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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第三章【星から目を逸らした騎士】
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 剣と剣のぶつかる金属音が、日も暮れ始めた王宮の庭に響き渡る。相手が切り込んできた重い一撃を払うように受け流し、一瞬の隙をついて間合いを一気に詰めて首元に剣の切っ先を向けた。

 そこで諦めると思いきや、剣の腹を手の甲で思いっきり叩かれ、再び剣を振り上げる。相手方のしかめた表情に滲むのは憤慨、焦燥、狼狽、そんな不安定な気持ちで剣を振るっても勝ち目は無い。

 考えも無しに振り上げられた剣を容易く弾き返し、その剣は持ち主の手から離れ宙を舞って地面に突き刺さる。

 剣が土に突き刺さるザクリ、という音と共に、目の前の青年は武器を失った為に戦う術を失った事に気が付いて、悔しさに口元を歪ませているようにも見えた。


「感情で剣を振っても勝てないぞ。少し冷静になって戦うようにしろ」

「……」

「ーー次、サイ・バーンズ」

「はい。お願いします」

「…何をしている、イーオン・アストリム。邪魔だ、下がれ」

「……チッ、覚えておけよ」

「……」


 イーオン・アストリム。こいつは本当に勿体無い人材だ。第二近衛隊という選りすぐりの坊ちゃん集団の一員だと思っていたが、本人が言うとおり、実力はこの部隊で一番だ。

 剣術や体術も飛びぬけた才能があり、追い詰められても諦めない気迫はその辺の騎士には無い、毎日を生きるのに必死な痩せ細った野生の狼のような気概がある。騎士にこのような荒ぶる闘志を持つ者は非常に少ない。が、それを向ける方向が間違っているのだ。

 あいつは隊長である自分に事あるごとに喧嘩を売りに来て、こちらが相手にしないと罵詈を浴びせながら去っていく。その鬱憤を訓練で晴らそうとするが、色々な意味で残念と言うべきか、イーオンが勝った事は一度も無い。その理由はごくごく単純なもので、訓練後にするこちらの助言を全く聞き入れないからだった。

 その為イーオンの弱点は知り尽くしてしまい、あいつが足掻けば足掻くほどこちらに弱点を露呈する形となってしまうのだ。

 イーオンの事は本当に勿体無いと思っている。俺のような上司の元で燻らせていい人材では無い。実力、人格共にイーオンが認めるような隊長の元で素直に励めば、一皮剥けて将来第一近衛部隊で活躍する騎士になる事も可能だろう。ついでに遠征部隊にでも入れば、あの性格も良くなるかも知れない。あそこは戦闘狂の集まりで、貴族の癖にお上品でない荒い奴等がゴロゴロと居る。ふざけた事を言えばその度にぶっ飛ばされるだろう。暴力という名の矯正やさしさで、もしかしたら性格が改善されるかもしれないが、そんなことは面倒だし、イーオンの暴言は軽く聞き流しているので、全く気にしていなかった。

 それにしても、裕福な家庭に生まれたのに、どうしてあのように性格が捻じ曲がってしまったのか理解に苦しむ。それとも俺があいつに嫌われるような事をしたのだろうか?

 よっこらせ、とイーオンに出会ってからの素晴らし過ぎる記憶の数々を掘り起こしてみたが、結局何も見つからなかった。


◇◇◇


 本日はパライバ殿下の婚約者のお披露目会だ。と、いっても夜会のような華やかなものではなく、簡易的な服装で参加するものとなっている。


「ねえ、あなた、本当にこのようなお披露目で良かったの?」

「はい。華やかな場は好みませんので」


 フロース様がレーサー家の令嬢、リセッタ様に声を掛けている。茶色い髪を一つに編み、首元から胸元へ垂らしている髪型や薄く施された化粧はその辺の令嬢よりも地味に感じるが、目の前に居るフロース様が派手だからそういう風に錯覚をするのかもしれない。

 リセッタ・レーサー様、パライバ殿下より二つ年上の二十二歳で、物静かで落ち着いた女性だ。失礼ながら、その表情に乏しい様子は、同じく感情を表に出さない殿下とお似合いだと思っている。


 お披露目の場となった会場には関係のある貴族の者と、パライバ殿下と年の近い兄弟が参加していた。人数もそんなに多くないし、会場も広くは無いが、周囲の祝福するような暖かで和やかな空気が辺りを包んでいる。


