましたね」
「……」
口元を押さえて笑いを堪えているレイクを無視して、掃除を始めた。