 そんな祝いの席で、もしもの事があってはいけないと、他の部隊からも騎士を借り、周辺警備には力をいれていた。

 そして、先ほど見た時は地味な装いだったリセッタ様は、フロース様の見立てによって劇的な変貌を遂げていた。

 ふわふわと癖の付いた髪はきっちりと結い上げられて、編みこんだ後一つに纏められている。剥き出しとなった健康そうな肌色のうなじがとても眩しい。紫紺のドレスはリセッタ様の美しさを引き立てる色合いで、とてもよく似合っていた。さすがフロース様だ、良い仕事をする。


 王宮には王族に対して悪意のある者が、足を一歩踏み入れただけで一瞬のうちに拘束されてしまうという魔術がかけられているが、用心に越したことは無いので、以前の夜会の時と同じように参加者の中にも隊員達を紛れ込ませていた。

そんな中で自分は会場の正面からは見えない柱の影から、パライバ殿下とリセッタ様と周囲の様子を窺っている。見るからに怪しい者はフロース様に付きまとうイーオン・アストリム位だろうか。いい加減諦めればいいものの。今日はフロース様のお祖母様、フェーミナ様もいらっしゃっていた。前王の側妃様の前でも自重しないイーオンはフェーミナ様の扇子で、さっさとゴミを掃くような動作で退散をさせられている。

 当のフロース様といえば眉間に皺を寄せ、何かを探しているのか、周囲を忙しなく見渡していた。ラウルスでも来ているのだろうか?しかしながら会場にご婦人方に囲まれているような男性の姿は無い。そんな不可解な行動をフェーミナ様に窘められ、フロース様は珍しくシュンとしていた。


 会場内には食事も用意され、立食形式で楽しめるようになっている。まだお昼前とあってその周囲には人はまばらだが、一際大きいケーキは遠くから見てもよく目立っていて、参加者達の視線(特に女性の)を集めている。あとで切り分けられて振舞われるのだろうか?あんまりにも暇なので、しなくてもいい心配をしてしまう。


挨拶に来た参加者達と話をするパライバ殿下とリセッタ様は、二人揃って無表情でいるのだろうか、背後からではその表情を見る事が出来ないが、何となく幸せそうに微笑んでいるお二方を想像するのが難しく感じたので、少しだけ気になってしまった。


「…あなた、そんな所に居たの」

「はい」

「疲れていない? それに暇でしょう?」

「いえいえ、滅相も無い」


 パライバ殿下とリセッタ様にお祝いの言葉をかけたフロース様がこちらへとやって来た。本日のお披露目会はリセッタ様だけドレスで、他のお嬢様方は丈の長いワンピースを着て参加をしている。フロース様も例に漏れずに胸元に白いリボンの付いた青いブラウスに、黒いスカートという簡素な装いをしていた。今日はいつもの頭の高い位置で一つに結んでいる髪型では無く、銀の髪を三つ編みにして後頭部で一つに纏めている。


「こんなお仕事、つまらないでしょう?」

「…パライバ殿下の元で働ける事をとても誇りに思っています」

「ふうん」

 

 脳内にある騎士の模範解答集から一文を引っ張り出して、そのまま答えるだけの簡単な応対をフロース様に返す。本音を言えば見守るだけの護衛勤務は苦痛の部類に入る。時間はいつまで経ってもゆっくりとしか進まないし、直立不動という体勢は正直疲れる。まだ魔物の討伐に行くほうがしょうにあっている、という感情は外に出してはいけないものだと考えていた。しかし殿下の元で働ける事を誇りに思っているのは、偽りの無い本当の気持ちだ。故に欠伸を必死に噛み殺しながらも、忠実な番犬のように付近に危険が無いか注意を向ける事を怠らない。

 このことを思えば門番などをしている騎士は凄いと思う。一日中、同じ場所でじっとしながら現れるかも分からない不審者を警戒して一日を過ごす。その状況を考えただけで疲れてしまいそうだ。


 パライバ殿下の背中を視界に入れつつ思案に耽っていると、まだその場に居たフロース様が袖を引っ張って声をかけて来た。


「あなた、交代はしないの?」

「はい。このお披露目が終わるまでここに」

「そう…」


 今度は会場に居るフェーミナ様が何かを探し求めるように辺りを見渡していた。恐らく急に会場から居なくなったように見えるフロース様を探しているのだろう。ユースティティア家の御仁の銀髪は会場内でもよく目立つ。その為ちょっとした一挙一動でも際立ってしまうのだ。


「フロース様、フェーミナ様がお探しのようです」

「え? あら、本当だわ。ごめんなさい、このまま失礼するわね」

「はい。また明日」

「…あ、明日は休みなのよ」


 よくよく考えれば自分も休みだった。「また明日」とか適当な事を言った事が恥ずかしくなる。

 明日は魚釣りにでも行こうか。遠征部隊に居た時に先輩騎士から教わった秘密の川があるのだ。そこは糸を垂らした瞬間に魚が食いつくという、素晴らしい所だ。王都からは馬で三時間と遠いが、新鮮な魚は美味いし釣れたらタダという魅惑的な響きもある。フロイラインも連れて行った方がいいのだろうか。しかしあのお嬢様は途中でバテてしまいそうだ。連れて行くのは止めておこう。


「また明日って、あなたも休みでしょう」

「…そうでした」


 間違いを正す前にフロース様から突っ込まれてしまった。明日の予定も立ち、釣竿や餌の虫の事を考えていると、目の前にフェーミナ様が現れる。


「フロース…あなた、ここで何をしているの? 随分探したのよ」


 フェーミナ様が言葉を発した刹那、周囲の空気がキンと冷え込んだような錯覚に陥る。


「ごめんなさい、お祖母様、少しお話をしていたのよ」

「そうなの。…あなたは確かラウルスの友人の…」

「イグニス・パルウァエです」

「そう、パルウァエ卿だったわね。そういえばこの子に馬の乗り方を教えてくれるのもあなただったかしら?」

「はい」


 前に一緒にお茶を飲んだときは意識をしなかったが、フェーミナ様とフロース様は喋り方といい、雰囲気といい、そっくりだった。そういえばアルゲオ様がフロース様はフェーミナ様が育てたと言っていたのを思い出す。


 フェーミナ様はフロース様に乗馬を教えてくれたお礼を言い、自らの思い出についても語りだした。


「私の母がね、馬に乗る事が趣味で、私も無理やり覚えさせられたの。あんまり乗馬は得意じゃなかったけど、母と護衛の人達とで行った、昼食を持って出かける遠乗りは楽しかった記憶があるわ」

「そうでしたか」

「ええ。もう、五十年程遠乗りには行っていないわ。…そうね、あなた今度連れて行ってくれないかしら?」


 突然人妻から休日の遠出に誘われてしまった。しかも前王様の奥方だ。恐ろしくて、じゃなくて嬉しくて涙がでそうになる。震える声で喜んでお供をいたしましょう、と呟いた。


「ちょっとお祖母様!? お体の具合も悪いのに何を仰っているの!?」

「寝台の上での生活も飽きてきたのよ。それにパルウァエ卿が一緒に乗せてくれるんでしょう?」

「ええ、もちろん…」

「だ、駄目よ、そんなの!!」


 ーーうん。フロース様の言う通り、あんまり無理をしてはお体に障ってしまうかもしれない。


「あら、どうして駄目なのかしら?」

「……」


 気の強い性格に定評のあるフロース様も、フェーミナ様相手には強く言えないのか言葉を失ってしまう。


「答えられないのかしら、フロース」

「そ、それは」


 フェーミナ様に追い詰められたような状況になっているフロース様が不憫になってしまったので、助け船を出した。


「公爵家の侍医の先生の許可があればお連れ致します。綺麗な泉川のある場所を知っているんです」

「はああ!?」

「まあ! 嬉しいわ。さっそくジーイルに聞いてみなくては」


 先生の許可があれば問題は無いだろうと考えて発言をしたのだが、凄まじい勢いでフロース様に睨まれてしまった。…やはり人妻を連れ出すのは問題なのか。

 先ほど言った泉川は馬に乗って三十分程の場所にあるので、さほど負担にはならないと判断している。問題は人妻であり、病を患っているフェーミナ様の身体しんたいのことだろう。


「うふふ、楽しみにしているわね」

「はい…私も」

「……」


 その後、フロース様はフェーミナ様に肩を引かれて帰って行った。去り際もこちらをギッと睨みつけ、低い声で「本当に赦さないんだから!!」と囁かれてしまった。大丈夫です、フロース様。きちんと紳士的にお連れしますし、日が暮れる前には公爵家へ送り届けますから。そう心の中で誓いつつ、お二人の後姿を見送った。


 フロース様の乗馬技術はかなり上達をしたので、もしかしたら遠乗りも出来るかもしれないと思ったが、こちらから誘うのはおこがましい話なのかもしれない。


 明日は、もしフェーミナ様と出かける事になった時の事を考えて、久しぶりに行く泉川の下見もしなければ、と考えながら残りの時間を過ごす。



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